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3rd 【序曲、名は殺人】−3

 慌しく社へ戻った巫月を同じ課の人間が呼び止た。ちょうど彼女宛に電話がかかってきていたのだ。

「栗栖だ」

『栗栖って言われると、社長なんだか巫月さんなんだか分かんないんだよね』

 少年の気配を残した声が言った。

「二階堂か。こちらから連絡するはずだったのに」

『しびれを切らしてね。親父が』

 相手の名前は二階堂和麻。今や資産規模一位の都市銀行、二階堂銀行の頭取だ。彼も大賀同様、学生時代の友人の一人。もちろん灰乃郁風や十島空子も同じく、彼で五人揃ったというわけである。

「ああ、結婚式には行けなくて悪かったよ。おめでとう」

『祝ってくれんの? ありがとー』

 二階堂は子供っぽく言った。彼は一昨年の冬、旧姓巽谷イズミと結婚した。巫月も披露宴に招待されていたが、ちょうど父親に連れられて外国企業の株主総会に顔を出していたときだったので行けなかったのだ。

「あの話、まだこちらではオフレコなんだ。悪いがあとでかけ直すよ」

『了解。うちの親父がさ、巫月さんと一度話してみたいって言ってるんだ。うるさくて仕方ないんだ、一度来てくれよ。たぶん、おれに君と結婚して欲しかったんだと思うな』

 確かにあの父親なら言いかねないと、巫月は思って笑った。

「奥さんに怒られない? とにかく、来週オーストラリアへ行く。今日の夜にでも詳しいことを知らせるよ」

『こっちの都合は大丈夫さ。頭取なんて、よほどの大事でなければ暇なもんだから。それじゃ』

 受話器を置いて、再び巫月の名が呼ばれた彼女はすぐそちらへと足をむける。

 本当は余計な人と話す時間など割けないほどの忙しさだ。

 K2社が二階堂銀行と資本提携を結ぶ話が挙っている。今、二階堂和麻はオーストラリアにいて、巫月は来週、その件について話すために父親の栗栖と共にそこへ向かうことになっている。その際には現役を退いた二階堂の父親、和雅も交えるつもりだ。

 巫月と二階堂の親同士が昔からの知り合いだったという理由でこうして資本提携へと結びついた。

 来週とは言え、もう週も後半だ。そろそろ準備にをしなければならないが、そうもいかないのがこの高い立場の人間の定めというものなのだろうか。ぎりぎりでいいものはぎりぎりに回す。

 だが巫月は溜め息すらつかず、ただ気丈に仕事を続けた。



*  *



 翌日、早速K2社の秘書、井月瑠璃子が書類を持って大賀の事務所へやってきた。

「これにサインを」

 契約書の注意事項、契約内容に目を通した大賀は立ち上がって印鑑を取りに行った。印鑑は金庫の中にしまってある。

 出してきた小さなそれを朱肉に押し付け、そして契約書に押すと、大賀という文字が赤く浮かんだ。

「ありがとうございます。早速ですが、明日からこちらへ来てただけますか」

「こっちが暇だと分かっての皮肉ですか」

 瑠璃子はまあ、と声を漏らして笑った。

「なるほど……巫月様がお気に召す理由が分かってきました」

「ああ、あいつが俺にこの仕事を任せてくれたのには感謝してるよ。正直、金に困ってたところだ」

 大賀がそう答えると、瑠璃子は一瞬きょとんとし、そして呆れたように溜め息を漏らした。

「お噂通りの方ですね」

 今度は大賀が首をかしげたが、瑠璃子がそれに答えることがないと分かって大賀はソファに座りなおした。

「ところで、大賀さん。まだ灰乃警部さんとは連絡を? どうやら、先日のレストランで起きた事件のとき、同じホテルにいらっしゃったようですけれど」

 これには大賀も驚いた。

「どこでそれを?」

「我が社には優秀な情報屋もおりますから。企業秘密なので多くは語れませんが」

「なるほど。しかし彼と連絡を取っているかについてはシークレットにさせてもらいたい。おそらくは、あなたたちと同じ理由で」

 そう言って大賀は悪戯っぽく、口角を上げて笑った。

 やがて瑠璃子は仕事があるので、と言って大賀の事務所をあとにした。

 彼女が去ったのを窓から確認したあと、大賀は机の上に無造作に置かれた携帯電話を取り上げて耳にあてた。

「聞こえたか?」

 電話は繋がっていた。

『ええ』

 相手は肯定した。

「郁風、さっきのは本当なのか?」

『先ほども言った通り、K2社の社員がレストランにいたというのは事実です。もしK2社が手を回してあそこにいたのならと考えたのですが……今の井月瑠璃子さんと貴方の会話からすれば、どうやら検討違いのようですね。とりあえずのところ、あの秘書の女性はは関係なさそうです』

「そうか……」

『貴方へ顧問弁護士の件を持ちかけたタイミングと言い、偶然とは僕には思えません。でも、考え過ぎかもしれない』

「まあな。明日行ったら、それとなく聞いてみることにしよう」

『お願いします。出来れば僕のことは内密に』

 笑いを含んだ声で灰乃は言った。

「分かってる。じゃあな」

『ええ、それでは』

 通話を切って大賀は携帯電話をまた机に放る。

 灰乃が彼に電話をしてきたのは瑠璃子が訪れてくる少し前だ。昨日やっと終わった事情聴取の結果、新しい事実が判明したのだと灰乃は言った。それは聴取を受けた人間の中に、K2社の社員がいたということである。

