第八章:虚無の凱旋と、光の残滓
迷いの森の最深部で繰り広げられた、ニャメ(化け猫)とコンタ(九尾の狐)の配下妖怪たちによる一方的な蹂躙劇。その血生臭い大立ち回りが終息を迎える頃、森の入り口付近で静かにマジックバッグ(虚無)の出し入れを練習していたキョムの元へ、それぞれの戦果を携えた者たちが帰還してきた。
まず戻ってきたのはニャメだった。彼女は口に、森の主である三つ首魔狼からえぐり取った、禍々しくも美しく輝く巨大な「深紅の魔石」をくわえていた。その毛並みは一戦交えたとは思えないほど白く清らかで、大妖怪としての神々しい魔力を全身にみなぎらせている。
続いて森の奥から影のように滑り出てきたのは、コンタの配下である大入道、鎌イタチ、巨大ムカデの三匹の妖怪たちだった。彼らはコンタの厳命通り、森の狂暴な巨大蜘蛛や大イノシシたちを徹底的に蹂躙し、その死体から剥ぎ取った希少な部位や、魔獣たちの魔石を山のように抱え込んでいた。
(クハハハ! 見たか、白猫め! 吾輩の可愛い部下たちの戦果を! 数と効率においては、吾輩の軍勢の勝利よ!)
足元でコンタが、誇らしげに胸を張り、小さな前足で戦利品の山を指し示してキャンキャンと吠える。ニャメはそんな子狐を、ふん、と鼻で笑うように見下ろすと、くわえていた超一級の魔石をキョムの足元にぽとりと落とし、再び彼の首元へと飛び乗って心地よさそうに目を細めた。
「……随分と、色々狩ってきたな。これも、仕舞っておくか」
キョムは特に驚く様子もなく、足元に積み上げられた異世界の魔獣たちの希少素材や、ニャメが仕留めた主の魔石を、自分の影へと次々に放り込んでいった。マジックバッグとしての虚無の使い勝手は、練習の甲斐あって完璧に馴染んでいた。どれだけ巨大な魔獣の素材を放り込もうとも、重さを感じることは一切ない。
しかし、戻ってきた妖怪たちのうち、鎌イタチがキョムの前に進み出ると、その鋭い鎌の先で、森の最深部をじっと指し示した。
「……何か、あったのか」
キョムの問いに、妖怪たちは言葉の代わりに、自らが見てきたビジョンを思念としてキョムの脳裏へと直接送り込んできた。
それは、森の最も奥深く。周囲の巨木が、まるであらゆる邪悪を拒絶するように美しく、清らかに生い茂る一帯。その中心に、淡い、桜色を帯びた光を放つ「浄化の結界」の残滓が、ひっそりと息づいていた。 この世界の魔素とはまた異なる、どこか懐かしく、圧倒的に清らかな聖なる光。
(……間違いない。あの小娘、歩花の光だ)
足元で、コンタが忌々しそうに、だが確信を持って呟いた。キョムの胸に、かつて自分を救うために命を賭して九尾の狐と戦い、自分と共にホワイトアウトの光の中に消えていった少女の記憶が、鮮明に蘇る。
「歩花も、この世界にいるんだな」
キョムは、静かに森の奥を見つめた。 彼女が生きている。その確信は、何もない、虚無であったキョムの心に、微かな、だが確かな灯をともした。
キョムの一行は街へと戻り、そのまま冒険者ギルドの大きな扉を押し開けた。 ギルド内は、相変わらず酒と汗の匂いが立ち込め、屈強な冒険者たちが喧騒に身を委ねていた。そこに、無表情な新人冒険者キョムが、首に白い猫を巻き付け、足元に奇妙な子犬(子狐)を従えて現れる。
「おいおい、見ろよ。あの朝の、変な服を着てた新人じゃねえか」 「従魔テイマーのキョム、だったか? 薬草採取の依頼を受けてたな。無事に戻ってこれたのかよ」
酒を酌み交わしていた中堅の冒険者たちが、新人の凱旋を嘲笑うように、興味本位の視線を向ける。迷いの森は、初心者にとっては迷子になりやすく、魔獣の不意打ちで命を落とすことも少なくない場所だ。無傷で、しかもこんなに早く戻ってこれるはずがない、と誰もが思っていた。
キョムは周囲の雑音を一切気に留めることなく、納品窓口へと歩みを進めた。窓口にいたのは、朝と同じ若い男性職員である。
「お帰りなさい、キョムさん! 早かったですね。迷いの森の薬草、採取できましたか?」
「ああ。これだ」
キョムは、職員の前に自分の影を広げ、マジックバッグから採取した薬草を取り出そうとした。 しかし、ここでキョムの「虚無」の特性が、小さな誤算を生む。彼のマジックバッグは、普通のアイテムバッグのように「綺麗に整理整頓」されているわけではない。すべてを無差別に呑み込む虚無の底から、キョムが念じて物質を浮き上がらせるのだ。
キョムが「森で手に入れた素材」と大雑把に念じてしまったため、影からぽろぽろと零れ出たのは、規定の二十株の薬草だけではなかった。
ドサッ、ゴロゴロ……!
