↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

空き巣のサイン       :約3500文字

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/10/04

 とある平凡なアパート。築年数もそれなりで、外廊下の床にはところどころひびが入っていた。

 男が部屋を出て、ふと息をついたそのときだった。


「あのー……」


「えっ」


 隣の部屋のドアがふいに開き、そこから住人がひょいと顔を覗かせた。中年で小太り、髪はぼさぼさで、くたびれた部屋着を着ているという、いかにもだらしなさそうな風体の男だった。

 その住人は玄関から外へ一歩踏み出すと、男の顔と今しがた出てきたばかりの部屋を交互に見比べた。


「空き巣さん……ですよね?」


「……は?」


「いや、空き巣ですよね? だって、その部屋の人じゃないですもん」


「……いいえ」


「あ、いいんです、いいんです。そういうのじゃないんで」


「そういうのじゃない……? いや、あの、普通にこの部屋の人の友だちなんで。ちょっとコンビニに行くとかで、留守番頼まれたんですよ」


 男は困ったように笑った。すると住人は「いやいや」と苦笑しながら首を横に振った。


「隣の方が出かけたのは、もうだいぶ前のことですし、友だちだったら、あんな物音を立てないように静かに動いたりしないでしょう。それに、五分かそこらしか中にいなかったじゃないですか」


「いやー……ちょっと自分も用事を思い出して。じゃあ、失礼します」


 男はそう言って顔を伏せ、立ち去ろうとした。


「警察に言いますよお。ちょっと聞きたいことがあるだけなんですけどね」


「聞きたいこと……?」


 男は足を止め、ゆっくりと振り返った。住人は笑みを浮かべて廊下に出てくると、ドア脇に設置されたガスメーターの前に立ち、男に向かって手招きをした。

 男は訝しがりつつ歩み寄った。


「いや、ね。マーキングっていうんですか? 空き巣の方々って、下見の際にその家の住人の特徴なんかを記録しておくそうじゃないですか」


「あー……まあ、そういう話は聞いたことがありますね……」


「ポストとかメーターボックスにシールを貼ったり、記号を書き込んだりして、次に来たときに一目でわかるようにしておくんでしょう? で、ここにもほら」


「ああ、あります……ね」


 男はガスメーターに視線を落とし、小さく頷いた。そこにはいくつかの小さなシールと意味ありげな記号が並んでいた。


「でしょう? でね、その意味をぜひお聞きしたいなと思いまして。プロの方から直接」


「いや、プロというか……」


「いやいや! ご謙遜なさらずに!」


 住人は大げさに手を振った。


「そういう意味でもないんですけどね」


「いや、私もね、ネットでいろいろ調べてみたんですけど、どうしてもわからないものがありましてね。ええと、まず、この青い小さなシールなんですけど、これは男性って意味ですよね?」


 住人はガスメーターの脇に貼られた青い丸のシールを指先でとんとんと示した。


「ええ、まあ……そうらしいですね」


「女性の場合はピンク色だとか。まあ、わかりやすいですよね。それから、この紫のシールは一人暮らしってことでいいんですよね?」


「ええ、そうなんじゃないでしょうか……」


「で、金色のシールが裕福な世帯って意味らしいですね。いやあ、なるほど。実によく考えられているなあと感心しましてねえ。だってねえ、言ってみればすべての住宅が獲物なわけじゃないですか。もちろん、入りやすそうな家にある程度絞り込むんでしょうけど、それでも全部を記憶しておくのは大変ですし、細かくメモなんてしていたら、それが証拠品になっちゃいますもんね」


 住人は顎をさすりながら、うんうんと頷いた。

 しかし、ふいに「でも……」と一度言葉を切り、眉を寄せた。


「ここに貼られているこのシール、茶色なんですけど、これはどういった意味なんでしょう?」


 住人は小首をかしげ、ガスメーターの下のほうに貼られた小さな茶色いシールを指さした。


「えっと……」


「『おじさん』とか、そういう意味ですかね。ははは、いやあ、でも若く見えるってたまに言われるんですけどねえ」


「『キモい』ですね」


「キモい!?」


「あと嘘つきとか変態とか」


「そんな意味が……いや、全然そんなことないですけどね、私。ははは……」


「嘘つき……か」


 男は住人の顔をじっと見据え、小さく頷いた。


「ま、まあ、それはひとまず置いといて。記号も使うそうじゃないですか。ええと。〇だと『侵入できる』だとか、そういう意味なんですよね?」


「まあ、そうですね」


「△だと注意が必要で、×は侵入できない。これはまあ、見たまんまだからわかりやすいですよね。で、で、なんですけど……この黒い逆三角形はいったいどういう意味で……?」


