14th 【S O L D E R】−Kicking
犯人は複数、正確には何人いるのかは分からないが、野田小学校においては十人近くのグループだろうと思われる。K2社に至っては、おそらくもっと多いだろう。主犯とされるのは、九条ナツである。
要求された身代金と車両に関して、捜査会議で話があった。栗栖響介社長の身代金は、娘である巫月が自ら用意するとのことである。車両とヘリは警察が用意するが、問題は野田小学校に対して要求された身代金、三億円である。
無茶な要求だと、灰乃郁風は感じていた。それだけの金額を警察組織の予算から、まるで民間に投資するような真似――と言っても過言ではないだろう、そんなことは恐らく上層部にはできないはずだ。その金額がまるごとそっくり手元に戻ってくる保障があれば、話は別なのだが、相手がこれまで誰にも見つからず姿を隠していた指名手配犯で、尚且つ組織力までつけているとなると、それは無理は相談だろう。
行き詰まっていたところで、その問題が一気に解決に向かったのは、ある一人の男の登場であった。ただし、一つは解決に向かったが、そこで新たな問題も浮上したことは付け加えなくてはならない。
その頃行われていた捜査会議に、一人の警官が連絡を持って本部長に耳打ちした。驚いた表情を一度見せた花岡本部長だったが、すぐにいつもの冷静な彼の顔を取り戻して頷いた。
警官が敬礼して出て行ったほぼ入れ違いに、別の男が入ってきた。長めだが灰乃よりは短い髪を後ろに流して軽く固め、上等そうなスーツを着た男。
花岡本部長が立ち上がり、その男と話をしている。
「おい灰乃、あれって……」
本部にきてから合流した同じ一課の田所が、顔を寄せて囁く。灰乃は無言で頷いた。
二人の話が終わる頃には、ほぼ全ての捜査員が彼の正体を知っただろう。灰乃は彼が入ってきたときにすでに誰なのか分かっていたし、なぜ彼がやってきたのかも分かっていた。そして、一つ溜め息をついた。
静粛に、とマイクを通した花岡の声が聞こえて室内は一気に静まる。
『こちらは二階堂銀行の二階堂和麻代表取締り役だ。彼のところに九条ナツからメールが届いた。――映してくれ』
正面のモニターに一枚の写真が映し出される。メールに添付されていたものだろう。一面真っ白な部屋に、両手足をロープで拘束された二人の女性。目隠しをされていて、顔は半分以上が隠れていた。
『顔ははっきりと映っていないが、恐らく、二階堂氏の婚約者である巽谷イズミという女性と、その友人の十島空子という女性に間違いないとのことだ』
九条一味に誘拐もしくは拉致され、どこかに監禁されているということだ。二人は朝から一緒に出かけており、このメールが届いてから携帯に電話をかけたがどちらも不通だという。
モニターの画面が切り替り、メールの文面が映し出される。たった一文だった。
『「三億円を持って五時丁度、K2社へ来い」。それだけだ。犯人側は、二階堂氏を、彼の婚約者とその友人を人質に取った上で、野田小学校に対する身代金の引渡し役として指名したということだ』
これで一つ、彷徨っていた身代金算出の方法が定まった。
その後、本部に栗栖巫月から連絡があり、犯人側から彼女自身を引き渡し役として指名し、K2社に時間に持ってくるよう指示したとのことである。
両名、現金の用意は整っており、すぐにでも構わないと言う。
現在車両チームが野田小学校へ要求された車を運んでいるところだ。恐らくあと四十分ほどかかるだろう。犯人側も今すぐとは言っていたが、これぐらいの時間がかかることは分かっていたのか、急かすようなことは言ってこないし何も動かない。
その後、捜査二課のみが捜査員として残され、他は解散し指示を待つことになった。元々これは二課の事件だ。
灰乃が本部を出ると、隣の部屋から二階堂和麻が顔を出して手招きをしていた。灰乃は招かれるまま、その部屋に入った。
「こうなると、思ってたんだ。そうじゃない?」
二階堂は開口一番にそう言った。
「もちろん、こうならないことを望んでたんだけどさ。彼女には、望むだけ無駄だったみたいだ。――それで、どうなる?」
ポケットに手を入れて、彼は灰乃を見た。
「もともと二課の仕事でしたから。あとは指示を待つだけです」
「車。移動するとなると人質は減るだろうね。誰も連れていかないわけはないだろうから、まあ……分かってるだろうけれど、ね」
そう言って彼は少し微笑んで目を逸らした。
彼の言わんとしていることは分かる。九条ナツらが野田小学校から人質として連れていくのは、恐らく大賀友佑だろう。様々な考え方ができるが、子供を連れて行くよりは役に立つ場面もあるだろうし、尚且つ――この事件のメンバーを見てしまえば、分かる人間には分かる。
「彼女はどうしてもおれたちが邪魔みたいだ。きっとおれと巫月さんを、殺しにかかるよ。大賀が弟を助けにくることも見越してる。そういう人間だから。そしたら黙っていられないのが、灰乃郁風だろうし」
「否定しませんけど――でもなぜ、そんなに私たちを煙たがるのか分かりません」
「その話を、したかったんだ」
彼はそう言って顔から笑みを消した。
「おれの情報屋が、聞いたらしいんだけど……彼女、九条ナツのことだけど、もしかしたらとんでもないことを企んでるのかもしれないらしい」
「例えば?」
「日本の壊滅」
「なるほど……それはとんでもない」
