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1st 【序曲、名は殺人】−1

 すっかり喧騒に包まれた披露宴の会場から、一人の男が出てきた。彼は欝陶しそうに背広のネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを一つ外し、そして壁にもたれて一息つく。

 男――大賀俊佑おおがしゅんすけというこの男は、このような華やかで騒がしい席がどうも苦手だ。今日こうして参加している結婚披露宴でさえ、新婦方の人々にどうしてもと頼まれて渋々やって来ているのだ。 大賀は何をするでもなく、ただ黙ってそこにいた。強いてしたことといえば煙草に火を点けて咥えたくらい。

 だが、しばらくそうして煙草を吹かしていると、披露宴会場から漏れ聞こえる賑やかさとはまた別の種類の騒々しさが聞こえてくることに気付いた。どうやら、廊下の奥のレストランから聞こえてくるようである。大賀は壁から離れて、その音のする方へ足を向けた。

 嫌な空気が漂っているというのが彼には分かった。紺色の制服を着て銀色の四角いケースを持った人間ががその奥のレストランに慌しく出入りしている。喧騒はどんどん大きくなり、やがてレストランの中から客が出てきた。

「どうしたんですか」

 その客の中の一人の男に、大賀は声をかけた。

「人が死んだんだよ! 殺人じゃないかって話だ」

 へぇ、と大賀は声を漏らす。だがその様子から、中で起きている出来事を気味悪がったりするような素振りは見られない。むしろ楽しんでいるようにすら見えるだろう。例えていうなら、ジェットコースターに初めて乗る直前の子供のような、そんな好奇心旺盛な顔だ。

 警察が到着したようだ。大賀が目を引かれたのはその先頭を歩く一人の男だった。どうやら彼も刑事らしいのだが、その容貌は整っていて、強そうでごつい刑事のイメージがなく、むしろ華奢な体系だった。一言で言えば、刑事には見えない。だが大賀にはその人物にあてはまる刑事の知り合いが一人いた。

 大賀はすぐにその人物を思い出して、唇の片端を吊り上げるようにして微かに笑った。




 しばらくして、騒ぎは多少収まったようである。そんな中、二人の背広の男がなにやら話し込んでいる。

「ですから、できる限り内密に……」

 額に玉のような汗を浮かべながらそういう男は、事件現場となったレストランの店長のようだ。顔つきの整った男が、その向かいで応対している。彼はどうやら刑事のようだ。

「ええ、もちろん分かっています。他で執り行われている式やパーティーには影響しないように、できる限り努力します」

 そう言った後でその刑事は、

「客と従業員を一つの部屋に集めてください」

 と付け足した。脇の部下二人が頷いて、どこかへと小走りに向かう。それを聞いた責任者は顔を青くして言う。

「ですから、そんなことをされては……!」

「申し訳ありませんが、これ以上のことはできません」

 そう言い終えるのと同時に、先ほどの二人の部下が戻ってきた。

「レストラン内にいた関係者を集めました、灰乃はいの警部」

「ご苦労様です。では行きましょうか」

 灰乃と呼ばれた刑事はそう言って二人の横を通って先に行ってしまいそうになる。慌てて部下の男はそれを止める。

「あ、警部! あちらに警部のお知り合いとおっしゃる方が……事件の関係者ではないようですが、どうします?」

 振り返った灰乃は訝しげに目を細め、

「私に?」

「そう言っています」

 部下の示す方向を見ると、黒い背広に緩くネクタイを締めた男が数メートル先にいた。それを見て灰乃はすぐに思い当たる節があるようで、

「先に行って下さい。人を集めて、型通りの聴取を」

 と部下の二人に言った。

「警部は?」

「少しサボります」

 と灰乃は立てた人差し指を微笑した口元にかざして、旧友のもとへ歩んで行った。

 その後ろで部下の二人が呟く。

「……あの人、クールなんだか子供っぽいんだか、分からないな」

「同感だ」




 二本目の煙草をふかしていた大賀は近付いてくる男に気付いて、もたれていた壁から背中を離す。ついでに近くの灰皿に煙草を押し付けた。そこにいた理由は単に灰皿が近かったからだ。相手に見えやすかったのはたまたまである。

