第四話
リヴィとセルジエが見えなくなると、村は騒然となり、リヴィに物資を運ぶどころでは無くなった。
村の凍結が溶けると共に、氷の彫像と化していた教会の兵士たちも溶け、地面に倒れ伏す。
兵士たちはまだ息があった。人を刺した重罪人とはいえ、教会の者である。扱いあぐねて、村長の家の部屋に軟禁することとなった。尤も、意識が無く、閉じ込めておかなくても動きはしなかったが。
山に本当に竜神がいたこと、竜神の化身のような神官がいたこと、リヴィが致命傷から回復した奇跡。それらに村人はひとしきり騒いだ。
騒いだ後、畏怖した。
「私たちは麓に住み、その存在を言い伝えで知りながら、ないがしろにしてきた。竜神の怒りを買うのでは?」
そこでベルタが言った。
「巫女様へ物資を届けろと言われたろ? キチンとやり遂げるんだ、これ以上不興を買わないために」
その言葉に村人たちは頷いた。
そして金を出し合って行商人から物資を購入し、荷物を担いで神殿へ登り始めた。
セルジエは素早く山道を登っていた。リヴィを抱えているというのに、常人の何倍ものスピードで神殿を目指す。
抱えられたままのリヴィは、徐々に状況を理解し、居心地悪く固まってしまっていた。
なにせ、大の青年に抱きかかえられるなど、初めてのことだ。
チラリとセルジエの顔を見上げる。
セルジエは表情の無い顔で、淡々と足を進めていた。
(降ろして……って言える雰囲気じゃ、無いよね)
リヴィは大人しく固まっていた。
神殿に着くと、セルジエは歩みを緩める。
常人のスピードになると、コツコツと歩いて、一番手前の小部屋に向かった。
石の寝台はまだ整えられたままだ。セルジエはそこにリヴィを降ろす。
「あの、セルジエ様」
「動かないで。無理矢理傷を塞いだだけだから、衝撃は体に残っているはずだよ」
起き上がろうとしたリヴィを、セルジエは制する。
言われてみれば、体が酷く重かった。とても立ち上がれそうには無い。
リヴィは礼を取るのは諦めて、寝台に身を沈めた。
「あの……どうして助けてくださったんですか?」
「君は私の巫女だろう」
当然のようにセルジエは言った。
しかしリヴィは腑に落ちない。
「私、何もお仕え出来ていません」
「祈ってくれただろう、私に。そして神殿を清め、私の部屋までしつらえた」
そう言うと、少し可笑しそうにセルジエは笑う。
「私は君を気に入ったんだ、巫女として」
そう言われて、リヴィは困惑する。
「……私は、死んで祈りを届けるのが役目なのに」
「君のその考えは、根深いね。無意味だと言っただろう? どうせなら、生きて仕えなさい」
リヴィは答えることが出来なかった。
自分が生き延びること、それは、やはり酷く恐ろしいことに思える。
(教会は手を下してでも私を死なせる気だった。それに、兵士を痛めつけてしまった。教会が報復に来るかもしれない。法術が得意な神殿が、大勢の神官でセルジエ様を呪ったら、どうなるか……)
そこまで考えて、リヴィは身震いした。
セルジエが疑問符を浮かべる。
「リヴィ?」
「セルジエ様、もし教会が報復にきたら、私を差し出してください。教会の溜飲が少しは下がるかも」
「教会の報復を恐れているのかい? ……私が負けるとでも?」
「殺されなくても、穢されるかもしれません。そんなことになるくらいなら」
「穢れたら清めればいい。何も心配は要らないよ」
「でも」
「もうお黙り。少し眠るんだ」
セルジエはリヴィのまぶたに触れて閉じさせる。
されるがままに目を閉じたリヴィは、次の瞬間には眠り込んでいた。刺された衝撃で、とても疲れていたのだ。
眠ったのを確認して、セルジエも壁にもたれかかる。そして瞑目した。
意識は山の中腹へと飛ぶ。
顕現した竜神の本体は、山中の洞穴へと入り、休んでいた。
やがて、村人たちが物資を運んでくる。
セルジエは眠るリヴィを抱き上げ、寝台を作らせた。
藁が敷かれ、布が被され、毛皮の掛け布団が持ち込まれた。これでようやく人並みに休める寝台となる。
食料は保存を考えてか、乾燥パンと干し肉。それに野菜と、塩が少し。鍋に入れて持ち込まれたので、これで料理が出来る。釜戸はかろうじて神殿にも作り付けられていた。
村人たちはセルジエにひれ伏しながら、それらを次々に献上していった。
セルジエは平然とそれを受け止める。
「これで巫女も回復するだろう。代わりに、裏の湧き水を汲んで行きなさい。熱病くらいなら、たちどころに治ろう」
そういってセルジエは、裏にある泉に村人数人を案内した。
