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第十章:神獣の胎動と、聖女の軌跡

迷いの森の最深部、前人未到の聖域に残された桜色の光の残滓。それは間違いなく、かつて己の命を賭して九尾の狐と戦い、キョムと共にホワイトアウトの光の中に消えていった少女――雪村歩花の、魂の輝きであった。

キョムは、影のマジックバッグ(虚無)に仕舞い込んだ、歩花のピンクのワンピースのフリルの端切れに、そっと意識を向ける。かつて、孤独の極致にいた自分を、何の打算も、恐怖もなく受け入れ、美味しい揚げ出し豆腐を作ってくれた彼女の、温かい温もり。  この世界に、歩花が生きている。その確信は、何もない、虚無であったキョムの心に、消えない灯火をともしていた。

「……歩花の光が、森の向こうへ続いている」

キョムの静かな呟きに、足元で子犬サイズに縮んだ九尾の狐、コンタが、長く尖った耳をぴくりと動かした。その黒い獣の鼻をひくつかせ、大気中に漂う魔素と、歩花の光の粒子が混ざり合った、特異な匂いを嗅ぎ取っている。

(ふむ、間違いないな、キョムよ。あの小娘の気配、この鬱蒼とした森を抜けた先……この世界の『王都』の方向へと向かって、道標のように点々と刻まれておるぞ。どうやら、あやつもただ転生しただけではないようだな)

コンタが、真剣な瞳をして森の先を睨みつけた。  首のマフラーと化していたニャメも、静かに目を細め、その光の道を見つめている。ニャメにとっても、歩花はかつて自分を怨霊の呪縛から引き離し、救い出してくれた恩人であった。

「……王都、か。なら、俺も行く」

キョムは、迷いの森の暗い樹木を背にし、光の粒子が示す方角へと向けて、迷いなく歩き出した。


森を抜け、大街道を歩くキョムの一行。その道中、彼らの「霊的生態」にも、この世界の濃密な魔素まその影響による、劇的な変化が起き始めていた。

街道を進むにつれ、子狐のコンタの身体から、怪しい、だが神々しい金色の妖気が、陽炎のように立ち上り始めた。大気中の魔素を掃除機のように吸い込み続けた結果、彼の中に眠っていた、大妖怪としての「千年の魂」が、急速に再構築されつつあったのだ。

(おおお……! 吾輩の魂の炉に、力が、妖力がみなぎってくるのを感じるぞ! 見るがいい、キョム! 吾輩の偉大なる変化を!)

コンタが、街道の真ん中で、誇らしげに胸を張った。  すると、ポンッ! という小気味いい音と共に、コンタのお尻から、もう一本、ふさふさとした金色の尻尾が生え出でた。

「二本に、増えたな」

(クハハハ! 二尾の狐へと、吾輩の格が一段階、上がったのだ! この世界の魔素を吸い続ければ、三尾、四尾、そしていずれは、かつての畏るべき『九尾の巨躯』を完全に取り戻すことも夢ではない! 吾輩の、神獣としての威厳が、ついに復活するのだぁっ!)

コンタは、大威張りで、二本の尻尾をぶんぶんと振り回した。  しかし、そんなコンタの背後から、ひらりと、白い影が飛び出した。首のマフラーから地面へと降り立ったニャメが、退屈そうにあくびをしながら、自らの二本の巨大な尾を、ゆらり、ゆらりと揺らめかせる。

ニャメは、迷いの森の主を瞬殺し、その魔石をバリバリと喰らったことで、とっくの昔に、大妖怪「猫又」としての本来のスペックを完全に回復させていた。彼女の身体から放たれる、圧倒的な神獣としての純白の魔力が、二尾になったばかりのコンタを、物理的な威圧感で押し潰す。

(ぐ、ぬぅ……! あの猫め、やはり抜け駆けして、先に力を完全回復させていたか! 忌々しい!)

コンタが不貞腐れて、キャンキャンと吠える。  キョムは、そんな騒がしい従魔たちの小競り合いを無視し、ただ淡々と、歩花の光の粒子を辿りながら、世界の中心である王都へと歩みを進めた。


やがて、街道の果てに、迷いの森の街とは比べ物にならないほど巨大な、白亜の城壁に囲まれた大都市が姿を現した。  この世界の政治、文化、そして「信仰」の中心地――神聖王都である。

城門をくぐり、王都の活気あふれる石畳の街並みに入ったキョムは、奇妙な現象に気づいた。  王都の大通り、行き交う人々が、一様に同じ方向を向き、祈りを捧げるように跪いていたのだ。彼らの視線の先には、街の中心に聳え立つ、天を突くような巨大な「大聖堂」があった。

「……何か、あるのか」

キョムが、跪く通行人の一人に声をかけると、その男は、恍惚とした表情で大聖堂を指さした。

「あんた、旅人か! 見ろよ、大聖堂のバルコニーだ! 今日は、この王都に突如として降臨された『桜の聖女様』が、民衆に祝福を授けてくださる日なんだ!」

「桜の、聖女……?」

キョムの目が、大聖堂の遥か高みへと向けられた。  そこには、純白の法衣を身にまとった、一人の少女が立っていた。彼女の周囲には、この世界の魔素を圧倒的な聖性で弾き飛ばす、淡い、桜色の光が、満開の花のように咲き誇っている。