「本当に。聞いたときは笑うところだったよ」
そう言う彼の目は全く笑っていない。彼は部屋にある椅子に腰掛けた。ここも隣と同じ会議室だから、椅子と机は多くある。
「でも冗談じゃない。本当にそう言ってた。情報屋も笑ってなかった。どうしてあんな組織力をつけたと思う? あれが彼女の全てじゃない、もっと大きな組織になってるんだ、おれたちの想像以上に。まあ、それでどうしておれたちがターゲットになるのかさっぱりだけど」
「しかし、何の根拠もない以上は誰も信じてくれませんよ。それこそ笑い話にされてお終いになってしまいます」
「そう。だから、ここで捕まえてしまわないと困るわけだ。灰乃、イズミたちのことは頼むよ。もしかしたら二人とも、今ごろは暴れてるかもしれないから、気を付けて」
「その言葉、そっくり返させてもらいます」
* *
「おいこらー! どこやねん、ここ! ていうか、何にも見えんわー!」
「ちょっと、空子ちゃん、蹴らないで!」
目隠しをされて、両手足を縛られた二人の女が、真っ白な部屋で喚いていた。片方は足を蹴り上げたり転がったりと、暴れている。その暴れている方が十島空子、蹴られたのが二階堂和麻の婚約者、巽谷イズミである。
二人は朝、駅で合流した後にタクシーに乗り込んだが、そのまま誘拐された。
「やられたわ……道理でおかしいと思ったんよ、あのタクシー! あんだけ込んでて乗れたんやもん!」
「いつの間にか寝ちゃったもんねえ……」
イズミが溜め息をつく。
もちろんこの二人は、出発してほとんどすぐにここに連れてこられたため、今起きている九条ナツの事件のことなど知るはずもない。また、目隠しをされているためその部屋が真っ白だということは分からない。そもそも屋内かどうかすら当初は怪しかったものだ。お互いがいることは騒がしさで、手足が縛られているらしいということは感覚で認識できた。
散々騒いで疲れたのか、イズミの隣で空子が仰向けに倒れる。縛られた手は胸の前で組んだままである。
「空子ちゃん? 大丈夫?」
「平気やー。騒ぎすぎただけ」
やっと多少の落ち着きを取り戻した空子は、少しずつ冷静になって考え始めた。いま分かっているのは、どうやら誘拐されてどこかに監禁されているらしいというあやふやな事実と、空腹だという確かな事実だけ。
誘拐されたのだろう。ではなぜか? 自分ではないだろう。目的は左二メートル以内にいるであろう巽谷イズミの方だと思った。彼女は二階堂銀行頭取兼代表取締役の婚約者なのだから、何か対価を期待しているとしたらそれが当然だ。自分はおまけか、と少しふて腐れる。
他に目的があるとしたら何だろう? 強盗だったかもしれない。だがそれなら、金目の物を奪ってしまったらもう用済みなのだから、その辺りに捨てるなり殺すなりしているはず。彼女たちが目覚めて、およそ一時間は経っている。もしかしてもう捨てられているのだろうか?
いや、もし強盗目的だとしたら、タクシー運転手に化けるような手の込んだ真似はしなくていい。無駄にリスクが大きいだけだ。やはり目的はイズミ。
身代金が目当てか。となると、助かるのはいつだろう?
「お腹空いたねえ」
「ほんま」
それまで腹が持つかどうか、それが問題だった。
* *
午後五時まで後一時間と少し。あちらが要求してきた車両はすでに野田小学校に着いている。
本部の捜査員は、野田小学校、K2社、そしてその間の道にそれぞれ配置された。二課の関や三谷たちは野田小学校、一課の田所と灰乃はK2社よりの道にいる。
栗栖巫月、二階堂和麻の両名は、二人とも三億円と共にK2社へ向かっている。
車両が到着してからも、野田小学校での九条ナツたちの動きはない。
「ったく……動かねえなあ」
関が何度目かの呟きを漏らした。隣でも三谷が何度目かの溜め息をつく。
「どうして動かないんですかねえ」
「さあな」
そう言って関は腕時計を見た。時刻は、いま丁度四時である。
「四時だな」
「あと一時間ですかー。なんか飽きてきちゃっ――あ、ちょ、関さん!」
「来たな……!」
職員用玄関から、真っ赤なワンピースに同じ色のハイヒールを履いた女が出てきた。彼女の手前には、恐らく銃を突きつけられているであろう人質がいる。その背後には機動隊のようにしっかりとした装備をした人間が二人。性別はその装備に阻まれて分からない。
「出やがったな、九条ナツ――」
「関さん、あいつら車に乗り込みますよ……」
「分かってる!」
関はその異様な一団から目を逸らすことなく、立ち上がった。
「おい、道にいる連中に連絡しろ! A班は俺と一緒に追うんだ!」
グラウンドの中央に停車している車に、九条ナツたちが近付く。校門前はあらかじめ車が通れるように明けてある。関は校門の影からその様子をうかがっていた。
機動隊じみた恰好の二人が周囲を気にしながら、九条ナツと人質のあとに運転席と助手席に乗り込んだ。すぐに本部から、九条ナツからの入電を知らせる無線が入り、イヤホンから彼女の言葉が流れ出した。
『邪魔するようでしたら、うちの子たちが容赦しませんから』
関はその言葉を聞き、校舎を見遣った。グラウンドに面した三階の窓から黒い影が見え、長い筒が突き出している。そう簡単に手出しをさせてくれる相手ではないことは分かっていたが、思ったよりも相手の数が多かった。
「どうして事が起きる前に、誰も止められなかったんだ――!」