「よう」

「お久しぶりです」

 相手――灰乃郁風はいのかおるは至って丁寧に返してくる。友人相手にいささか丁寧すぎやしないかとも思うのだが、これが彼の常である。

「嫌な世の中だな。事件か?」

「ええ。俊佑は?」

「依頼人の結婚式」

「それは良い話ですね。――何の依頼を?」

「離婚調停だよ」

「それはまた……滑稽な、と言っては失礼でしょうね」

 と灰乃は苦笑した。

「そりゃな。そっちの方が楽しそうだな」

「そんな訳ないでしょう。――殺人です」

「ああ、聞こえてたよ。詮索する気はないからな」

「されても言えないというか、話すような情報がまだないのですが」

 大賀は少し笑って、懐から三本目の煙草を取り出して火を点ける。そして一度大きく吸い、煙を吐き出す。――紫煙が天井へ昇った。

「戻れよ、仕事。職務怠慢はよくないからな」

「そうですね、仕方ありません。――それでは」

 灰乃は軽く頭を下げて歩き出す。大賀はその背中へ、

「郁風。次の非番、飲みに行こうぜ」

 と、投げかけた。

 灰乃はその言葉には振り向かず、連絡しますと片手を上げて答えた。

 傍の灰皿に煙草を押し付けて、大賀はその後姿を見送る。レストランの入り口を見張る制服警官に片手を挙げている彼の姿を見て、すっかり様になったもんだと思った。

 レストランの中で起きた事件について興味があったものの、関係者でもない彼が情報を得られるはずもなく、大賀は諦めて帰路に着いた。



*  *



 翌日、朝起きてテレビをつけると、ちょうどニュースがやっていた。どうやら昨日のNホテルのレストランでの一件は、殺人事件と断定されたようだ。

『どうやら今回の担当は灰乃警部ということで、注目されそうですね――』

 そんな声がスピーカーから聞こえて、大賀は少し笑った。自嘲のような笑みだった。

 灰乃郁風と大賀は高校の同期だ。灰乃は今、警視庁の刑事課に所属し、警部まで昇格している。警察組織に入ったときから灰乃は一目置かれていた。キャリアでもない彼がここまでのスピード昇進を遂げたのは、自身の実力の賜物だ。

 一方大賀は、一人弁護士事務所を開いて細々と暮らしている。舞い来る依頼はとくに面白いとは思えない。今さらだが、自分も警官になればよかったと思うこともしばしばである。

 「灰乃警部だから」などとは、よく言ったものだ。別にそこまで彼を上に見ることもないと思うのは大賀だけなのだろうか。

 そんなことを考えて、大賀はすぐに頭を振った。自分だってそうだと思いなおした。

 どうせ今日も暇だ、ゆっくりしていようと大賀はテレビを消して、椅子に腰掛け目を閉じた。




*  *



 被害者の名前は、碓井耕一。六十二歳。レストランのオーナーで、事件のあった昨夜はちょうどそこの視察に来ていたのだそうだ。

 現場はレストランの倉庫だった。狭苦しい棚と棚の間で被害者は倒れていた。死の直前に苦しさからかもがいた形跡があり、周囲にはダンボールやその他の雑品が散乱していた。

 死因は毒物による中毒死。アルカロイド系毒物の、アコニチンによるものである。

 昨夜の事件の容疑者は多すぎて、今もまだ事情聴取が続いている。場所がホテルだったこともあり、事件発覚時にレストランに居合わせた人物は、従業員も含めて皆そのホテルに泊まるよう手配され、事情聴取が終わり次第、自由にすることとした。

 灰乃もその活動に先ほどまで参加していて、一睡もしていない状態。猛烈な眠気が灰乃を襲った。

 と、そのとき彼のマナーモードにした彼の携帯が震えた。ディスプレイを見ると、大賀俊佑である。

「灰乃です」

『眠そうだな。起こしたか』

「いえ、今やっと聴取から解放されたところです。なにか?」

『気になったものだから、ちょっとな』

「捜査情報は漏らせませんよ、いくら俊佑とは言えね」

『それ本当か?』

 と少し笑みを含んだ声で大賀は言った。

『お前がまた無理するんじゃないかと思ってな』

「ご心配をどうも。以前のような子供ではありませんから、大丈夫ですよ」

『子供じゃないから余計心配なんだよ。大人は無理しても大丈夫だと思ってないか?』

「否定できませんね」 

と灰乃は苦笑した。

『どうやら今回のヤマはややこしそうだしな、いろいろと。長引くだろう』

「貴方のそう言う予想は昔から良く当たりますから、恐いですね」

 灰乃は苦笑した。

「心配は要りませんよ、俊佑。僕は――ああ、駄目ですね。貴方と話すとつい地が出てしまう」

『そんなこと気にしてるのか? アホか、お前』

「失礼ですね。社会人ですから『僕』はないでしょう。まあ、僕も自分の体調管理くらいはできると思います。それから、飲みに行く話、どうやら先延ばしになりそうですね。貴方の予想によれば」

『仕方ないだろ、気にするな。じゃあな、倒れるなよ郁風』

「気を付けます。では」

 ピッと通話を切って溜め息を灰乃は漏らした。そしてふっと笑みを浮かべる。

 この職場にいると、以前のような嫌味や妬みは聞こえない。ただ尊敬の眼差しで皆が灰乃を見る。彼はそれがあまり好きではない。どこか疎外されている気がしてならないからだ。だが大賀だけはいつも違う。自分と灰乃を同等の存在と見なして接してくるからこそ、いつまでも彼の前だけでは我が出せる。不思議なものだ。

「相変わらずなのは、僕も彼も一緒ですね……」

 椅子の軋む音が、静かな部屋に妙に響いた。



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