第八話
ジュアット侯爵領シャブランの領都・シャブルー。
他国へ通じる街道が通っているシャブラン領は文化が入り乱れ、その領都シャブルーは国内でも屈指の賑わいだという。
到着すると、リヴィたちは予想外の事態に遭遇する。
馬車を横付けして降ろされたのは、なんと高級宿屋だったのだ。
ロビーへ案内され、リヴィは目を回す。
調度品一つ一つが、平民一生の稼ぎ分の値がすることが、見ただけで解る。
絨毯も、寝具よりフカフカとして柔らかい。足蹴にするのがはばかられるほどだ。
尋問会が開催されるまでここで滞在するよう、ハイメスは言った。
「尋問会に召喚されたのに、何故こんな高待遇なのでしょう?」
リヴィは目を回しながら尋ねた。今からでも平民用の宿に変えて欲しいくらいだった。
しかしハイメスは微笑んで答える。
「巫女として丁重に扱うよう、ジュアット侯より申し使っております。侍女も、一人になりますがおつけします。こちらのイリスに、何なりとお申し付けください」
そうやって紹介されたのは、リヴィと年頃の近い、金髪の女性だった。お仕着せを着て、礼儀正しく礼をする。
「イリスと申します。巫女リヴィ・アーン様、よろしくお願いいたします」
「うひぃ! あ、あの、結構です! 身の回りのことは自分で出来ますので……!」
リヴィは洗練されたイリスの所作にすっかり気圧されて、なんとか固辞しようとした。
しかしそれには、イリスが自ら答えた。
「恐れながら、女性の衣服は一人で着脱できない作りとなっております」
「一人で着られないようなドレスを着る予定はありませんが!?」
リヴィはますます混乱して言い返す。
イリスは淡々と首を振った。
「いいえ、着用いただきます。尋問会ではジュアット侯がお見えになります。侯の前で不敬な格好をされては困りますので」
「わ、私は巫女です! 巫女は法衣が正装です!」
リヴィは着ている服を示した。
イリスは少し考える仕草をする。
「……では、尋問会までに法衣を仕立てましょう。現在の物を元にして、失礼の無い格式の物を。尋問会ではそちらを着用ください」
リヴィはさすがに返事に窮した。
今着ている法衣は、お世辞にも上等とは言えない。ボロと言っても良い。
平民として暮らすには十分だが、この格好で貴族の、それも侯爵の前に出るのが『不敬だ』と言われれば、反論できなかった。
「わかりました……ご指示に従います……」
リヴィはしおしおと承諾した。一体尋問会とはどんな格式になるのやら。
スカートの裾を持ち、イリスにカーテシーで礼をする。
それを、セルジエが意外そうに見ていた。リヴィがいつもセルジエにするのは祈りの礼であり、人に向けるカーテシーをするのは、新鮮であり意外であった。
イリスはセルジエ――が演技している、神官ノエに向き直る。
「神官様も、揃いで法衣をしつらえさせていただいても良いでしょうか」
「構いませんよ」
ノエは穏やかに答える。
その晩、リヴィはさらに貴族の洗礼に遭った。
風呂を用意されたかと思うと、全身から髪まで隅々磨かれ、スキンケアにオイルを塗りたくられた。
毎度『こんな待遇は必要無い』とわめいたが、イリスは淡々と、『不潔では侯爵様への不敬に当たりますので』と作業を進めた。
終いには、用意されていたネグリジェは、それ一着で何着の古着が買えるだろうという上質な物で。
リヴィはヘトヘトになって、寝台へ倒れた。その寝台が羽のように柔らかであることにも気付かないまま、眠りに落ちた。
そして翌朝も、寝起きから難航することになる。
夜明けと共に目覚めれば、イリスは既に控えていて。
着替えようと思ったら、法衣が無い。イリスに訊けば、新たな方を作るために、服飾工場へ送ったという。
代わりに、と示されたのは、貴族の令嬢が着るような上質なドレスだった。
「さすがにこれを普段着にするのは不可能です! 私は巫女ですから! 贅沢は敵です!」
リヴィは天蓋の柱に隠れて威嚇した。
リヴィのその様子に、さすがに折れたのか、イリスは『ではこちらを』と、締め付けの無いワンピースを取り出した。
(普通のワンピースがあるなら、最初からそれを出して!?)
