11th 【S O L D E R】−Smiling
パトカーに乗り込んですぐに田所から再び灰乃の携帯に電話が入った。
「はい」
『もう着きそうか』
「いえまだ、出たばかりです」
『ならよかった! そのままこっちへは来ずに、K2社へ向かうんだ』
田所は焦っているようだった。しかし告げられた行先に、一体何の目的があるのか分からずに灰乃は問い返した。
「K2社、ですか?」
『そうだ。全く、わけが分からない……どうなってるんだ』
自分はもっとわけが分からない、と思ったが言葉を飲み込む。
『ともかく、向かってあっちの連中から話を聞いてくれ。俺も概略しか知らん』
「了解しました」
通話を切って運転手に行先の変更を伝えようと身を乗り出すと、紺の制服を着たその運転手は無線を置きながらわずかに灰乃の方に顔を向けて頷いた。
「K2社ですね」
「今の無線は?」
尋ねると彼は顔をしかめて答えた。
「K2社でも立てこもり事件が……社長が人質になっているそうです」
これには灰乃も驚いた。
「急いでください」
相手も承知の上だろうと思ったが一応言う。
「分かりました」
制服警官は頷いて、サイレンを鳴らしながらパトカーを走らせた。
シートに背を預け、腕を組んだ。どこともつかない一点を虚ろに見つめ、灰乃は考えた。
野田小学校での立てこもり事件。犯人は複数だと聞いている。犯人自身が警察へ連絡してきた時点で、電話をした人物と人質を見張る人物の少なくとも二人以上はいるということは想像に難くない。そのとき電話口に出たのは、始めは女だった。その女自らが立てこもりの実行犯の一人で、名前を九条ナツと名乗った。
灰乃や田所を含め、警察自体がその名前に敏感に反応しているのには理由があった。九条ナツという女は連続殺人の容疑者として指名手配されている人物なのだ。
今から十四年前、九条ナツは最初の殺人を犯した。被害者の名前は浅嘉佳代。一人暮らしをしていた六十代の女性。偶然にも浅嘉佳代の近所に住んでいた灰乃は、当時十六歳だったがその事件に大いに関心を寄せた。もちろん警察から事情聴取も受けた。結局解決はおろか犯人の目星さえつかないまま第二の事件を迎えることになる。
二度目は同じ年、ある高校で一人の女子生徒が死んだ。当初自殺と思われた栗栖遊月という少女の死は、学校に侵入した不審者による殺人事件として捜査された。しかしここで驚くべき事実が判明した。現場となった高校は先進のセキュリティを完備した有名私立校で、不審者の侵入はほぼ不可能だった。そこで浮かび上がったのが、不登校気味でほとんど通学していなかったのにも関わらず事件当日だけに姿を表し、事件後に姿を消した九条ナツという女子生徒だった。被害者と同じ高校一年生、十六歳だった彼女の犯行とするには、不審な点も多かったし、誰もがそれを否定したがった。しかし否定しきれないことも事実であった。
九条ナツという女子生徒が行方をくらまして半年後、また同じ高校で第三の殺人事件が起きた。亡くなったのは巽谷カオリという、これもまた一年生の女子生徒。巽谷カオリはしょっちゅう授業をさぼっては街へ出て遊び、そこで性質の悪い仲間ともつるんでいたと言う話だった。殺された現場も自宅近くの道路沿いで、犯行時刻も深夜ということで、おそらく仲間の間でのトラブルに巻き込まれたのだろうというのが見立てだった。しかしその仲間たちは、巽谷カオリはその夜酷く泥酔し、友人だと名乗る少女の手で家へ送られて行ったのだと話した。警察はその話にあった巽谷カオリの友人という少女を探したが、目撃情報が得られるばかりで本人とは一度も接触できなかった。その際、目撃情報や巽谷カオリの仲間の証言からモンタージュが作られた。すると、その似顔絵が、半年前の栗栖遊月の殺害で捜査線上に名前が挙がっていた九条ナツに酷似していたのだ。
三つの事件は、九条ナツによる連続殺人事件と断定された。しかし彼女の行方が分からず、警察は、異例ではあったが指名手配の上、実名と顔写真および似顔絵の公開に踏み切った。
さらに、第一の事件では被害者の家の近所に灰乃郁風が住んでいた。そして第二の事件で殺された栗栖遊月は、父親がK2社社長の栗栖響介で、巫月という名の双子の妹がいた。遊月と巫月の二人が通っていた高校に、灰乃郁風と大賀俊佑も同じく通っていた。妹の遊月と二人は同級生である。
今回の事件に話を戻そう。以上の一連の事件と今回の事件とを隣り合わせにして見比べると、奇妙なほど一致が多い。主に登場人物の一致である。
野田小学校の立てこもり事件での人質は大賀友佑、大賀俊佑の弟である。
ついさきほど連絡の入ったK2社の占拠、人質となっているのは社長、つまり九条ナツの第二の殺人での被害者、栗栖遊月の父親である。
そして、これは単なる偶然かもしれないが、いま灰乃が現場へ向かっているという事実。しかし全てが偶然かもしれない。事件に居合わせた人物たちが、あの頃とたまたま一致したというだけのことかもしれないのだ。
だからどうした?
