第九話
聴取から尋問会当日まで、また数日空く。
リヴィは家事も出来ないので手持ち無沙汰で、とりあえず部屋にこもっていた。
見かねたのか、イリスが声を掛ける。
「窓からではなく、実際に町を歩いてみてはいかがですか」
リヴィはゴクリと唾を飲み込んだ。
「この都会を……歩く……!?」
「治安は良い方です。少し見て回るくらい、問題ないかと」
「見て回る……!? ま、迷子になりそう……!」
「お供しますので、ご安心ください」
「お供付きの散歩……!」
リヴィはまた身構えて震えたが、イリスがさっさと支度を整えて連れ出した。
実際に歩くと、ひときわ活気が感じられた。
通りに面してひしめく店々。そこを行き交う人々。
馬車が絶え間なく通り、大通りをすれ違っていく。
宿屋から出てすぐの辺りは、高級サロンなどが並ぶ富裕層と下町の境目なのだと、イリスは言った。そこから下町に向かって歩けば、治安は良いし商品も上等だし、しかし貴族のマナーに縛られないエリアというわけだ。
リヴィは自身の格好を見下ろした。今日も質素だが上質なワンピースを着せられているが、この格好で良かったと思った。周囲は同程度の服装をしていて、いつものボロな法衣ではさぞ悪目立ちしただろうと思われたのだ。
店先を見ながら歩く。服飾品やアクセサリーの店、それに食べ物屋。富裕層の町が近いだけあって、どれも平民には高級ブティックやカフェなどだ。
(こんな世界もあるんだなぁ。いや、あるとは聞いていたけど、まさか体感することになるとは)
リヴィはしみじみと思う。片田舎の古着屋に居た頃は、想像も出来なかった都会だ。そこに滞在して、散策しているなんて。
家業柄、つい服屋に目が止まってしまう。こういう服も、着古されて巡り巡れば、片田舎の古着屋で仕立て直されて町民に着られるのだ。
「気になる商品がありましたか」
イリスが声を掛けてきた。
リヴィは首を振る。
「いいえ、見ていただけです」
「気になる物があったら、何なりとご指示ください。それなりの資金はございますので」
「ひえっ! 贅沢です!」
リヴィがまたおののいて縮こまると、イリスは少し思案顔をした。
「巫女様がお気に召す物は、もっと下町の方にあるかもしれませんね。行きましょう」
促されて、リヴィは歩き出す。しかし、自分の買い物をさせる気なんて、毛頭無い。
「何故こんなに良くしてくださるんですか? 尋問会に召喚された身なのに、私」
リヴィが尋ねると、イリスはまた少し考えるそぶりをした。
「ジュアット侯の指示は、不自由ないようもてなすことでしたから……巫女様をおもてなしするのが私の職務です。それに――」
「それに?」
「――あんな法衣しか持たず、それでも贅沢を望まない貴方を見ていると、メイドとして、燃えるのです。なんとしても磨き輝かせてみせる、と」
「も、燃える」
確かに、着飾らせようとしてくるイリスには、妙な熱意があった。
(要するに、みすぼらしすぎて、手を加えたくなるってこと……?)
リヴィは申し訳ないような、恥ずかしいような気持ちになる。
「ありがとうございます、イリスさん。私を町歩きしても恥ずかしくないように、磨いてくださって」
リヴィは道の端で、イリスに頭を下げた。
イリスは瞠目した。
「……いけません巫女様。メイドに頭を下げるなど、あり得ません。貴方はお客様なのですから」
「はい、イリスさん」
リヴィは苦笑して顔を上げた。
出自も家柄もイリスのほうが上だろうに、自分を嘲ることなく、客人として扱ってくれる。それが改めて、有り難く感じられた。
少し進むと、何か異音が耳をついた。
ギンッ ガキン
その音の正体に気付いて、リヴィは血の気を引かせた。
剣戟だ。剣同士がぶつかる音が響いている。
「何!? 争い……!?」
「落ち着いてください。近くに兵士の訓練場があるのです。その音でしょう」
イリスが淡々と説明した。
その言葉に、リヴィはホッと胸をなで下ろす。
訓練ならば良い。
剣の音は、すっかりトラウマになっているようだった。聞いただけで身が竦んでしまう。
「ハイメスが指揮を執っていますし、お客様も出入りされていますよ。見に行かれますか?」
「え? お客様って……?」
イリスに促され、リヴィは訓練場へと足を向けた。
そこに居たのはデルリオだった。