言いたいが、イリスの感覚からすれば、ドレスを勧める方が客人への礼儀になるのだろう。
リヴィは上質なワンピースで妥協して、それに袖を通した。
(こんな綺麗な布の服、古着になっても実家の店には来なかったな)
袖の生地を撫でながら、リヴィは内心でごちた。
なんとか着替えを終えて、朝食が用意されているという部屋まで案内される。
部屋に着くとセルジエとデルリオは既に来ていた。二人も立派なスーツを着用している。――デルリオは早速、首元を崩して着ているが。
二人の姿を見て、リヴィは感心する。平民のボロ服では解らなかったが、上等な衣服を着用しても、彼らは服に負けていない。むしろ、当然のように着こなしていた。
セルジエは簡素だが上質なワンピースを着たリヴィを見て、ニコリと微笑む。
「素敵だね」
褒められても、セルジエの方がよっぽど素敵だったので、リヴィは曖昧に笑うことしか出来なかった。
朝食の席では、また見たことないほどのご馳走が並べられた。これが朝食だというのだから、リヴィはまた目眩がしてしまった。
セルジエは静かにスープだけを口にしている。デルリオはガツガツと、しかし品悪くはなく、次々に料理を平らげていた。セルジエはソッと自分の分をデルリオの前に移動させる。デルリオは躊躇なくその皿にも手を伸ばした。
リヴィはパンとスープを頂くが、それだけで満腹になってしまった。しかもスープは様々な食材が使われていて複雑な味だ。一皿の満足度が違う。
イリスを呼んで、
「明日からはパンとスープだけにしてください」
と頼み込む。
イリスは、
「普通の朝食ですが」
と理解できない様子だったが、
「贅沢は敵なんです」
とリヴィが目を吊り上げると、了解したようだった。
食事が終わると、3人連れだって部屋を出る。
リヴィは着替えと食事だけで既に披露していた。目を回している様子を、セルジエは愉快そうに見ている。
ホールへ出ると、ハイメスと行き会った。様子を見に来たらしい。
ハイメスはリヴィの質素なワンピース姿を見て怪訝な顔をした。
「用意したドレスは、お気に召しませんでしたか」
「質素倹約は教会の基本です……!」
リヴィは瞳を燃やして言った。
ハイメスは圧倒されつつ、納得した。
リヴィはふと、ハイメスに尋ねたかったことを思い出す。
「あの、尋問会はどのように行われるのか、聞いても宜しいですか? 心と頭の整理をしたくて」
リヴィが問うと、ハイメスは『それもそうですね、お教えします』と快諾した。
一行は宿の談話室へと通された。
「当日は、ホールの後方に二脚の長机が並べられ、それぞれに教会側・巫女殿側と着席していただきます」
ハイメスが手振りで、ホールを描き、その後方を指さす。
「そして前に祭壇が立てられ、超常にジュアット侯爵が座られます。また、ご息女のアラベル様もご参加されますので、下段にアラベル様が座られます」
ジュアット侯を頂点にして、その右側にアラベルの席を指し示す。
そして、侯の左側を指し、
「ここに法務官が立ちます。法務官がそれぞれの主張を読み上げ、嘘がないことを宣誓していただきます。法務官や侯爵からいくつか質問が出ますので、それに偽りなくお答えいただきます。そしてそれぞれの主張を集約して、最後に意見をとりまとめる。これが尋問会の流れです」
「それぞれの主張を読み上げる、って……?」
リヴィは控えめに疑問を口にした。
ハイメスは頷く。
「ええ、ですから、明日にでも聴取があります。その際も尋問会と同じく、侯爵邸へ上がっていただくことになります」
「こ、侯爵邸へ!?」
リヴィはまた気が遠のきそうになった。
隣に座ったセルジエが、微笑んで背中を支える。
大げさな反応かもしれないが、平民にとって貴族の屋敷に上がるだけでも大変なことで、それがまた爵位第三位の侯爵邸だなんて、目が回るほどのことなのだ。
ハイメスは朗らかに笑いながら続ける。
「明日、お越し頂く際には、華美で無いドレスをご用意いたしましょう」
そういって、部屋の隅に立っているイリスとアイコンタクトした。
二人はうなずき合う。
ドレスを着なければいけない現実に、リヴィは余計頭をクラクラさせた。
そして翌朝、そのドレスが届いているのを確認してしまう。
