12th 【S O L D E R】−Waking
行き場をなくしてしまった社員たちは、緊急に一時帰宅させた。警察もその巫月の判断に承知してくれた。それしか策がなかったからだ。
彼女は、社長秘書の肩書きを持つ井月瑠璃子と一緒に、捜査本部のある建物の中の一室を与えられ、そこにいた。ちょうど真下の部屋に捜査本部がおかれているようだ。
巫月は両手両足を組み、苛立った様子で椅子に腰掛けていた。
何の情報も入ってこない。本部から、ということではなくて犯人側からという意味だった。要求もない、状況も分からない。設置してある監視カメラの映像は犯人側によって、カメラが壊されたか画面を覆われてしまったかして、無意味なものとなっている。中の様子を把握する術がなかった。
苛々してもどうしようもないと分かっていた。どこにも矛先を向けようがない。向けるべきは犯人たちである。しかしそれが誰なのか分からないのだから、どうしようもない。
巫月は立ち上がった。
「ちょっと、外に出てくる」
「でも巫月様……」
伏せていた顔をあげて、瑠璃子が言った。
「私も参ります」
「平気だよ。子供じゃない。それに、犯人の目的は完全に父さんであって、あたしじゃない」
「そう仰ると思いました……どうか、お気をつけて」
そう言って瑠璃子は巫月を送り出した。
階段を降りながら、何人かの警官と擦れ違う。巫月はその視線を全て無視しながら、出口まで降りた。出口に立っていた警官にどこへ行くのかと尋ねられたので、様子を見に行ってくるだけだと答えた。制服を着ていて若い警官だった。新米かもしれない。彼はそれ以上何も聞かなかった。
巫月は横断歩道を渡り、K2社へと歩いていった。
遠めに見ても、さきほどより人が増えている気がした。事件が起きてから約一時間が経とうとしている。野次馬は減ったように見えるが、マスコミが本格的に報道を始めたらしく、増えたように見える。これではただ歩いているだけで、マスコミに捕まってしまうだろう。気分転換にと思っていたのだが、それどころではなくなってしまう。しかしといって戻るのも嫌だった。
どうしようか、と社から少し離れたところの建物に身を預けた。
そのとき、誰かが巫月の肩に手を乗せた。驚いて、慌てて振り向く。相手の顔を見て、また彼女は驚いた。その驚き様に相手は手を引っ込めて、両の掌を広げて見せた。片手には買い物袋を持っている。口元には僅かな笑み。
見知った顔に安心して、巫月は息をついた。
「どこかで見た顔だ」
「お久しぶりです」
彼は柔らかく微笑んで答えた。
「勤務中のあんたとは、誰よりも会いたくないよ」
「残念ながら、勤務中です」
広げた両手を降ろしながら、彼は肩を竦めた。
彼は灰乃郁風。巫月と彼は高校の同期同士だが、いま彼は警視庁捜査一課の刑事だと
聞いているが、勤務中ということはこの一件の担当だろうか。
「いいんですか、こんなところに出ていて」
「散歩。本部の中って息が詰まらない? よくもあんなところにいられるな、刑事たちって」
「仕事ですから。それより、戻った方がいいのでは? 貴女は目立ち過ぎます。この辺りで貴女を知らない人なんていないでしょう。もちろん、犯人だって」
「犯人がどこの誰だか知らないけど、目的はあたしじゃないよ。それは分かってる」
「なぜです?」
巫月は口を開きかけて、一度周囲を見渡した。先ほどから気にはなっていたが、通りすがりにこちらを振り向く人間が多い。確かに目立っているようだ。彼女は自分の髪を見つめ、少し溜め息をついた。
「あんた、どこへ戻る?」
「言えません」
「本部じゃないだろう? 頼むよ、あんなむさ苦しいところに戻りたくない」
「こっちもむさ苦しいことには変わりないですし、それに勝手な判断はできません」
「じゃあ言えないな」