身の丈ほどもある大剣の木刀――模擬剣を振り回している。
相手は訓練された兵士に見えた。動きが機敏だ。
しかしデルリオも負けていない。大雑把な動きに見えるのに、相手の兵士は攻めあぐねている様だった。そして剣を振りかぶられると、打撃が大きい。
両者は一進一退の攻防を繰り広げた。
「そこまでっ」
鋭い声が掛かる。ハイメスだった。模擬戦を監督していたらしい。
両者が剣を下ろすのを見て、リヴィは「はぁ~」と息をついた。知らず、息を詰めて見入っていた。
兵士がデルリオに声を掛ける。
「まさか一本も取れないとは」
兵士は苦笑する。
デルリオは不満そうに眉をしかめた。
「本調子なら負けねぇはずなんだが、まだまだだな」
言いながら模擬剣を素振りする。食事が良くなったためか、デルリオはこの町に来て、目に見えてたくましくなっていた。
「剣はどちらで習われたので?」
「あー……親から子に教える習わしだったんだよ。昔の話だ」
デルリオは雑に誤魔化した。
そこにハイメスが近づく。
「ディオ殿、お客人が」
そう言ってリヴィたちを示した。
デルリオはようやくリヴィに気付いたようだった。
模擬剣を持ったまま歩み寄ってくる。
「なんの用だ?」
ぞんざいに訊かれ、リヴィは頭を下げた。
「お邪魔して申し訳ありません」
「別に邪魔たぁ言ってねぇだろ」
デルリオはぞんざいだが、用向きを聞いてくれる気らしい。尤も、用は別にないのだが。
「町を散策しておりましたら、デル――ディオ様がこちらにいらっしゃると聞いて。ここでお過ごしだったのですね」
「おう、兵士長の奴に『鍛えさせろ』っつったら、ここに連れてこられてよ。剣振るくらいしかやることねぇが、悪くもねぇ」
そう言ってデルリオは、慣れた風に模擬剣を振り回す。
リヴィは意外な心地でそれを見ていた。
「失礼ながら、剣がお得意なことに驚きました。その、ディオ様は、魔法がお得意でいらしたので」
「得意ってほどでもねぇ。魔法は本業だが、剣は、まあ長く生きてりゃやる機会もあるってモンだ。セルジエのやつも出来るはずだぜ」
「えっ、そうなんですか? ……の、ノエ様の事ですね!?」
イリスが居る手前、リヴィは慌てて設定を取り繕った。
(デルリオ様、本当にもう少し設定を守って)
リヴィは冷や汗をかきながら、訓練場でのひとときを過ごした。
そして尋問回答実を迎える。
その朝、イリスは言っていたとおり、上等な布で作られた法衣を差し出した。
コルセットこそ必要無いが、リヴィの身体に合ったサイズで作られ、スカートは控えめに広がるデザイン。揃いで肩帯なども備えられている。襟はハイネックだ。
ともすればただの白いドレスにも見えそうだが、水色で刺繍された法衣の紋様が、これが巫女の正装なのだと示している。
ホールへ降りると、セルジエとデルリオが似た出で立ちで待っていた。男性用の立派な法衣である。
セルジエは遣われている布や刺繍がリヴィと揃いになっており、一目でセルジエの眷属と解る様になっていた。
デルリオは赤い糸で別な刺繍が施されている。おそらく火龍神デルリオを表す紋様なのだろう。
三人は馬車に乗って移動した。
二度目に訪れた侯爵邸は物々しい雰囲気に包まれていた。
兵士たちが並び立って警備をし、メイドたちの姿は見えない。
ハイメスに先導され、リヴィたちは大きなホールへと案内される。
そこは聞いていたとおり、長机が二脚並べられ、前方には大きな机の祭壇が置かれていた。
リヴィたちは向かって右の長机に着席するよう促された。
間もなく、教会の兵士や神官・付き人もやってきて、左の長机に着席した。
人員がそろったため、いよいよジュアット侯爵が入場する。
臥せっていると聞いていたが、ジュアット侯爵らしき初老の男性は、しっかりした足取りで祭壇へ向かうと、頂上の机に着いた。
続いてアラベルも入場し、侯爵の向かって右隣に座る。
最後に入ってきた男性は左側の机の前に立つと、持ってきた羊皮紙を何本か置いた。この人が法務官のようだ。
法務官は一同を見渡すと、声を張った。
「ただいまから、ルベ村の刺傷事件の尋問会を開会する。当事者らは、女神ルクシアの名のもと、嘘偽り無く答えることを宣誓せよ」
リヴィは一瞬半眼になる。
(竜神セルジエの巫女や神官であると言っているのに、女神ルクシアに誓わせるのは変じゃない?)