古着ではなく、もちろん新品だ。ベージュ色の、フリルやレースが使われていない、簡素な作りではあった。
しかし背中に留め具が着いていて、ウエストを絞ったデザインの、正真正銘のドレスだ。
「こんな上等なドレスを、着るんですか……!?」
リヴィはイリスが持って見せたドレスの前で、一頻り怯えて震えた。
しかしイリスは淡々と着替えを進めていき、容赦なくコルセットを締める。
幸いクリノリン――スカートを膨らませる骨組み――は必要無いデザインで、パニエだけ重ねられた。
最後にドレスを被せられ、編み上げを閉じられると、いつもより数段スタイルアップされたリヴィの姿が、鏡の中にあった。
「く、苦しいだけのことはありますね……」
リヴィが呻くと、イリスは
「巫女様は細くていらっしゃるので、全然締めていない方ですよ」
と答えた。リヴィは貴族女性の日常を思って涙が出そうになった。
髪も緩く簡単に結われ、身支度完了となる。
ホールに行くと、既にスーツ姿のセルジエたちとハイメスが待っていた。
「お、お待たせしました……」
慣れないヒールの靴でヨロヨロと歩きながら、リヴィは合流する。
セルジエはリヴィの手を取ると、自分の肘に掴まらせた。
「よく似合っているね」
愉快そうにセルジエは褒める。リヴィの百面相が面白いのだろう。
しかし至近距離に支えられて、微笑んで褒められては、リヴィはどういう顔をすれば良いか解らなかった。
馬車に乗せられ、ついに侯爵邸へ向けて出発する。
リヴィは窓の外を見ていた。賑わう町の姿をマジマジと見る。半ば、現実逃避のためだ。
領都シャブルーは賑わっていた。見たことがないほどの商店が並び、大勢の人々が行き交う。馬車も、何台も並び、すれ違っていく。
来たときは日暮れ時で静かだったが、本当に大きな街なのだ。
(こんな街を治める人と、今後会うのか……)
そう思うと、またズゥンと気が重くなった。
「リヴィの故郷はこんな街では無かった?」
セルジエが尋ねた。
リヴィは首を振る。
「私の町は、一介の伯爵の領地の、端っこにあるようなところなので……」
「都会と地方の町では、そんなに勝手が違うのかい?」
「違います。何もかも違います。あ、ほら、町人がもうドレス着てますもん。私の町にはドレスを着た人なんて居ませんでした」
ドレス姿でサロンに入っていく貴婦人を示して、リヴィは言い募った。
やがて馬車は侯爵邸へと到着する。
玄関の大きさは、馬車から降りた所からはもはや見渡せなかったので、その全貌を知ることは出来なかった。
とにかく大きな玄関戸を執事たちが開けてくれて、リヴィたちはハイメスに先導され、屋敷内に入る。
通されたのは宿屋の談話室と同じくらいの客室だった。この屋敷の中では最も小さい部屋ではないかと思われた。その配慮にリヴィはありがたさを覚えた。広大で豪華な部屋に通されたら、萎縮して息も出来なくなりそうだ。
待たされること数分、ヒール音が響いてきて、客室の戸が開く。
リヴィたちは立ち上がって礼をする。
現れたのは、女性だった。
赤いドレスを上品に着こなし、伸びた背筋で滑るように歩く、まさにご令嬢らしいご令嬢。
「アラベル・ジュアットと申します。本来は父が臨席するところ、父は臥せっておりますので、わたくしが名代を務めさせていただきます」
アラベルは20代そこそこの、リヴィより少し年嵩程度に見えた。
しかしその堂々たる振る舞いは、並の貴婦人では対抗できないであろう風格を感じさせた。
リヴィは慌てて、つたないカーテシーをした。
「巫女のリヴィ・アーンでございます」
「神官・ノエです」
自己紹介すると、アラベルは頷き、扇子でソファを示す。
「お座りなさい。ここでは不敬罪が適用されないことを約束いたします。自由な発言を許可します、どうかありのままにお話になってください」
アラベルも席に着いた。書記官が後ろに控えている。
リヴィはどんな話が始まるのかと、身構えた。
「教会から遣わされた巫女であるリヴィ・アーンが、教会に戻ろうと村へ降りたところ、役目を放棄したと考えた教会の者が巫女を刺した、と、報告を受けております。間違いありませんね?」
リヴィは頷けずに固まり、セルジエ――ノエはリヴィを横目に見た。
報告は随分マイルドに変換されたようだ。
