第五話
そうして和やかな時間は過ぎていく。
喧噪が飛び込んだのは、二日後のことだった。
ガサガサガサッ ドンッ
「なに!?」
リヴィがまた外で掃き掃除をしていると、山の中腹に、何かが落ちる音がした。神殿にほど近い、少し覗きに行けば見えそうな距離だ。
リヴィはホウキも持ったまま様子を見に行った。
そこにあったのは、赤いコート、そして黒いざんばらの髪。
コートをまとった青年が、倒れ伏していた。
「どこから落ちたの……!? 大丈夫ですか!?」
リヴィは慌てて駆け寄る。
青年は気を失っていた。顔色も悪いようだ。
リヴィが揺さぶると、青年は目を開けた。
「大丈夫ですか? ここがどこか解りますか?」
リヴィが助け起こす。
青年はゆっくり起き上がると、木にもたれて座った。
「お――ゲホッ、ゴホッゴホッ」
何か言いかかるが、激しく咳き込む。
リヴィはパッと立ち上がった。
「お水を持ってきます。待っていてくださいね」
パタパタと駆けて、リヴィは裏口から神殿に戻る。
厨で水差しに手を伸ばすが、その前に、籠に入っていた柑橘類を取ると、一絞り水差しに入れる。
今度こそ水差しと木のコップを持って、リヴィは青年の元へ戻った。
青年は変わらず木にグッタリともたれている。
「お水です。飲めますか?」
リヴィは水をコップに入れて差し出す。
青年は震える手で受け取ると、一息にそれを飲み干した。
「――なんだこれ、うめぇ」
青年はコップを凝視して言った。
それからバッとリヴィを見る。リヴィは思わず半歩下がってしまった。
「おいお前、こりゃなんだ?」
話し方には妙な迫力があった、顔色は相変わらず悪いというのに。
リヴィはしどろもどろに答える。
「や、山の湧き水です。リモネを一絞り入れました。疲れているときには効くので……」
「リモネ? 山の植物か? おい、もう一杯寄越せ」
青年は偉そうにコップを差し出して見せた。
リヴィは「はいっ」と慌てて水を注ぐ。
男性はそれから二杯飲むと、勢いよく立ち上がった。
「はーっ、生き返ったぜ。おい、ここは水竜神の神殿だな?」
リヴィも慌てて立ち上がる。
「はい、そうです……! あの、どちらからいらしたのですか? 落ちてこられた……?」
そう言うと、男性は面倒そうに頭をガシガシと掻いた。
「おう、落ちた落ちた。受肉すんのは久しぶりでな。扱いが慣れねぇった無いぜ」
「受肉……?」
「お前、セルジエに仕えてんのか? ちょっとあいつ呼んできてくれ、用がある」
青年は不遜に言った。
リヴィはその圧力に縮こまる。
(セルジエ様を知ってる……? それにこの圧力、もしかして……)
神殿に戻ろうとすると、青年は黙ってついてきた。
裏口から入って、祈りの間に向かう。
しかし祈りの間に着く前に、廊下にセルジエが立っていた。
気だるげに、壁にもたれて。
ついてきた青年が手を上げる。
「よぉセルジエ。変わんねぇな」
「そちらはずいぶん貧相になったようだね」
セルジエは、聞いたことの無い面倒そうな声を出した。
言われたことに、ついてきた青年は吠える。
「この肉体が! 貧相なだけだ! 俺が貧相でたまるか」
「本当にね。もう少し静かに来られないのかい。というか、何をしに来たんだい?」
「おめーを見に来たに決まってんだろ! あんな通力使っておいて、何も無かったとは言わせねぇぞ!」
「元気だねぇ」
うるさそうに片耳を塞ぎながら、セルジエは言う。
気の置けない応酬に、リヴィはポカンとしてしまった。
気付いたセルジエが声を掛ける。
「リヴィ、申し訳ないけれど小部屋を使うよ。水でも持ってきてくれるかい? 彼が今にも倒れそうな顔色をしているから」
「あ、はい。倒れそうと言うか、先ほど倒れていらっしゃいました……」
「おお、そうだ。さっきの水、もっと飲ませろ」
「さっきの水?」
セルジエが首をかしげる。
リヴィが、ほぼ空になった水差しを差し出した。
「あ、これです。汲んだ湧き水に、リモネを絞って入れたんです。疲れに効くかと思って」
「なんだい、それ? 私にもくれるかい?」
「わかりました」
リヴィは厨へと向かった。
その間にセルジエと青年は、以前リヴィが整えたセルジエの小部屋へ移動する。
リヴィが水とコップ二つを持って部屋を訪れると、セルジエは石の椅子に腰掛け、青年は寝台に座って居た。
「巫女を取るなんざ、珍しい」
「だから、私が呼んだんじゃ無いんだよ」