もちろん口に出せるわけもないので、それは飲み込む。
まず教会側が手で示され、
「誓います」
と宣誓した。
次にリヴィが指し示されるので、リヴィも
「誓います」
と口にした。
法務官は羊皮紙を一枚広げ、口上を述べる。
「ルクシア教会は、水竜神の神殿に巫女を遣わせ、『30日の不寝食の儀』を行わせた。巫女が途中放棄し、神殿から出たため、神官兵が注意勧告をした。すると神殿の神官により兵士二人が昏倒させられた。この供述に間違いは無いか」
「間違いございません」
神官兵が答える。
リヴィは思わず横目にそちらを見た。随分勝手なことを言うものだ。
法務官はまた一枚羊皮紙を広げ、述べる。
「巫女は、儀式に疑問点があったため教会に尋ねるべく神殿を出たところ、いきなり神官兵に刺された。そして竜神セルジエの加護により一命を取り留めた。この供述に間違いは無いか」
「間違いございません」
リヴィはハッキリと答えた。こちらの供述がねじ曲げられていないことに、ひとまず安堵した。アラベルは確かに、自分たちの供述を聞いてくれたのだ。
法務官は、部屋の端に並ぶ部下らしき者たちを示した。
「刺傷事件についての目撃情報を」
「申し上げます。ルベ村住人および滞在していた行商人はすべて、“巫女は神官兵に刺された”と供述しております」
そこでアラベルが挙手する。
「巫女の腹に、確かに刺し傷の跡を、私の部下が確認しました。刺傷はあったものと断定します」
(アラベル様の部下って、イリスさんのことかな。そうか、そういう目的もあって、専属で側に居たのね)
リヴィはこんなところで新たな得心をする。
法務官が教会側を示す。
「申し開きがあれば延べよ」
神官兵が立ち上がった。
「はい。村人の証言を鵜呑みにされるのは遺憾にござます。彼らが神官兵と暴漢の区別がつくでしょうか。刺傷事件はあったのかもしれません、しかしそれと神官兵は無関係でございます」
リヴィは思わず、膝に置いていた手を固く握った。
声を上げてくれた、ベルタさんたち村のみんなを、無下に扱うなんて。
すると、リヴィの強張った様子に気付いたのか、法務官がリヴィに向く。
「巫女、発言を許可する」
リヴィは慌てて態度を取り繕う。
「ありがとうございます。――私は確かに、神官兵に刺されました。私を刺した者の腕には神殿の腕章がありました。村で昏倒した神官兵が二人居たはず。彼らこそが下手人でございます」
すると、神官兵がガタリと立ち上がり、リヴィに向かって吠えた。
「昏倒した兵たちは呪いを受けたのです! 高度な、邪神の呪いを! 邪神をあがめる巫女に呪われたのです!」
その言い分に。
リヴィは、糾弾された恐ろしさも忘れて。
怒りの目を、神官兵へ向けた。
(はぁ!?)
よりによって“邪神”ときたか。村の広場で呪いを放ったのは教会側だというのに、セルジエの行った天罰とも言える魔法を、呪いと宣うか。
リヴィが怒りに肩をふるわせていると、隣に座ったセルジエが、リヴィの拳を上から握った。
ハッとなって、リヴィはセルジエを見やる。
リヴィの視線で、セルジエの様子に法務官が気付いた。
「竜神の神官、発言を認める」
セルジエは「困ったな」と顎に手を当てながら、
「今の発言は、邪神と言いながら、竜神の存在を認めるものと取って良いのでしょうか。竜神は実在すると、教会が認めると?」
教会側は返事に窮する。
ホール内の空気も変わる。
神は女神ルクシア一人とするのが社会の通念。しかし、それを象徴する教会が、竜神を認めるのか、と。
アラベルがまた挙手する。
「ルクシア教会よ、巫女の傷が癒えたのはどう説明しますか。邪神の加護によるものと認めますか」
「それは……」
神官兵が返事に窮した。
すると、隣に居た壮年の神官が挙手をした。
「恐れながら、なにがしかの奇跡があったと認めざるを得ません。――教会は、神話に伝わる神々を、女神ルクシアに敗れたとされる数多の神についても伝承を継承しております。そもそも巫女が、忘れ去られし古き神殿に遣わされたのも、神殿の主導でのこと。ルベ村にはなにがしかの神格が居り、なにがしかの奇跡をもたらしたのでしょう」
