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15th 【S O L D E R】−Going

「動いたってよ」

 田所が囁いたが、同じくイヤホンをしていた灰乃にももちろん同じことが聞こえていた。だからそれは、囁きではなく呟き。まるで独り言のような。

 九条ナツが、いまK2社へ向けて出発した。まもなく彼らのいるこの交差点を通過するだろう。だが、手出しはできないと思われる。

 人質を一人連れている上に、武器も所持している。何の装備もしていない灰乃たちが手を出すのは、自身にとっても、また人質にとっても危険だ。

「ヘリなんか用意させて……一体、どこへ逃げるつもりなんだろうな、奴ら」

 道路わきのコンビニに車を停めて、二人は九条ナツが来るのを待っていた。

 どこへ逃げる気か。

 それは分からないが、日本を出て行く可能性が高い。ただし野田小学校に残してきた仲間もいるから、彼らもまた別の逃走ルートを確保するか、もしくはすでにしているだろう。

 聞く限りではかなりの大所帯である。その人数が野田小学校によく侵入できたものだとも思うのだが、その移動手段も疑問だ。もしかして本当にチャーター機でも用意してくる気かもしれない。または、九条ナツ本人以外は顔が割れていないから、日本に残していくかもしれない。

「海外なんてことになったら……大変だぞ」

「そうですね」

 もちろん、分かっている。だからこそ、それを食い止める必要があるのだ。

「来たな、あれだ」

 田所が道路の向こうを指差して、車から降りた。そのとき胸元に手をやるのを見た。灰乃も、そこにある鉄の塊を確認する。当然、使うつもりはない。手は出すなと、本部からの通達だ。

 周囲の通行はすでに禁止されているため、やって来る車はたった一台だった。

 迫る、車。約四百メートル先といったところか。

 そのとき、イヤホンからノイズが聞こえ通信が入る。

『こちら地点B! たった今、何者かの車が、制止を振り切って通行禁止ルートに侵入しました! 運転手は若い男、車は黒のセダン!』

 地点Bは灰乃たちのいる地点Dよりも野田小学校寄りの地点である。たった今、ということは九条ナツの乗った車を追いかけている図になる。

「黒のセダン?」

 それに、若い男。

「おい、このくそ忙しいってのに、どこのどいつだ!」

『黒のセダンが猛スピードで地点Cを通過! 止められません!』

 九条ナツの車が、灰乃の目の前を通り過ぎた。ガラスは要求にあったためにスモークになっている。そのため中は見えなかったが、窓が少し開いて中から銃口が差し出されていた。

 その後ろから、物凄いスピードで飛ばしてくる黒いセダンが見えた。

「あの馬鹿、死にたいのかよ! やめとけって!」

 それを見た田所が悪態を吐く。

 K2社まで警官が控えている地点は残り一つしかない。

「仕方ねえ、灰乃! 車だ!」

 灰乃は、車に飛び乗った。急いでエンジンをかける。発進。セダンがもう三百メートルのところに迫っている。灰乃は車を道路の中央に止めて、降りた。近くに散っていた他の刑事もやってきて、セダンの行く手を塞いだ。

「止まれー!」

 田所が拡声器に向かって叫ぶ。

 すぐ近くまで迫ったセダンは、急ブレーキをかけて停車した。

 灰乃は誰よりも早くその車に駆け寄って、運転席を覗き込んだ。だん、と音がして、見れば運転手がハンドルに拳を叩きつけていた。

「降りて頂けますか――」

 運転手が顔を上げる。

「俊佑」

 大賀俊佑は、何も言わずにドアを開けた。





*  *




 九条ナツの乗った車が、四時五十七分にK2社に到着した。窓から突き出た銃口を見た捜査員たちは、為す術もなくその車がK2社の前に停車し、中から降りた四人の人間がビルの中へ入っていくのを指を咥えて見ているしかできなかった。

 途中、九条ナツらを追いかけるようにして黒のセダンが通行禁止区域を猛スピードで駆け抜けるできごともあったが、地点Dで止められた。調べによれば、運転手の若い男は、人質となっている大賀友佑の兄である大賀俊佑という人物であるとのことだ。今は刑事に付き添われ、近くの署にいる。すぐに現場であるK2社に向かうそうだ。お咎めは後だということ。

