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ニート姉さんと引越

 姉さんが体調を崩し、僕のボーナスが完全カットになった日から2週間が経った。

 ちなみにボーナスは表向きはカットではなく、元々6月、12月、3月の年3回に分けて支給されていたボーナスを年2回に再編して、そのため3月ボーナスを今回から廃止するというていのいい理由がついていた。そうは言っても直前のこのタイミングで、しかも既に減額を発表しておきながらの廃止は払いたくないから止めたとしか思えないので、従業員の全員が「ボーナスは全額カットになった」と捉えていた。


 季節はもう春と言ってもいいくらいに暖かくなり、並木道や堤防沿いといった町のあちこちでは桜のつぼみを見られるようになった。あと数日もすれば緑の多いこの町は桜色で包まれるようになるだろう。今年は例年よりも開花が早くなるらしい。


「どーっこらしょ」

 僕は自分のアパートの部屋を引き払うこととなり、持ち物一切を姉さんの部屋に運び込むことになった。いま僕が運んでいるのは今日最後に運びこむことになっていた荷物だ。

 引っ越し先となる姉さんの部屋には既に洗濯機や電子レンジなどは揃っているため、いらなくなった電化製品はすべてリサイクル業者に引き取られることとなった。僕の使い方が丁寧だったからかたまたまなのか家電類は思ったよりも高い値がついたので引っ越し費用はトータルで多少安上がりに抑えられそうだった。

「あーやだやだ。どっこらしょってかけ声しないと力が出ないおじさんなんて」

「姉さんの方が5つも年上でしょうが」

 普段はマウスよりも重いものを持ったことがない姉さんを力仕事に駆り出すわけにはいかず、荷物の運び出しと運び入れは僕と引っ越し業者ですべて済ませた。3月後半のこの引越繁忙期とバッティングしたおかげで諭吉氏が列をなして消えていったのは言うまでもない。姉さんにはホウキとチリトリと雑巾を渡して、姉さんの部屋を掃除してもらったくらいだ。

「でも、引っ越しにきてくれたおじさん、『綺麗な彼女さんですね』って言ってくれてたよ。同じ年齢に見えたんだろうね」

 姉さんはその台詞を言われた直後、否定するどころか「ありがとう」と返し、そして若く見られたことを喜んだのか以後ずっとはしゃいでいた。引きこもりをこじらせて人見知りが強くなってしまった姉さんは、引っ越しの運び込み作業が始まってからずっと奥の部屋に隠れて、たまにそっと様子を伺うくらいしかしていなかった。なので引っ越しのおじさんもおそらくはっきりと姉さんの姿を見ていないのだと思うし、きっとお世辞のつもりで言ったのだろう。

「正直に否定してください。おかげで顔が真っ赤になりましたよ」

「だって私、勝彦と同じ22だもん」

「27でしょう」

 引っ越し業者が帰ってから、姉さんはずっとこの調子だった。あげくには両手を広げてくるくる踊りだす有様だ。ダイニングには僕の持ってきた段ボール箱いっぱいの荷物が積まれてスペースが狭いというのに、器用に踊っている。

「あれ? なんて勝彦が真っ赤になってるのかな?」

 わざとらしく反応をする姉さんは厄介な子供のようだ。でも僕の顔が少し赤くなったのは事実だった。

「そりゃあこんな美人のオ・ネ・エ・サ・ンがいるんですから? 彼女ですかなんて言われたらねえ? そりゃねえ?」

 こちらを伺うような目と笑いを噛み殺したような口元で、からかうように畳みかけてくる。

「ああ、もう、うるさい! 姉さんはうるさい」

「美人の姉でごめんなさいねーオホホ」

 無敵になった姉さんは最後まで鬱陶しかった。

「そりゃ姉さんは仮にも綺麗ですから…嬉しくないことはないんですけど…」

「ラブラブ中のところ申し訳ないんだけど…」

「「わぁ!」」

 突然の来客に姉弟ともども驚きのハモり。

 開けっ放しにしていた玄関にはこのアパートの管理人、吹江さんがいた。

「姉弟で恋愛沙汰はほどほどにしないとね」

「ふ、吹江さん、どっから居たんですか! どどどどど、どっから!」

「勝彦君あなた狼狽えすぎよ。えーと、聞いてたのは『僕は姉さんのことが…ずっと…』のあたりからかしら」

「台詞を捏造しないでください! というか姉さん何赤くなって両頬押さえてるんですか!」

 完全に僕一人がいじられていた。

「で、本題なんだけど、この部屋二人住まいになるからそのへんの説明事項と同意書と、各種資料とかもろもろの書類持ってきた。あとで押印しといてね」

「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」

「いえいえこちらこそ。ここ壁薄いから、夜中とかあんまりうるさくしないようにね」

「はあ…」

「ベッドのギシギシとか階下に響くから」

「いやいやいやいや!」

「新婚さんいらっしゃーい(ボソリ)」

「だからそういうボケは! というかまた姉さん顔赤らめて両頬押さえてるし! ちょっとやめて!」

 それからしばらく吹江さんと姉さんは事前に打ち合わせたのかと思うくらいそろって僕をいじりにかかり、僕は“年上の女性というものほど恐ろしいものはない”ということを認識したのだった。