「では、竜神の奇跡を認めると」
法務官が確認する。
しかし壮年の神官は首を振った。
「竜神、などという存在を認めはしません。竜であるならば、それは神話の時代、女神ルクシアに牙を剥いた魔物。教会が巫女を遣わせたなら、その怒りを静めるために他なりません。竜の奇跡を身に受けたなら、それはもはや“教会の巫女”ではなく“堕ちた巫女”と呼ぶべきでしょう。刺されたのならその邪悪さ故。女神ルクシア様が、邪悪なる奇跡を打ち払わんと、人々を導いたためでございます」
ホール内がザワついた。
神官の言葉は理に適っているように聞こえた。
女神ルクシアは、神話の時代に数多の神を征して頂点に立ち、人々に加護を与えたとされる。
竜に傾倒した巫女を処断したと言えば、その通りに思えた。
しかし、リヴィは堪らず挙手した。
法務官が頷く。
「巫女、発言を認める」
リヴィは椅子から立ち上がった。
「私を刺したのは神官兵か暴漢か、解らないのはいいでしょう。奇跡により傷が塞がったことも、認めていただけて嬉しく思います。――しかし、言うに事欠いて竜神様を魔物とは、聞き捨てなりません。ルクシア教会の神官様は、竜神様を、あのシルバーウルフたちと同列に語るとおっしゃるのですか?」
リヴィは教会側を睨み付けた。
法務官が「巫女、着席しなさい」と言うが、リヴィは止まらなかった。
「あなた方はルベ村を見たことがないでしょう。神山を見たことがないでしょう。豊かな水に育まれた、実り多い森です。その実りに守られて人々は暮らしている。不寝食の儀で死にかかった私も、山のプラムで生きながらえました。“死ぬより生きて仕えなさい”と言ってくださった、水竜神セルジエ様のお言葉を、私は忘れません。あの神域を保ち、私に生きるよう導いた竜神様が、魔物なわけがないわ! 撤回を求めます!!」
ホールは静まりかえった。
リヴィは肩で息をしていた。
教会側は侮辱と受け取ったのか、ワナワナと震える。
「この……穢れ巫女がぁ!!」
若い神官が、机の上のペンを、リヴィ目掛けて投げた。
鋭いペン先がリヴィの顔に向かう。
キンッ!
高い音がして、ペンがたたき落とされた。
セルジエが、同じくペンを持ち、飛んできたペンをたたき落としたのだ。
「神官、何をしている!」
法務官が慌てた。
アラベルがスッと扇子で教会側を指し示す。
「尋問はもう不可能そうね。ルクシア教会の神官たち、退席を命じます」
「なっ!?」
神官たちは言葉を失う。
まさかルクシアを頂く自分たちが不利になるなど、考えもしなかったのだろう。
往生際悪くその場にとどまろうとしたが、ハイメスたち衛士が拘束し、退出を促した。
「お待ちくださいジュアット侯! 我らは女神ルクシアの信徒ですぞ!」
「邪神に傾倒する巫女になど耳を貸してはいけません!」
喚くが、アラベルは静かな表情で神官たちを見据えるだけだ。
喚きながら、神官たちは連れ出されていった。
「巫女に告ぐ。許されないまま発言を続けたこと、規律違反に値する」
「……はい」
法務官の言葉に、リヴィは前を見据えて頷いた。
しかし、アラベルが挙手する。
「巫女として、正当な訴えと認めます。発言を止めなかったことは、不問に処します」
「……ありがとう存じます」
法務官はやれやれという風で首を振り、最後に書面を確認する。
「では、巫女は間違いなく神官兵に刺され、竜神の奇跡により存命したと。本尋問会では、これを採択する」
「よいでしょう」
アラベルが頷き、座ったままのジュアット侯爵も、重々しく頷いた。
「では巫女、そして神官よ。誓約書にサインを」
衛士が法務官から書状を預かり、リヴィたちの長机に置く。
羊皮紙にはリヴィたちの主張と、それをジュアット侯が認める旨が書かれていた。
サインをする箇所が二箇所設けられており、リヴィはペンを持つ。
リヴィ・アーンとサインすると、セルジエに紙とペンを回す。
セルジエは流暢な字で『ノエ』とサインした。
衛士が羊皮紙を法務官に返す。
法務官はサインを、しかと確認した。
「では、尋問会はこれにて閉幕とする!」
宣言に、ジュアット侯爵が席を立った。