薬草の山に混ざって、見るからに禍々しいオーラを放つ、巨大な蜘蛛の脚、大イノシシの牙、そして、ニャメが仕留めた森の主の「三つ首魔狼の、深紅の魔石」が、受付のカウンターの上に豪快に転がり出た。
「……え?」
受付職員の動きが、ピタリと止まった。 カウンターの上に鎮座する、三つ首魔狼の魔石。それは、迷いの森の生態系の頂点に君臨する、Aランク指定の危険な魔獣の心臓部である。ベテランの冒険者がパーティーを組んで、命懸けで挑まなければ決して手に入らない、国宝級の超高級素材。
「こ、これ……これって、三つ首魔狼の魔石……!? それに、このアラクネの部位と、オーク・ボアの牙の山……! 全部、迷いの森の、最深部の魔獣の素材じゃないですか!?」
受付職員の絶叫が、静まり返ったギルド内に響き渡った。
「な、なんだって……!?」 「ケルベロスの魔石だと!? あの森の主の!?」
酒を飲んでいたベテラン冒険者たちが、椅子を蹴り倒すようにして窓口へと殺到した。彼らの目が、カウンターの上に転がる深紅の魔石と、山のような希少素材に釘付けになる。
「馬鹿な……! こいつは、今日登録したばかりの、Fランクの新人だぞ!?」 「しかも、一人で森に入ったはずだ! どうやってあのケルベロスを仕留めたんだよ!」 「マジックバッグ持ちか!? それにしても、この素材の量は異常だ!」
ギルド中が、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。 男たちの疑惑と驚愕の視線が、キョムの細い身体と、彼の首で退屈そうにあくびをしているニャメ、そして足元で「当然だ」と言わんばかりにふんぞり返っているコンタへと集中する。
さらに、ギルドの二階から、その喧騒を聞きつけた屈強な大男が下りてきた。全身に幾多の戦傷を刻んだ、この街の冒険者ギルドのギルドマスターである。 ギルドマスターは、カウンターの上のケルベロスの魔石をじっと見つめ、それからキョムの目を、射抜くように凝視した。
「……小僧。お前、何者だ」
ギルドマスターの放つ、凄まじい威圧感。並の冒険者であれば、その覇気だけで膝を屈するであろう重圧。 だが、キョムは眉一つ動かさず、ただ静かにギルドマスターの視線を受け止めた。キョムの瞳の奥にある、無限の虚無。それは、ギルドマスターの放つ覇気すらも、音もなく吸い込んで消し去ってしまう。
「……ただの、新人冒険者だ」
キョムは淡々と、感情の起伏を一切見せずに答えた。 その涼しすぎる顔(虚無)と、マジックバッグから無造作に超一級の素材をポンポンと取り出す規格外の実力。
(……この男、只者ではないな)
ギルドマスターをはじめ、ギルド内の実力者たちの目に、侮りから、強烈な警戒と興味の光へと変化していた。 自分を証明するつもりも、目立つつもりもなかったキョム。だが、彼の内なる「虚無」と、彼に付き従う大妖怪たちの気まぐれは、異世界の冒険者たちの常識を、初日から完膚なきまでに叩き壊してしまったのであった。