「で、姉さん今日は珍しくまともな服を着ていますね」

 姉さんと僕は「ほんの引越祝いよ」と吹江さんが置いていった近所の少しお高いケーキを食べていた。ケーキはなぜかモンブラン。この春風そよ吹く季節にも関わらず目の前には栗の甘い香りが広がっている。

 そして姉さんは一番大事な栗の部分を横によけて大事にとっておきながら、本体部分をもしゃもしゃと頬一杯に含みながら食べている。窓の外は桜色なのに、この部屋だけなぜか秋模様が、それも冬眠に備えていそいそと木の実をたくわえるリスが駆けまわる晩秋が訪れていた。

「ほうふぁおはっふぁんふぅむ」

「食べ終わってからでいいですから」

 姉さんはマグカップの紅茶を飲んで、ふう、と息をついた。

「今日はお客さん来るし」

 たしかに引っ越し業者とか吹江さんの前で上下スウェット姿だと、まるで本当のダメ人間か24時間営業の雑貨屋にやってくるヤンキーのような悪印象だ。

「それに、勝彦の新しい生活が始まる日だし」

「それもそうですね」

 僕としては週1回の姉さんの世話が週7回に変わっただけで、環境が変わってもあまりやることは変わっていない。といっても姉さんがこうして僕の節目だからちゃんとしようと思ってくれるところは素朴に嬉しかった。

 まあ、それよりも姉さんの5年間変わっていない生活をここらで新しくして欲しいところだけど、そういう皮肉は言わない。最近姉さんが外出で無理をしたために体調を崩したということもあるので、それ以降はあまり強く言えなくなってしまった。姉さんにはハローワークに向かう以前に外を自由に動き回れるようにならないといけないのだ。

「それから、後でおでかけしようと思って」

「えっ?」

「お買い物に行きたいな」

 僕は驚いて思わずケーキのかけらを落としてしまった。

「姉さん、無理しちゃいけません。まずは近場を歩けるように体力をつけないと」

「実はね、最近少しずつ自分で歩くようにしてるんだよ」

 姉さんは自信満々で笑った。

「えっ、コンビニ以外にも?」

「そう。夜中にちょっとね。初めは50メートル。次は100メートル。その次は200メートルって少しずつ試していったの。今はもう少し離れた児童公園まで気軽に散歩に行けるし、ショッピングモールの往復もできたよ。昼間に一人で歩くのはまだ難しいけど、勝彦が一緒に居れば前みたいにいけるよきっと」

 僕はすっかり呆気にとられていた。

「姉さん、すごいです。姉さんは酒飲んでごろごろしてるだけかと思ってましたけど、本当はできる子なんですね」

 姉さんに「失礼な奴だな」とコツリと頭を叩かれた。

「言っただろ。ザッカーバーグなんか超えてやるって」

 自信満々の姉さんに僕は苦笑した。壮大な夢にしては、これは些細な出発点かもしれない。でも、やる気になった姉さんは無敵だ。

「でも姉さん、夜中の一人歩きは危険ですからやめてくださいね。前みたいに突然倒れるかもしれないし、最近ここらで不審者が出るという噂ですから。特に児童公園のあたりで」

「でも、夜中に児童公園によく行ってるけど人影なんて見てないよ。見間違いじゃないの」

「公園には“不審者出没注意!”の看板が何枚もありますし、この間吹江さんから聞いた話ではその不審者は全身黒ずくめで奇声をあげながら奇妙な踊りを踊っているとかいう噂ですよ」

「あ、それ私かもしれん」

「えっ?」

「公園って邪魔なものがないから、イヤホンでアイドルの曲聞きながらフルコーラス振り付け付きで踊りの練習してたんだけど」

「ちょっと! で、なんで奇声をあげてるんですか」

「失礼な。ただの掛け声だよ」

 僕は力が抜けて、某落語家のように椅子から転げ落ちた。

「姉さんは体力があるのか無いのか、どっちなんですか!」

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