ノエが口を開いた。
「その報告は、随分改変されているようです。まず巫女は、『30日の不寝食の儀』を命じられ、神殿へやってきました」
「30日、不寝食?」
アラベルが目をまん丸にした。声音こそ荒らげないが、衝撃だったようだ。
ノエは冷たい顔で頷く。
「ええ。ですから、そんな神託はおかしいと、教会に帰って調べるよう、私が巫女に指示しました。それで巫女は神殿を出たのです」
「では、そこを刺されたというのは……?」
「さぁ、教会の意図は分かりかねます。どうしても神殿やその近辺で、巫女を亡き者にしたかったのでしょうか」
アラベルは難しい顔で沈黙した。
「……解りましたわ。報告書は訂正させます。れで、肝心なのが、水竜神の通力により巫女が蘇生した、という村人の証言ですが」
これには、リヴィが頷いた。
「はい、その通りです。私は腹を刺されて致命傷を負いましたが、水竜神様のお力により回復いたしました」
「やはり、水竜神は実在するというのね」
「実在します。神話上だけの存在ではございません」
リヴィはキッパリと言い切った。
それにアラベルは少し嘆息し、ソファにもたれかかった。僅かの疲れが見える。
「今回、刺傷事件そのものよりも、竜神という存在が神威を発揮した、その事実の方が重いのです。国教では神は光の女神・ルクシアのみが神とされています。他に神威を発揮する存在は、邪教とされてしまう」
それはリヴィも承知していた。巫女に選定されたとき、女神ルクシアではなく竜神と聞いて、“そんな親交があったのか”と驚いた物だ。
リヴィは考えながら話す。
「しかし、私を教育し、巫女として派遣したのも教会です。教会は秘密裏に他の神々を伝えているのだと、私は理解しておりました」
「たしかに、そうとも取れます。これは教会を追求しないと、何も解りません」
そこでノエが、肩の高さで片手を広げながら言った。
「邪神となったら、邪神の巫女の彼女を処断しますか? 他の神を認めないとはそういうことのはず」
冷たい声音だった。
アラベルは一瞬、返答に迷った。
「……教会を調べない限り、何も断じられません。ですが、不寝食の儀など、教会に不穏な動きがあるのは事実。念慮に入れておきましょう」
それでもセルジエの追求は止まらなかった。
「そもそも、主祭神だの邪神だの、人の世のルールでのこと。巫女、竜神は神話においてどう語られているんだい?」
急に振られ、リヴィは慌てた。
記憶を辿りながら答える。
「……神話の時代、神人や精霊や竜などの幻想生物が、地上の覇権を争った。勝利した神人は、その中でも最も神格が高かったルクシア様を長として、地上を治めるようになった、と」
「竜や精霊が滅ぼされたとは?」
「……聞いていません」
「ありがとう。つまり、竜神も精霊も、神人に滅ぼされたわけでは無いんだ。なら居るのは当たり前ではないですか?」
アラベルは唸る。
「……理屈ではそうなるのでしょう。しかし、それを認めるのは簡単ではないのです。私たちはルクシア様の祝福の元、生まれてきている。ルクシア様が唯一神で無く、ただの神の一人でしかないとなると、私たちのアイデンティティが揺らぎます」
セルジエは冷たい顔で首を傾ける。
「それはおかしいね。女神ルクシアが消えても貴方は残るでしょう。貴方を貴方たらしめる物は、女神ルクシアでは無く、貴方の中にある物のはずでは?」
アラベルはまた目を見張った。思わず扇子を開き、顔を隠す。虚を衝かれたようだった。
リヴィも、セルジエをまじまじと見つめた。
アラベルが尋ねる。
「――それが、竜神様の教えですか?」
「竜神に教典は無いけれど、そうかもしれませんね。存在するから存在する、在るがままに在る、竜神やその他の神とはそういう立ち位置かと」
アラベルは一つ瞑目する。
それから目を開けると、凜々しい表情を取り戻した。
「あなた方の主張は概ね理解いたしました。竜神様は存在し、教会は何かを隠しているのでしょう。尋問会ではあなた方の悪いようにはいたしません。この度は貴重な供述を感謝いたします」
締めくくりの言葉を述べると、アラベルは立ち上がった。
リヴィたちも立ち上がり、一礼する。
アラベルはヒール音高く、颯爽と部屋を出て行った。




