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第十二章:虚無の解放と、三つの聖(ひじり)

神聖王都の中心に聳え立つ大聖堂。その上空を、純白の翼を広げた神獣ペガサスが優雅に旋回していた。  二つの太陽の光を背負い、銀色に輝くたてがみをなびかせるその姿。それは、歩花にとって誰よりも懐かしく、温かい、あのおばあちゃんの魂が、この世界の濃密な魔素まそを得て再誕した姿であった。

『待たせたねぇ、歩花! 悪党どもに搾り取られて、よく耐え抜いたよ!』

ペガサスの脳内から直接響き渡る、おばあちゃんの威勢のいい声。  ペガサス(おばあちゃん)が虚空に向けて前足を一蹴りすると、大聖堂のバルコニーの周囲を取り巻いていた、教会の神聖結界がガラス細工のように粉々に砕け散った。白銀の雷が天から降り注ぎ、歩花を拘束しようとしていた教会の枢機卿すうききょうたちを、文字通り一網打尽に吹き飛ばす。

「お、おばあちゃん……!」

歩花は、バルコニーの欄干を握りしめ、歓喜の涙を流した。  だが、安堵している暇はなかった。大聖堂の正面、大理石の重厚な大扉を、轟音と共に内側から粉砕して、一人の男が静かに姿を現したからだ。

キョム。  その細い身体からは、光も、闇も、この世界の魔素の循環すらも、すべて音もなく吸い込んで消し去ってしまう「絶対の虚無」が立ち上っていた。

「……歩花。迎えに来た」

キョムの、静かな、感情の起伏のない声が、大聖堂の静寂を切り裂いた。  彼の首には、白き神獣としての本来の威容を取り戻した二本尾の猫又・ニャメが巻き付き、足元には、この世界の魔素を吸って二尾へと格上げを果たした黄金の子狐・コンタが、誇らしげに胸を張っている。

そして、キョムの影からは、東洋の奇怪な妖怪たち――一つ目の大入道、鎌イタチ、巨大ムカデが、黒い瘴気を纏って音もなく這い出てきていた。

「な、なんなのだ、この化け物どもは……! 出会え! 神殿騎士団、聖光の英霊たちよ、この不浄なる異端者どもを、一人残らず神の鉄槌で焼き尽くせ!」

大聖堂の奥から、顔面を蒼白に歪ませた教会の最高位枢機卿たちが、狂ったように叫んだ。  大聖堂の広間から、白銀の甲冑を纏った何百人もの神殿騎士団が、一斉にキョムたちに向けて槍を構え、光の斬撃と、最高位の聖光魔法を放った。

「光よ、悪しき怪異を滅ぼせ!」

無数の光の矢と、巨大な光の十字架が、キョムの一行を押し潰さんと豪雨のように降り注ぐ。  だが、キョムはただ、静かに一歩、前に踏み出した。

「消えろ」

キョムが小さく呟くと、彼を中心にして、目に見えない「無」の領域が、全方位へと急速に拡大した。  神殿騎士たちが放った、眩い光の攻撃魔法が、その領域に触れた瞬間――。  轟音も立てず、煙も立てず、ただの光の粒子となって、キョムの虚無のブラックホールへと吸い込まれ、一瞬にして世界から抹消された。

「な、我らの、神聖なる光の魔法が……消失した……!?」

神殿騎士たちが、恐怖のあまり槍を取り落とし、ガタガタと震え始めた。  攻撃魔法も、威圧も、殺気も、すべてを無差別に無効化し、消し去ってしまう絶対の静寂。

その隙を、キョムの従魔たちと妖怪の軍勢が逃さなかった。

(クハハハ! 見るがいい、この世界の人間どもよ! 吾輩の、真なる九尾の狐の(まだ二尾だが)武威を思い知るのだ!)