いや、まだ何も分からない。そもそも小学校の立てこもりとK2社の占拠の二つの事件を関連させて考えていること自体間違いなのかもしれない。
いまはまだ情報不足だ。余計な推測は立てないようにしようと思う灰乃だった。
しばらくして灰乃は、現場であるK2社に到着した。赤い回転灯が目線の先にちらつく。そして人混み。
人の群から少し離れた場所でパトカーから降りた灰乃は、一番人口密度の高い場所へ足を向けた。人々の頭より高い捜査車両の屋根が見えている。
まるで前人未踏のジャングルを進むかのように人混みを掻き分け、やっとくすんだ白色の捜査車両に辿りついた。
そのドアをあけようとすると、先に中から誰かがそれをあけて顔を出した。男だった。彼は一瞬灰乃を観察、そして言った。
「特捜じゃないな。応援か?」
灰乃は小さく頷いた。
「ええ。強行犯係の灰乃です」
「偉く華奢な奴がきたな。まあ関係ないか。とにかく入れ。一人か?」
「はい」
どうやら現場担当の特別犯捜査係の刑事らしい。彼に招き入れられた捜査車両の中には、意外と人が少なかった。
「全く……あっちにみんな行っちまうもんだからこれだ」
灰乃を招き入れた男が言った。あっち、とは野田小学校の一件のことだろう。
見渡すと車内にいる刑事らしき人間は、五人ほどだった。いくらなんでも少なすぎる。ということは、本部はここではなさそうだ。
「ここは本部との連絡用だ。あんたにもここを頼む。もう二人、現場にやるつもりだ」
「了解しました」
男はすでにヘッドホンを外して待機していた二人の刑事に目線で示した。二人が頷いて、灰乃に小さく会釈して車から出て行った。
残りは男を含め元々した五人から二人減って三人、そして灰乃の四人。どうやらここで、別の場所にある本部と犯人側との連絡の中継点的な役割を果たしているらしい。
男は名前を関と言った。彼の話に寄れば、すぐ近くにあるの会議室を現場で仮に本部として使っているそうだ。しかしあまり広さがないため、機材を室内へ持ち込むことはできずにここでこうして中継しているという。
灰乃はヘッドホンを手渡されたが、まだつけなくていいと言われて首にかけるに留めた。
彼が概要しか知らないと関に伝えると、彼は詳しく話を聞かせてくれた。きっと手持ち無沙汰だったのだろうと灰乃は想像した。
事件が起きたのは十二時前、野田小学校立てこもりの一件が十一時過ぎだったから一時間も経たないうちにK2社の占拠は起きたということになる。通報はK2社の社員で、社長秘書の井川瑠璃子という女性からだった。警察が到着した頃には、現場はすでに大騒ぎだった。なぜなら、犯人の要望によってK2社の社員が全員、一階エントランスとさらにその外へと人が溢れていたからだ。さらにこれだけの事態を聞きつけたマスコミや野次馬によって、警察はエントランスに近付くことですでに汗していたという。
さすがに社員全員に事情を聞くわけには行かず、通報してきた井月瑠璃子とK2社令嬢で社員の栗栖巫月に事情を聞くことにした。
井月瑠璃子は栗栖響介の秘書で、犯人が乗り込んできたときは最上階の社長室で栗栖本人と一緒だったそうだ。そこへ、どういう経緯を経てどういう経路を通ってか、武装した犯人が二人入ってきた。瑠璃子と栗栖の二人に銃をつきつけ、瑠璃子には出て行くように命じた。彼女は命じられるまま出て行き、その後栗栖がどうなっているかは誰も知らないことになる。社長室へ乗り込んできた犯人は男女一人ずつだったようだが、瑠璃子が最上階からエントランスへ抜ける間、いたるところに同じ武装をした人間が立っていたという。彼らは瑠璃子に何もコンタクトしてこなかったそうだ。
一方、栗栖巫月は、いま建物の中で人質になっている栗栖響介社長の娘である。巫月はシステム部で社員として働いており、事件が起こったちょうどその時間も四階にあるシステム部のフロアで仕事をしていたそうである。そこにも武装した連中がやってきて、彼女たち社員を全員追い出したのだと言う。システム部はK2社の中枢だから、心配だと巫月は話した。
「まあ、そんなところだ。こっちにはそれ以上の情報は入っていない。捜査方針も、まだだ」
一体何をやってるんだか、と関刑事は呟いた。
「それにしても暇だ」
それは確かにそうだった。連絡と言う連絡もない。関の話を聞くために首にかけていたヘッドホンも、ひっそりと静まり返ったままだ。
なぜここで人質にしなければならなかったのだろう、と灰乃は思う。犯人の目的が全く分からないという点で、野田小学校占拠の一件と似ているとも考えられる。そもそも、どうして自分が今日起きた二つの事件を関連付けて考えようとしているのかも分からなかった。
何となくだった。何か言葉に出来る明確な理由があるわけではなかったが、言葉に出来ない何かが似ている気がしたのだ。これが、ひらめきかあるいは直感、第六感というものなのだろうか。こういうことは何度かあった。
しかし、当たっていたかどうかを確かめたことは、一度もなかった。