 巫月と話した後に大賀は灰乃へメールを入れていた。それで灰乃は彼へ電話をしてきたのだ。

 まるで見計らったかのようなあのタイミング。大賀も灰乃同様、単なる偶然とは思えなかったのだ。そしてちょうど井月瑠璃子がやってきたので、念のため電話の通話を切らずに机の上に置いて、会話が灰乃に聞こえるようにしておいたのである。

 もしも、仮定の話ではあるが――もし、K2社とレストランでの殺人事件が関係しているのだとしたら、これは大事件へと発展する。そうなればK2社にとっても、それに関連する企業、いやそれどころか日本中を揺るがす一大事になりかねない。

 しかし杞憂に終わるかもしれない。自分も灰乃も考えすぎなのだと、大賀は自分をたしなめた。まずは明日、K2社を訪れてみなければ、今は分からないのだ。



「灰乃君、ちょっと来なさい」

 捜査会議を終えて会議室から立ち去ろうとしていた灰乃を、本部長の宇都宮が呼び止めた。

「なんでしょう、本部長」

「どうする、もしもK2社とこの事件に関連性があったとしたら。君ならどうする」

「捜査は止めません」

「だがそれは、我々のクビにも掛ってくるのは分かるだろう? K2社の栗栖氏は、政界に顔が利く」

「承知してます」

 本部長は両の手を組んで、その上に顎を乗せた。そして灰乃とは目もあわせずに言う。

「そのときは、君に任せることにするよ」

 灰乃は、何も言わずに宇都宮の前から立ち去った。

 当然のことながら捜査会議の今日のメインは、聴取の際にいたK2社の社員と事件との関わりの吟味。だがK2社といえば、社長の栗栖が政界に顔が利くことでも公務員の中では有名だ。それゆえに迂闊に手出しできないのだ。もし手出ししようものならば、クビこそ飛ばずとも、どこかの地方の所轄に飛ばされるようなこともあっておかしくない。――上司たちはそれが怖いのだ。

 さらに悪いことに、今回の捜査本部長の宇都宮は灰乃を嫌っている。なぜなのかと言われると、そこにはおそらくエリートとしてのプライドだとか、その他複雑な理由が絡んでくるのだろうが残念ながら灰乃は詳しいことを知らない。 会議室から出て、廊下の窓から空を見上げた。会議室に入ったときはまだ明るかった空も、もうすでに夕闇に染まっていた。



*  *



 夜になった。

 約束したとおり、仕事を終えた巫月は再び二階堂へ電話を入れた。

「栗栖だ。――栗栖巫月だ。二階堂和麻氏へ繋いでくれ」

 畏まりました、と秘書らしき男が言って無音が少し続いた。

 巫月は窓から外を見た。何も見えない。彼女の自室は、オフィスであるK2社と離れた栗栖邸の二階にある。当然ながら大きな部屋であるが、別段、天蓋のついたベッドがあるでもなく、不可思議な形をした広いテーブルがあるでもないし、むやみに光を交錯させるような趣味の悪いシャンデリアが釣り下がっているというわけでもない。彼女の性格上、シンプルで必要最低限のものしかない。

 巫月は中央にある白いソファに腰掛けた。それすらも無駄を省いたような存在である。そして小さなテーブルの上の携帯へ目を向け、少し吐息を漏らす。

『もしもし?』

「ああ、あたしだ。仕事中だったのか?」

『少しね……おかしなことが分かったんだ。でも、その声じゃ君は知らないみたいだね』

「うちに関わること?」

 昼とは少し違う二階堂の声に、巫月は眉をひそめて尋ねる。

『そう……いや、でもこれは知っておいた方がいい。というか明日には情報が君のところにも入るはずなんだけど』

「早く言え」

 巫月は苛立ってぶっきらぼうに言った。

『分かった、言うよ。この間のNホテルのレストランで起きた殺人事件に関してだ』

「殺人事件? 灰乃が担当してるっていう、あの事件か。それがどうしたんだ」

『君のところの……K2社の社員が一人、事情聴取を受けた。たったそれだけの情報なんだけどさ』

「だとしてもプライヴェートで行っていたのかも知れない。レストランなんだろう? それくらい大したことじゃ……」

『それが全く無関係じゃないらしくてね。被害者と知り合いだったらしいよ、その社員が。だから心配なんだ、あっちには彼がいる。例え相手が天下のK2社で、そのうえ君がいるとしても、灰乃は捜査を止めるようなことはないんじゃないのかな』

 正直、巫月は内心動揺していた。何ら関連もないと、いつものようにテレビを見ていた自分がまさか、間接的にではあるがその事件に関わっているなんて考えてもみなかった。

「その、社員の名前は?」

『そこまでは分からないな。さすがに個人情報までは教えられないみたいだ』

「そうか、分かった。この話はここまでにしよう。情報の提供には礼をいう。ありがとう」

『どういたしまして。それじゃあ来週のことだけど――』

 話が仕事の方へ向いて、巫月はほっとした。二階堂が巫月の言動にどう感じたかは分からないが、彼が思っている異常に巫月は危機感を感じていた。

 灰乃という人間のことは良く知っている。だからこそ心配なのだ。その点では二階堂と同意見だ。

 二階堂との電話を切って、巫月はソファへ深く身を沈める。

 ――父さんはこのことを知っているのだろうか。

 ふとそう思った。どう思うだろう、父は。

 二階堂銀行との提携を前にして、この事件とかかわりがあるのはK2社にとっては致命的である。もしこの情報が本当だとしたら提携どころの話ではなくなってしまう。

 もし、もし……そんな仮定ばかりが頭に浮かぶが、巫月はそれを振り払うように頭を左右に振ってバスルームへ入っていった。



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