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第三十章:虚無の佐藤と、実体のない魔王

玉座の間に姿を現した、ひょろっとした現代日本のオタク風の男。  彼こそが、この世界のすべてを恐怖に陥れてきた古代魔王――前世の名を「佐藤」という。

チェック柄のシャツの胸ポケットをいじりながら、佐藤はヘラヘラとした薄笑いを浮かべ、台座のバキバキのスマホを愛おしそうに見つめた。

『いやぁ、驚いたよ。まさか僕と同じ「虚無」の性質を持つ者が、この時代に二人も現れるなんてね』

「……お前も、虚無の持ち主なのか」

キョムが無表情のまま、ぽつりと呟いた。  佐藤は、黒縁メガネをクイと押し上げ、まるで研究発表でもするかのように、得意げに語り始めた。

『そうさ。君たちの虚無は、一人がすべてを呑み込む「入りブラックホール」で、もう一人がすべてを吐き出す「出口ホワイトホール」だろう? 夢で見た通りだよ。……でもね、僕の虚無は違う。僕は、その**「入り口と出口、両方を一人で内包している存在」**なんだ』

佐藤の言葉に、真顔になっていたビビろうの眉がピクリと動いた。

『呑み込んで、吐き出す。自己完結した完全な循環。だから僕は、この世界に牙を剥く魔獣の瘴気も、人間の悪意も、すべてを自分一人で循環させて、魔力へと変換し続けることができる。……そしてね、ここからが重要なんだけど』

佐藤は、歩花へと視線を向け、にんまりと不気味な笑みを深めた。

『僕の力は、世界を滅ぼす「魔」の力なんかじゃない。ただの物理的な「虚無の循環」だ。だから、歩花ちゃん。君の放つ、どんな悪をも打ち倒す圧倒的な聖なる浄化の光も、僕には一切効かない。だって、僕は「悪」じゃないからね。ただの、虚無の物理法則さ』

「そんな……私の光が、効かない……!?」

歩花が、息を呑んでたじろいだ。  これまでどんな亡霊もレイスも一瞬で光へと還してきた、無敵の聖女の力が、このオタク風の男には通用しない。コンタとニャメも、そのデタラメな理論に、不快そうに牙を剥いた。

『僕だって、最初から魔王になりたかったわけじゃない。前世の日本じゃ、居場所がなかったんだ。誰も僕を理解してくれない、狭苦しくて、息苦しい灰色の世界。だから、自分の「居場所」を求めて、この魔素に満ちた世界にたどり着いた。……ここは最高だよ。僕の虚無の循環を、無限に拡大できるからね!』

佐藤は両手を広げ、世界の果ての深淵城を見上げた。  孤独なオタクが、自分の居場所を作るために、この世界をシステム(スマホ)で書き換え、魔王として君臨した。それが、古代魔王の真実。

『だからさ、君たちには勝てないよ。……どうしても僕と戦いたいって言うなら、この深淵城のさらに奥、僕の本当の玉座のゲームルームまでおいでよ。歓迎するからさ』

佐藤が、ヘラヘラと笑いながら、一歩前に踏み出した。

「……待て」

キョムが、右腕の虚無の重力を解放し、佐藤の身体へとブラックホールを叩きつけた。  轟音と共に、佐藤のひょろっとした身体が、キョムの虚無へと呑み込まれる――。

はずだった。

キョムの虚無のブラックホールが、佐藤の身体をすり抜け、背後の壁を粉砕した。  佐藤の身体は、霧のようにブレて、ゆらゆらと光のノイズを放っている。

『あはは、無駄無駄。今ここにいる僕は、ただのホログラム(立体映像)だから。実体はもっと奥の、誰も辿り着けないサーバーールームにあるんだよねぇ』

キョムの無表情の仮面の下で、初めて微かな苛立ちが走った。  実体のないホログラム。攻撃も、虚無の吸収も、物理法則をすり抜けてしまう。

『まぁ、今回は君たちの「やる気」を見せてもらったし、これで引き上げるよ。……あ、そのスマホ(僕の古い端末)は、君たちに預けておくね』

佐藤は台座のスマホを指さし、最後に、どこか寂しげな薄笑いを浮かべた。

『もし、この世界に飽きて、やっぱり日本に帰りたくなったら、いつでもそれを使っていいから。パスワードは……君たちの前世のアパートの部屋番号だからさ。……じゃあね。良い旅を、勇者様たち』

佐藤のホログラムが、ノイズと共にパッと掻き消えた。  主を失った玉座の間に、しんと静まり返った沈黙が戻る。


スマホをポケットに

台座の上にぽつんと残された、バキバキの画面のスマートフォン。  キョムは無言で歩み寄り、そのスマホを拾い上げた。

「……どうするんですか、キョムさん。そのスマホ」

歩花が、おばあちゃんペガサスに乗りながら、心配そうに尋ねた。

「……預かっておく。あいつの言う通り、気が変わったら使えばいい」

キョムは、スマホの画面の電源を落とし、自分の影のマジックバッグ(虚無)の中ではなく、あえて自分の黒いコートのポケットへと、無造作に放り込んだ。

「う、うぅぅ……。ホログラムって何だよ! 殴れないじゃん! しかもあいつ、俺たち二人分のチート能力持ってるとか、ズルすぎるでしょ!」

ビビろうが、ミスリルの大楯をガタガタ鳴らしながら、いつもの半ベソをかき始めた。真顔だった先ほどの面影は、綺麗さっぱり消え去っている。

(ふん、ホログラムなどという小賢しい術、吾輩が九尾へと返り咲けば、一瞬で見破って本体を引きずり出してやるわ!)

コンタが、三本の尻尾をボウボウと逆立てながら、不敵に笑う。  ニャメも「ナァウ」と静かに頷き、キョムの首に巻き付いて、いつでも飛びかかれるように爪を研ぎ始めた。

「……仕切り直しだ。城を出るぞ」

キョムが踵を返し、深淵城の出口へと向けて歩き出した。  古代魔王佐藤の、実体のないホログラムと、圧倒的な虚無の循環。聖女の光が通用しない、世界で唯一の天敵。

日本への帰還チケット(スマホ)をポケットに忍ばせ、何もない男・キョム、聖なる少女・歩花、神獣の猫又・ニャメ、傲慢な三尾の狐・コンタ、ペガサスとなったおばあちゃん、そして、騒がしい虚無の男・ビビろう。  歪で最強の勇者パーティーは、世界の果ての玉座の間を後にし、ひょろっとした魔王を物理的にぶん殴るための、新たなる不条理の攻略法を求めて、黒い雲が渦巻く荒野へと、再び歩みを進めるのであった。


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