「目的が貴女じゃない理由ですか? おそらく、犯人グループ、貴女に見向きもしなかったのでは? 貴女が社長令嬢だと気付かなかったはずはありません。分かっていて社外に追い出したということは、貴女が直接の目的ではありえない」
灰乃は言い切って少し微笑んだ。
「本部に戻っていてください」
「全く……嫌な奴」
巫月は溜め息をついて髪をかきあげる。そして振り返って仕方なく来た道を戻ろうとした。
「一つだけ」
「え?」
呟くような彼の声に、巫月は足を止めた。
「一つだけ、お教えしておきます。いまちょうど起きている事件がもう一つあります。ご存知ですか?」
「小学校の立てこもり事件のこと? 児童と教師が人質だって……それが?」
「人質の名前も?」
「通報してきたのは犯人本人だったな。そのときに人質が一人電話にでたらしいが、その名前までは……」
「その人質の名前は、大賀友佑」
その名前の響きに、覚えがあった。うろ覚えなどではない、はっきりとした記憶。だからこそ巫月は驚いた。目を細めて、灰乃の顔を見据える。
「何だって?」
「それだけです。それでは、勤務中なので失礼します」
去って行くグレイの背中を見つめながら、巫月は大きく息を吸った。同時に、鳥肌が立った。
灰乃は連絡車に戻り、手に提げた袋を関に手渡した。
「時間がかかったな。混んでたか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「そうか。まあ、外も大騒ぎだっただろうな」
関は袋から缶コーヒーを出して開け、口をつける。
「何か連絡は?」
「ああ、一度だけ。社長令嬢が捜査本部から出てって戻ってこないって騒いでたな。面子がかかってるんだろ、上は大変だ」
「戻ってきたでしょうか」
「さあな。お嬢様はご機嫌斜めなのかもな、プライドが高そうな顔してたしな」
灰乃はそれを聞いて静かに苦笑した。関は袋の中身の弁当を捜査員たちに渡していく。
「でもすごい美人じゃないですか、彼女」
弁当を受け取りながらそう言ったのは三谷という刑事だった。特捜の一員で、灰乃より若い。
「片親が外国人なんでしたっけ」
「そんな話だったな。それにしても不幸な家族だな、全く」
「妹さんが亡くなってるって聞きましたけど……」
「ああ、そうだ。もう十年くらい前だったと思うけどな、知らないか? 九条ナツの事件」
「覚えてます。僕なんかまだ中学生ぐらいだったと思いますよ。その被害者なんですか?」
「何だったかな、似たような名前でちょっと変わってるんだが……くそ、思い出せないな」
会話の外にいる二人も弁当を空けながら、関と三谷の会話に聞き入っている。
「栗栖遊月だったと思いますけど」
女性刑事がそう言った。
「あ、それです、確か」
三谷が割り箸を割りながら頷いた。関も首を縦に二度振る。
「よく覚えてるな。犯人の九条ナツも、被害者の栗栖……ゆつきだったか? そいつも、どっちも高校生だったんだ。それだけじゃない、ヤツは三人も殺してる」
「ちょっと待って下さい、警部。九条ナツって、いま野田小学校を占拠してる?」
さきほど遊月の名を口にした女性の捜査員が割って入ってきた。
「そうだ」
「それって、おかしくないですか? まさかこっちの事件もその人の……」
「可能性はゼロじゃないな」
関がそう言うと、何故ともなく誰もが口を閉ざした。それぞれ思案するところがあるのだろう。
ちょうどその沈黙のうち、ドアが突然開いた。誰もが昼食の手を止めてそちらを見た。一番ドアに近いところにいた灰乃は、溜め息をつきたくなったものだ。
「え?」
「あ……」
疑問符、驚嘆がそれぞれの口から漏れる。
「入っても?」
不意の訪問者は、自然な口調で尋ねた。答えるべきであろう、関警部は口をあけたまま黙っている。言葉が出てこないのだろうか。
