第三十五章:フライパンの轟音と、冷房強めのサーバー室
おばあちゃんペガサスの純白の翼が、電子バリアの赤いハニカム構造の光に焼かれ、黒い煙を上げて焦げ付いた。 痛々しく翼を横たえ、息を切らすおばあちゃん。その姿を見て、歩花が涙を流し、キョムの虚無の魔力が、静かな怒りを帯びて滾り始める。
「……ビビろう。前に出ろ」
「う、うぅぅ……! なんで俺が先頭なのさぁ! あの赤いハニカムに触ったら、俺のミスリルの大楯だって溶けちゃうかもしれないじゃん! 怖い! 死にたくないよぉ!」
ビビろうが涙目で、大楯を抱え込んで後ずさりする。 だが、キョムの漆黒の目が、ビビろうの目を真っ直ぐに射抜いた。
「……お前の『弾く虚無』と、俺の『呑み込む虚無』だ。あいつが俺たちと同じだと言うなら、俺たち二人で、あの壁を物理的にこじ開ける。……手を貸せ」
「えっ!? 手を貸すって、どうすんの!?」
キョムは答えず、ビビろうの背後に回り込んだ。 そして、ビビろうが両手で必死に抱え込む【ミスリルの大楯】の縁を、キョムが背後から無言で、力強く掴み取った。
――ズ、ゥゥゥン。
キョムの呑み込む虚無と、ビビろうの弾く虚無が、ミスリルの大楯を媒介にして「直結」した。 夢の中で見た、あのアナザーワールドのパイプライン。キョムが周囲の空間とバリアの電子エネルギーを呑み込み、そのエネルギーを即座にビビろうの過剰な臆病(反発力)へと変換して、大楯の正面へと超・高密度の斥力として「吐き出す」。
呑み込んで、吐き出す。 佐藤が自慢していた「自己完結した完全な循環(ホワイトホール&ブラックホール)」が、今、キョムとビビろうの二人三脚によって、この大理石の広場に疑似的に再現された。
「う、うわあああああっ! なんだこれ! 楯が、楯が勝手に前に進もうとしてるぅぅぅ!!」
ビビろうの絶叫と共に、大楯の表面から、空間を白く染め上げるほどの圧倒的な「白い斥力の光」が放射された。 キョムが無表情のまま、ビビろうの背中を押し、赤い電子バリアへと大楯を力強く押し当てた。
――バチバチバチィィィッ!!!
赤黒い電子バリアと、白き虚無の斥力が正面から衝突し、周囲の大理石の床がメキメキと音を立てて砕け散る。 バリアが、キョムたちの循環に耐えきれず、ピキ、ピキ、とガラスのようにヒビが入り始めた。
物理特化の聖女
「おばあちゃんを、傷つけるなんて……絶対に許しませんっ!」
その時であった。 ヒビの入った電子バリアの前に、一歩、歩みを進める少女の影があった。
歩花である。 涙を拭い、その美しい顔に「静かなる怒り」の笑みを浮かべた聖女。 彼女の両手には、キョムが虚無の底から取り出した、ただの使い込まれた【鉄のフライパン】が握りしめられていた。
歩花の全身から、圧倒的な桜色の浄化のオーラが立ち上る。 それは、実体のない魔獣の魂をも切り裂く、世界で最も純粋で、最も苛烈な「聖なる魔力」。 歩花はその膨大な聖なるオーラを、魔法として放つのではなく、ただ一点――両手のフライパンの底へと、限界を超えて「凝縮」させた。
「はああああああっ!!」
裂帛の気合いと共に、歩花が跳躍した。 キョムとビビろうの虚無の循環によって、ピキピキとヒビの入っていた電子バリア。その最大の亀裂の入った一点に向けて、歩花がフライパンを、両手で渾身の力で振り下ろした。
――ガギィィィィィンッ!!!
タワーの周囲に、凄まじい鉄の打撃音が木霊した。 フライパンから放たれたのは、聖なる魔法ではない。純粋な質量と、凝縮された聖なるオーラの「物理的な一撃」。
パリン、というガラスの砕けるような音と共に。 古代魔王が誇る絶対的なセキュリティ・電子バリアが、歩花のフライパン殴打によって、粉々に砕け散った。
(な、何という……! 吾輩の三尾の金炎でも傷一つつけられんかった電子の壁を、ただの鉄の調理器具で叩き割ったというのか……!)
コンタが、三本の黄金の尻尾をボウボウと逆立て、子犬の目を点にして絶句している。ニャメもまた、キョムの足元で「ナァウ」と引き気味の声を漏らした。
「やった……! 砕けました、キョムさん!」
フライパンを構えたまま、額の汗を拭って微笑む歩花。 ビビろうが、ミスリルの大楯を抱え込んだまま、ガタガタと震えて呟いた。
「……物理特化の聖女、マジで世界一怖いよぉ……!」
魔王からの通信
バリアが砕け散り、タワー内部へと続く階段が、無防備に姿を現した。 キョムは無表情のまま、歩花のフライパンを見つめ、静かに頷いた。
「……ナイス打撃だ。歩花」
「はいっ!」
その時。 キョムのコートのポケットに入れていた、バキバキのスマートフォンが、ピリリと電子音を立てて震えた。 キョムがスマホを取り出し、画面をタップすると、自動的にスピーカーから、あのひょろっとしたオタク風の魔王・佐藤の気の抜けた声が響き渡った。
『あー、もしもし? 聞こえる? いやぁ、力技で来るのは予想してたけどさ、まさか物理のフライパンで叩き割るとは思わなかったよ。令和の勇者パーティー、ちょっとデタラメが過ぎるんじゃないかな?』
「佐藤、お前……おばあちゃんの翼を、よくもっ!」
歩花がスマホに向かってフライパンを突き出し、ぷんぷんと怒る。
『あはは、ごめんごめん。バリアは自動セキュリティだからさ。……まぁ、タワーのバリアも壊されちゃったし、君たちのやる気は十分に伝わったよ。サーバー室、ちょっと冷房を強めにして待ってるからさ。風邪ひかないように、気をつけて上がっておいでよ。じゃ、お待ちしてまーす!』
ブツッ、と通信が切れた。 静寂が、再び大理石の広場を支配する。
「……サーバー室の冷房。上等だ」
キョムが無表情のまま、スマホをポケットに仕舞い込んだ。 おばあちゃんの翼を焼いた報い。そして、この世界の不条理なゲームを終わらせるための、真なる決着。
「……行くぞ。佐藤を、物理的にぶん殴る」
「だから、俺が先頭なのさぁぁぁ!」
ビビろうの絶叫を乗せ、おばあちゃんを広場の安全な場所に休ませたキョムの一行は、ついにデータタワーの階段を駆け上り、ひょろっとした魔王の引きこもる「最上階サーバー室」へと向けて、全力の最終突撃を開始するのであった。