相変わらず青年の声は大きく、セルジエの声音は面倒そうだ。
リヴィはそっと水を注ぎ、コップを二人の側に置いた。
セルジエが青年を手で示す。
「リヴィ、彼はデルリオ。南方を守護する、火竜神デルリオだよ」
「火竜神様」
リヴィは驚かず、ひざまずいて礼の姿勢を取った。
威厳や感じるプレッシャーから、セルジエの同類では、と薄々思っていたのだ。
火竜神――デルリオは、手を上げてリヴィを制する。
「特別にデルリオと呼ぶことを許す。お前、巫女なんだってな」
「はい、デルリオ様。ラクター大神殿より使わされました、水竜神様の巫女にございます」
「ラクター大神殿が、なんだってセルジエに巫女を寄越すんだよ」
「神託が下ったと」
「セルジエは呼んでねぇって言ってるぜ?」
リヴィは返事に窮する。
それはリヴィも聞いていた。だから神殿に戻って神託を調べろと、セルジエには言われた。
それが叶わなかったのが、先日の出来事だ。
セルジエが肩の高さで片手を開く。
「だから、どうも神殿がきな臭いね。そもそも、リヴィに『30日の不寝食の儀』をさせようとしていたし」
「30日不寝食だぁ!? 人間なら死ぬだろ!」
デルリオが大声を出す。
セルジエは片耳を塞いだ。
「そう、死んでしまう。本人も死ぬ気になるまで洗脳されていてね、困ったものだよ」
デルリオはリヴィを見た。
「お前、本気で不寝食で祈る気だったのか」
「え……はい」
「いや無理だろ、死ぬだろ」
「それがお勤めなら……」
『死ぬのも仕方ない』と言いたそうなリヴィに、デルリオは驚いた顔をした。
「なるほど、洗脳されてやがる」
「だろう。しかも、帰そうとしたら、兵士がわざわざ殺しに来てね。どうしても私の前でリヴィを死なせたかったらしい」
デルリオは面食らった顔をした。
「兵士が? よく生きてるな、巫女」
「しっかり刺されたよ、全くやってくれる。傷は塞いだけれど、まだ健康と言うには遠いね」
「傷を塞いだ? 刺し傷をか? そうか、それであの神力か」
デルリオは納得したように膝を叩いた。
セルジエは頷く。
「そういうことだね。――私の前でリヴィを死なせたい神殿側が、リヴィを刺した。私はその傷を塞ぐために通力を使った。君を騒がせた神力の気配は、そのときの物だよ」
「なるほどな」
どうやらデルリオは、セルジエがリヴィを助けたときに使った強大な力を感知して、ここへやってきたらしい。
(竜神様同士、お友達みたいな関係なのかしら。何かあったようだから心配して、みたいな?)
リヴィはそう考えて納得する。
デルリオは顎に手を当てて思案顔になった。
「しかし、じゃあアレもその関係か。来る途中、麓が騒ぎになっていた。どうも神殿側と領主側で揉めていたみてぇだが」
「麓で騒ぎが!?」
リヴィは思わず口を挟んでしまった。
セルジエとデルリオが一斉にリヴィを見る。
セルジエは察して、デルリオに続きを促した。
「揉めていた規模は?」
「んなもん見てねぇよ。どっちも10人ずつくらいじゃねぇか? 半分死んでるような兵士を挟んで、言い合っていたけどよ」
「半分死んでいるような兵士……?」
リヴィが疑問符を浮かべると、セルジエが即答した。
「君を刺した兵士だろうね。殺しはしなかったけど、簡単に目覚めない程度には痛めつけたから」
「お前のせいじゃねーか」
デルリオが思わずつっこむ。
リヴィは青い顔をして顔を押さえた。
(ベルタさんたちは大丈夫かしら……!? 私のせいで、村に迷惑が……!)
「リヴィ。何を考えているか大体わかるけれど、君のせいじゃないよ」
「でも、私……! 村へ行ってきます!」
リヴィは小部屋を出て駆けだした。
着の身着のまま、山道へ向かう。
セルジエが素早く飛んで、その腕を掴んだ。
「待ちなさい」
「待てません! 私を差し出せば揉め事は収まるかも!」
「余計悪化するかもしれないよ。それに、今の体力じゃ下山は無理だ」
「大丈夫です行けます!」
「はぁ、落ち着きなさい。連れて行ってあげるから」
セルジエはリヴィを抱き上げた。
追ってきたデルリオがようやく追いついてくる。
そちらに向かって、セルジエは手を上げた。
「そういうわけだから、少し麓へ行く。情報を感謝するよ、デルリオ」
「お前……!」
デルリオが何か言おうとするが、セルジエは構わず、神力を発揮した。
空間が捻れる。
捻れに飲み込まれた、と思ったら、リヴィとセルジエは山の麓に転移していた。