返ってこない答えに、ブロンズの髪の彼女は嘆息。
「入らせてもらうよ」
決して強くはないのに、拒絶は許さないような口調だった。ドアを閉めた彼女は狭い中で身を屈めながら、そこにいる人間を一通り見渡した。
「やっぱり、どこにいても目立つのかな」
栗栖巫月は灰乃に視線を投げて肩を竦めた。
「容姿のせいだけではないと思いますよ」
灰乃は答えて苦笑した。
* *
「それで、どのようなご用件ですか」
栗栖響介は、全く動じていないように見えた。黒服の武装した連中を目の前にしてこの態度、落ち着きよう、やはり彼は大物だった。
しかし、周囲にはそうは見えるかもしれないが内心では動揺していた。心拍数は上昇、そういえば最近血圧が上がっていたと思い出して心配した。トップに立つ人間は、常にポーカーフェイスでいなくてはならないのだ。例え動揺していたとしても周囲にそれを知られてはならない。それがまさかこんな状況で役に立つとは思っても見なかったが。
「それはまだ言えない。ときが来たら、そのときは」
「今は余計な詮索はよした方が?」
「それがいいと思うよ。あんたは賢い」
「それはどうも」
いま、この社長室にいるのは六人。相手の黒服は五人、形よく栗栖のデスクの前に並んでいる。まるで調教され尽くした軍隊のようだ。中央、つまり栗栖の真ん前に立っているのがどうやらこの五人の中では一番格が上のようで、さきほどから彼一人が栗栖と会話をしている。
相手は別段栗栖を拘束するでもなく、ただ何もせずに、文字通り社長の椅子に座っていればいいといった。
「損失が大きい。できれば手短に済ませて欲しかった」
「そういうものなのか?」
「空白の時間が増えるほど、その時間にすべきことができない。システム管理が一番の打撃。本当はこんな茶番に付き合う時間なんてない」
栗栖は視線を目の前の黒服に向ける。
「茶番?」
「そう、茶番だ。だけど、それにつき合わされているのは私だけではない。他にも私の知りあいが大勢、それに君たちもだ。上に演出家がいるんだろう?」
武装に包まれすぎてよく分からなかったが、僅かに肩を竦めたように見えた。
「言わなくても分かっているらしい」
「そう、そうだよ。分かっている。その演出家の正体も検討がつく。ただ、この馬鹿らしい三流オペラの主役は、残念ながら私じゃない。君たちでも、君たちのボスでもない。失礼を承知でいわせてもらうけれど、私も君たちもただの端役に過ぎないのだよ」
「もちろんだ。そんなことはとうに知っている。我々は彼女について行くのみだ」
栗栖は人のよさそうな笑みをにっこりと浮かべ、膝の上で組んでいた手を机に乗せた。
「そうか。そちらのボスは相当信頼されているようだ。むしろ――崇拝といっても過言じゃない」
「そうだ。彼女は神のような女性だ。彼女は我々を見捨てずに助けてくれた。何も聞かずにただ手を差し伸べてくれたのだ。これまで誰もそんな真似はしてくれなかった。なぜなら我々は社会から拒否された人間だったからだ」
そこで初めて相手が隊列を乱した。一歩、また一歩と前進し栗栖に近付いていった。
黒いゴーグルの奥の瞳が見えた。栗栖は微笑んで言う。
「続けるといい」
「止めておこう。やはりあんたは頭がいい。ことに人から情報を引き出すのが上手い」
「そうかもしれない。少なくとも君よりは」
「ことが起きるまで黙っていてくれ。俺はあんたを殺してはならないはずなのに、そのうち勝手に指が引き金を引きかねない」
「そうだな、君の言うとおりにした方がいいようだ。しばらく、大人しくしていよう」
ちっ、と舌打ちが聞こえた。黒服はもといた位置まで下がった。
栗栖は、くるりと回転式の椅子を回し、背にしていた大きな窓から外を見た。空は曇天、まるで雪でも降ってきそうな天候だった。