コンタが吠えると、彼の二本の尻尾から、燃え盛る金色の狐火が放たれ、大聖堂の広間に火の海を作り出した。  首から飛び降りたニャメもまた、白き巨獣・猫又へと膨れ上がり、光のような速度で空間を跳躍すると、その鋭い爪の一撃で、神殿騎士たちの盾と鎧を、紙切れのように切り裂いていく。

さらに影から這い出た一つ目の大入道が、丸太のような腕で巨漢の騎士たちをまとめてなぎ払い、鎌イタチが突風となって神殿騎士団の陣形を切り裂き、巨大ムカデが柱を這い上がって、天井から麻痺の毒霧を散布した。

教会の誇る無敵の神殿騎士団が、東洋の妖怪たちの奇怪な戦法と、キョムの「無」の前に、一切の反撃もできずに蹂躙されていく。

「おのれ……! こうなれば、地下に封印されし古代の災厄を解放し、この異端者どもを、王都ごと道連れにしてくれるわ!」

追い詰められ、逆上した枢機卿たちが、祭壇の奥にある隠し階段へと駆け込み、地下深くに封印されていた古代災厄『深淵の魔王の心臓』の封印を、無理やり解除しようとした。

ズゥゥゥン……!  大聖堂の地下から、王都の全域を揺るがすような、不吉な地鳴りが鳴り響いた。  王都の大聖堂の地下に眠る、古代の魔王の心臓。それは、長年にわたり王城の人々を侵食し、教会の老人たちを欲望と傲慢で狂わせてきた、諸悪の根源であった。

封印が解かれ、心臓から、どす黒い怨念の瘴気が、噴水のように大聖堂の地下から吹き上がった。  その瘴気は、触れたものの生命力を吸い取り、精神を腐敗させる最悪の災厄。

「危ない、みんな離れて……!」  バルコニーから駆け下りてきた歩花が、叫びながら、自らの全身から桜色の光の結界を放ち、吹き上がる瘴気を必死に押し留めようとした。だが、解き放たれた古代の怨念の量は、彼女一人で相殺するにはあまりにも膨大であった。

「……歩花。無理をするな」

キョムが、歩花の前に進み出た。  彼は、自らの影(虚無のマジックバッグ)を、大聖堂の地下へと続く大穴に向けて、限界まで大きく広げた。

「全部、はいれ」

キョムの虚無のブラックホールが、大聖堂の地下から吹き上がる「魔王の瘴気」を、根こそぎ吸い込み始めた。  どれだけ膨大な怨念であろうと、どれだけ毒々しい古代の呪いであろうと、キョムの無限の虚無にとっては、ただの「体積のある無」に過ぎない。

シュゥゥゥ……。  王都を飲み込もうとしていた、どす黒い古代の瘴気の奔流が、キョムの影へと、音もなく、吸い込まれて消失していった。

「ば、馬鹿な……! 古代の魔王の怨念すら、呑み込んだというのか……!?」  枢機卿たちが、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。

諸悪の根源であった「魔王の瘴気」が、キョムの虚無によって瞬時に吸い込まれたことで、予期せぬ奇跡が起きた。  これまで魔王の心臓から立ち上る瘴気によって、無意識のうちに精神を毒され、教会との醜い権力闘争に狂わされていた「王家」の人々――国王や第一王子、そして騎士たちの目が、霧が晴れたように、驚くほど澄み渡ったのだ。

「……私は、今まで何をしていたのだ。教会の専横を恐れるあまり、聖女様を権力闘争の道具として扱おうとしていたとは……!」  大聖堂の外に兵を展開していた第一王子が、己の浅はかな支配欲に気づき、慙愧の念に耐えかねるように、その場に跪いた。魔王の心臓の毒から解放された王家は、真なる正気と誇りを取り戻したのだ。

大聖堂の静寂を取り戻した広間。  キョムは、静かに歩花の元へと歩み寄った。

「キョムさん……!」  歩花が、キョムの胸へと飛び込んだ。キョムは、その細い肩を、静かに、優しく抱きしめた。  キョムの絶対の虚無と、歩花の聖なる浄化の光。二つの世界の理を超えた霊性が、お互いの温もりを確かめ合うように、静かに共鳴していた。

王城を蝕んでいた毒は消え去り、教会と王家の歪んだ権力闘争は、キョムという規格外の虚無の出現によって、完膚なきまでに瓦解した。  正気を取り戻した王家の人々が、大聖堂の扉の向こうで、自分たちの国を真に救った男――キョムの姿を、畏敬の念を抱きながら見つめていた。

何もない男が、異世界で歩花と再会を果たし、王都の闇を呑み込んだ。  この事件は、キョムという存在の「底知れぬ力」を、この世界の王族たちに、決定的な事実として刻み込むことになる。

キョムが、この世界の真なる救世主として、歴史の表舞台へと引っ張り出されることになるのは、もう少しだけ、先のお話である。


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