「これは『不潔』ですね」


「不潔!?」


「いわゆる汚部屋ってやつですね。入る価値なし」


「い、いや、普通に綺麗にしてますけどね……」


「陰毛がたくさん落ちてる、とか」


「そんな細かい意味まで……」


 住人は思わず下を見つめた。


「あ、あとですね、アルファベットも使うらしいじゃないですか。Mが男性で、Wが女性とか」


「ええ。Sは一人暮らし。Fは家族で暮らしている。Rは留守。小文字のwは平日。なので、wRなら『平日は留守』という意味ですね。まあ、私はシール派ですけどね。ああ、数字も使いますよ。8-20と書いてあれば、『朝八時から夜八時まで留守』という意味になります」


「おお……ありがとうございます……。なるほど、アルファベットと数字の組み合わせかあ……。で、で、で、なんですけど、ここにMってあるんですが、なぜか横向きに書かれているんですよね。これって、何か意味が……?」


「クソ無職ですね」


「クソ無職!? いや、クソをつける必要ありますかね……」


「他にも引きこもりとか、ほとんど家から出ないとかそういう意味も含まれてますね」


「い、いやあ、別に忙しくしてますけどねえ。これでもあのー、大企業とかに勤めてますし」


「ここに『0-24』って書かれていますね。これは二十四時間ずっと家にいるという意味です」


「おー……ま、まあ、リモートワークとか流行っていますからね……家にいてもちゃんと仕事はできますから……」


「マーキングには漢字やカタカナなんかも使うんですよ。例えば、学生なら『学』。留守だと『留』や『ル』。赤ちゃんがいると『赤』」


「へー、じゃあ、ここに書いてある『ゴ』は?」


「『ゴミクズ野郎』の『ゴ』ですね」


「でしょうね。いや、そんなことないんですって! 私はね、これでも昔はちゃんと……ちょ、今何を貼ったんですか!? なんですか、この藻みたいな色は!」


「まあ……ね。ふっ」


「絶対ろくな意味じゃないでしょう! もおおう!」


 住人は甲高い声を上げ、シールを剥がそうと爪でカリカリと引っかき始めた。

 男はその様子を見ながら、ゆっくりと後ずさりした。


「……くださいよ」


 距離を取り、踵を返して立ち去ろうとしたそのときだった。住人が低い声で言った。


「はい……?」


「金色のシール。貼ってくださいよ!」


「いやあ、嘘はちょっと……」


「お花! お花のシールもください! 部屋もちゃんと綺麗にしてますから」


 住人は誇らしげに胸を張った。


「花のシールなんてありませんよ……」


「とにかく貼ってください。さあ、どうぞ」


 住人はそう言うと、玄関のドアを開け、部屋の奥を手で指し示した。


「どうぞって……」


「ちゃんと中を見ていってください。そして気に入ったものがあれば盗ってください。その上で、正しいシールを貼ってください」


「盗っていいんだ」


「さあ、どうぞ。さもないと警察に言いますよ」


「どういう情緒なんですか」


 男は頭を掻きながら、呆れたように近づいた。

 そして、部屋に足を踏み入れようとしたそのときだった。ふとガスメーターに目をやった男は小さく首をかしげた。色とりどりのシールや記号が所狭しと並ぶ中、片隅に見慣れない赤い文字が小さく書き込まれていた。形が崩れており、一瞬見ただけでは何か赤いものが擦れてついた跡のように見えるが、確かに文字のようだった。


「これ、なんだ……?」


 男は身をかがめ、目を凝らした。


「S……O……S……?」


「ささ、いいからどうぞ中へ。意外とお金ありますから」


「はいはい……いや、茶色だな」


 男は小さくぼやき、部屋の中へ入っていった。

 そしてドアは静かに閉じられた。


 翌日――ガスメーターには金色のシールがびっしりと貼られていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。