「歩花……!」

キョムの口から、自然と彼女の名前が零れた。  雪村歩花は、この神聖王都に転生し、その圧倒的な「浄化の力」をもって、現地の教会から『神の奇跡を体現する聖女』として、祭り上げられていたのだ。

しかし、キョムの目に映る歩花の表情は、どこか悲しげで、ひどく疲弊しているように見えた。

(……おい、キョム。あの小娘の光、何やらおかしいぞ。無理やりに、光を搾り取られているように視える)

コンタが、キョムの足元で、二本の尻尾を逆立てて低く唸った。  歩花の放つ桜色の光の結界。それは、この王都の大聖堂の地下深くから立ち上る、どす黒い「怪異の瘴気」を、必死に相殺し、押し止めているようであった。

この王都の教会は、歩花の清らかな浄化の力を、ただの『奇跡のパフォーマンス』として民衆に誇示しているのではない。彼らは、王都の地下に封印されている、この世界の古代の災厄――『深淵の魔王の心臓』の腐敗を、歩花の力を「生贄」として使い、強引に浄化し、王都の繁栄を保ち続けていたのだ。

「歩花が、苦しんでいる」

キョムの瞳の奥、無限の虚無が、一瞬にして冷たく、重く沈み込んだ。  何のために生きているのか、分からないまま生きてきた。孤独に耐えかね、すべてを諦めた結果として得た、ブラックホールとしての能力。  だが、今のキョムには、明確な「」があった。  歩花を救う。彼女を、あの理不尽な教会の束縛から、解放する。

「行くぞ。ニャメ、コンタ、そして、影の底にいる妖怪たちよ」

キョムが、大聖堂に向けて、静かに、だが絶対的な足取りで歩き出した。  彼の影が、生き物のように、ドロリと大通りの石畳に広がっていく。キョムの虚無の底から、一つ目の大入道、鎌イタチ、巨大ムカデが、影の兵士となって音もなく這い出てきた。

「な、なんだあの魔物は!? 大聖堂に向かって歩いていくぞ!」 「神聖な大聖堂に、異形のバケモノが! 衛兵、衛兵を呼べ!」

平穏を謳歌していた王都の民衆が、突如として現れた東洋の妖怪たちの奇怪な姿に、パニックを起こして逃げ惑う。教会の神殿騎士たちが、一斉に槍と盾を構え、光の攻撃魔法をキョムに向けて放った。

「異端者め、神聖なる大聖堂に土足で踏み入るか! 光よ、あのバケモノどもを焼き尽くせ!」

無数の光の矢が、キョムに向かって豪雨のように降り注ぐ。  だが、キョムはただ、一歩、前に踏み出した。

「消えろ」

キョムが静かに呟くと、彼を中心に、物理的な法則を無視した巨大な「無」のドームが、虚空に口を開けた。  神殿騎士たちが放った、眩い光の攻撃魔法が、そのドームに触れた瞬間――。  音もなく、煙も立てず、ただの光の粒子となって、キョムの虚無のブラックホールへと吸い込まれ、一瞬にして世界から抹消された。

「な、魔法が……効かない!? 我らの、神聖なる光の魔法が、あの男の影に、呑み込まれただと……!?」

神殿騎士たちが、恐怖のあまり槍を取り落とし、ガタガタと震え始めた。  攻撃魔法も、威圧も、殺気も、すべてを無差別に無効化し、消失させてしまう、絶対的な静寂の虚無。

キョムは、跪く神殿騎士たちを一瞥もせず、ただ大聖堂の正面扉へと、静かに歩みを進めた。  キョムの影から這い出た妖怪たちが、行く手を阻む重厚な鉄の扉を、丸太のような腕で粉砕し、吹き飛ばす。

大聖堂の奥深く。  そこには、歩花を十字架の台座に縛り付け、彼女の生命力を、地下の災厄の封印へと吸い上げている、教会の枢機卿すうききょうたちの姿があった。彼らは、異形の妖怪たちと、その中心に立つキョムの姿を見て、顔面を蒼白に歪ませた。

「な、貴様は何者だ……! この神聖なる領域に、どのような権限があって立ち入る!」

「……その手を、歩花から離せ」

キョムの放つ、静かなる虚無の覇気。それは、教会のいかなる法皇や聖騎士が放つ威圧よりも、遥かに深く、冷たく、枢機卿たちの魂の真髄を凍りつかせた。

十字架の台座の上、意識が朦朧としていた歩花が、ゆっくりと目を開けた。  彼女の視界に、あの、どこまでも静かで、空っぽで、だが、誰よりも温かい眼差しを持つ、あの男性の姿が映り込む。

「……キョム、さん……?」

「ああ。迎えに来た、歩花」

キョムが、静かに右手を、歩花の結界に向けて伸ばす。  キョムの無限の虚無と、歩花の聖なる浄化の光。二つの世界の理を超えた霊性が、教会の頂点において、再び激しく、美しく、共鳴し合おうとしていた。


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