「案外と、落ち着いてるんだな二階堂」

「それはお互い様じゃない?」

 三億円をそれぞれ前にして、二階堂和麻と栗栖巫月は互いに顔を見合わせた。先ほど捜査員たちとの打ち合わせが終わったところだ。時間はかなり迫っている。

「大賀みたいなのが一番自然な反応かもしれないね」

「あれは、やりすぎ」

 すぐさま巫月が否定する。その様子に二階堂は、彼女から顔をそむけて笑った。巫月は、気付いていないだろう。

「どうしてこんなに落ち着いているんだろうな、あたしたち」

「さてね。どうしたものか。でも、本人が気付いていないだけで内心では物凄く焦ってるのかも」

「認めたくないとかな」

「それもあるかな。巫月さんは、どっち?」

「焦る余裕なんてないから。考えるので精一杯。何なの、日本の壊滅って。ふざけた奴」

「真面目だったら、怖いね」

「さっさと捕まえてしまえばいいんだ」

「それはおれら次第、かな」

 そういって彼は時計を一度みて、立ち上がった。その直後、二人のいた部屋のドアが開いて捜査員が彼らを呼んだ。そろそろ外へ、と。

 まもなく二人は、三億円を積んだ台車と共にK2社の中へ入る。

「どうでもいいんだけどさ、台車押して行くなんてヴィジュアル的にはよくないと思う」

 隣を歩く巫月を一瞥、その表情はどこか意外そうだ。顔を進む先に向け直して、真剣な表情になる。

「そうだね」

 呟くように言って、彼は自分の手がいつの間にか握り拳を作っていることに気がついて、そっとそれを解いた。掌に、汗が滲んでいた。

 こうして、今から赴く戦場ともあろうそのビルを見上げると、これまでただの冷たいコンクリートの塊としか思っていなかったそれが、酷く無慈悲なものに思えてくる。これは何もしてはくれない。何度かこのビルに足を運んだ二階堂でさえそう思うのに、どうして巫月がそう思わないだろうか。

 掌の汗。

 九条ナツの目的は何だとか、どうやったら彼女を捕まえられるだろうかとか、特殊部隊やらは呼ばなくていいのかとか、あちこちに考えを巡らせては、自分は落ち着いていると勘違いしていたらしい。しかし、それは違った。人は困難を目の前にしたとき、そこから目を逸らそうとしてわざと別の対象を探してそれをじっと見つめる。それが何の解決にもなり得ないということを、頭のどこかでは認識しながら。

 そうやって目を逸らしてはいたからこそ、いつの間にその困難がこんなにも迫っていたのだろうと驚く。だが体はとっくに、その事実を知っていた。本能が感じて、そしてこの掌のように発汗して、己に示している。それでも別の対象に夢中になっていた自分は、それにすら気付けない。

 結局、坩堝に嵌ってしまうのが落ちなのだ。

 栗栖巫月が隣にいて、よかったと思った。坩堝に嵌ってしまう前に、気付くことができた。自分だけでなく彼女もまた、現実から目を逸らしていただけだと。

 大賀俊佑は、目を逸らさなかった。真っ直ぐに現実を見つめ、そして行動した。それが多少無茶苦茶だったとはいえ、その素直さが、彼らしいと思う。自分は少し捻くれているといつも思う。

 自分も、少し素直になろうか。

「うん」

 そうしろと、誰かが言っている。二階堂和麻に囁いている。

 焦ってはいけない。だが落ち着きすぎるのもよくない。素直になれ、と。

 見つめていた掌から、顔を上げて前を見る。

「なに?」

「ん? いや、大したことじゃないんだ」

 見つめていた掌から、顔を上げて前を見る。掌は、再び強く握った。

 やはりそこには冷たく、そして無慈悲なコンクリートの塊が、憮然とした表情で立ちつくしていた。

 それから目を逸らさずに、彼は言った。

「戻ったら、結婚式の招待状を出さなきゃと思って」




 K2社内へ九条ナツらが入って行った三分後、二階堂和麻と栗栖巫月の両名は同じく社内へと、三億円を持って入った。

 まず二人が、九条ナツのいる場所へ辿り着く。すると三億円の入ったケースにつけられた発信機を頼りに、K2社の裏口からSATが侵入し、彼女たちのいる場所に辿り着き、後に取り押さえるという、非常に単純な計画だ。

 その計画に納得し、それが完璧であるとは誰も思っていなかった。そう、誰も。

「成功率は、高いとは言えません」

 灰乃は説明を終えてそう言った。

「そんなもん、聞いてりゃ分かる」

 灰乃たちに車を止められて、その上そんな無鉄砲な計画を聞かされた大賀俊佑は、さらに機嫌が悪くなったのか、憮然とした表情でパトカーの中にいた。

「そんな、俺にだって無茶だって分かるような馬鹿げた計画、どうして立てたんだ? なあ、警察って実は馬鹿だろ?」

 確かに、それは灰乃自身も感じていたことだ。計画は、あまりに幼稚すぎた。

「警察は……人質の救出よりも、九条ナツの逮捕を優先したいんじゃないのか?」

「俊佑――」

「悪いな。けど自棄になってるんじゃない。もしかしてヘリも出さないつもりなのかも」

 大賀は腕を組み、目を閉じて息を吐き出した。

 中へ入った二人はまだ九条ナツに辿り着いていないのだろう。パトカーの外を見ても、動きはなく静かなものだ。

 目を閉じたきり、大賀は何も言わなくなった。そのことが、彼は勘付いているということを灰乃に確信させた。彼の言ったことは、真実だった。

「ヘリを出さないわけではありません。ただし、ヘリに乗っているのは操縦士だけでなく……特殊急襲部隊の隊員も同乗します。確かに、表向きの計画では人命優先をする警察と考えられますが、実際優先しているのは犯人です」

「なぜそんなことを?」

「そんなことをしては信用が地に落ちると、分かっていないとは思いません。ですが……それ以上に九条ナツをどうにかしなければならないと考えているか、もしくは人命も守り、尚且つ九条ナツを逮捕できるという自信があるのか」

「あとは、K2社に来ているのが九条ナツじゃない可能性があるってとこか」

「まあ、そんなところです」

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