半信半疑ながら、汲めと言われたので、村人たちは水を汲んでゆく。
その水が、熱病の少年をただちに回復させ、寝たきりの老人に、起きて食事できるまでに力を付けることが解るのは、少し先の話となる。
リヴィは目覚めると、暖かい寝具の中に居た。
厚い布で覆われた寝台、毛皮の掛け布団。
セルジエに言われた村の人々が用意してくれたのだと察して、なんだか申し訳なくなる。
幸い、起き上がることは出来た。寝台から足を降ろして、踏みしめてみる。
立ち上がると、立ち眩みがしたが、すぐに収まった。歩けそうだ。
リヴィの荷物は、行商の馬車に置いてきてしまっていた。水袋や手ぬぐいなど、数少ないが必要なものが入っていたのだが。
仕方なく、リヴィは裏の泉を目指した。手で掬えば水は飲めるだろう。
壁伝いに歩いて、裏口から神殿を出る。藪に覆われた獣道を奥に進めば泉だ。
獣道を進む。しかしだんだん力が抜けて、ついにはへたり込んでしまった。まだ歩き回れるほどの体力は無かったのだ。
(少し休んだら、もう部屋に戻ろう。まだ寝てよう……)
情けなく思いながら、リヴィは近くの樹に身を預けて休む。
そうしていると、後ろから、サクリと土を踏む音がした。
「何をしているんだい?」
その声にリヴィは飛び起きる。慌てて礼を取ろうとして、しかし上手く動けず、ベシャリと地面に倒れた。
「ふふ、慌てないで。ほら」
助け起こされる。
現れたのはセルジエだ。興味深そうにリヴィを見ていたが、慌てすぎて倒れたところを見て、今は可笑しそうにしている。
リヴィは恥ずかしさで土に埋まりたくなった。
「すみません、セルジエ様……水を飲もうと思ったのですが、疲れてしまって」
「ああ、水。それなら、神殿の厨に行けば良かったのに」
「え?」
「水差しに水を汲んであるよ。コップもある」
「水差し? コップ?」
リヴィの記憶の中では、神殿の厨は石埃が積もり、朽ちた食器が散らばるような場所だ。リヴィが掃除したけれど。
セルジエは愉快そうに笑うと、リヴィを抱き上げた。
「セルジエ様! 支えていただければ歩けます……!」
「こうした方が早いよ」
有無を言わせず、セルジエは抱いたまま厨へ向かう。
到着すると、そこはすっかり様変わりしていた。
石埃やがれきを掃除してガランとしていたはずの厨に、鍋や水差しがある。
干し肉が吊られ、野菜が籠に入っている。塩の入った小袋が、調理台に置かれている。
セルジエはリヴィを調理台に座らせると、陶磁器の水差しと木のコップを渡した。
「はい」
「ありがとうございます……」
リヴィは水をコップに移し、口を付ける。まるで人間らしい動作だ。寝て起きたら、廃墟が暮らせる場所に変わっていた。
セルジエは置かれた食品や食器を見回す。
「これだけあれば、暮らせるかい?」
「当面は、十分すぎるほどに」
「うん。じゃあ、回復するまではここに居るように」
ニコリと笑みを向けるセルジエ。
それに、また有無を言わせない圧力を感じた。
「……はい」
もとよりセルジエに逆らうつもりの無いリヴィは、素直に頷くことにした。
夜、釜戸に火を入れたリヴィは、干し肉一欠片と根菜を入れたスープを作った。
固い乾燥パンを、スープに浸して食べるのだ。
「セルジエ様! いらっしゃいますか」
神殿内に呼びかけると、すぐさまセルジエが側に現れる。
「どうしたんだい?」
「食事の用意が出来ました。たいした物ではありませんが……」
そういって、リヴィはセルジエにスープとパンの入った器を差し出した。
セルジエは一つ瞬きする。
「……これは君がお食べ」
「そんな、これはセルジエ様へ献上された食べ物なのに」
「君のために持って来させたものだよ。君が食べるんだ」
「……私の分もちゃんとあります」
「なら、明日の朝食べれば良い。とにかく、私は必要ないよ」
リヴィはハッとした。
「……必要無いのですね。ご迷惑をおかけしました」
セルジエは肩をすくめる。
「落ち込ませたい訳じゃ無いのだけれど。いかんせん、この身で長く物を口にしていない。いきなり食べると、身体を壊すだろうから」
「やはりご迷惑でしたね。先に、食べられるものを伺うべきでした」
セルジエはますます苦笑する。真面目というか、自責癖の強い娘だ。
「そうだね、ではスープの水の部分だけもらおうか」
「いえ、ご無理にとは言いません……!」
「せっかく用意してくれたんだからね。食べたいには、食べたいんだよ」
そういってセルジエは調理台にもたれかかった。スープ皿とコップを手に取り、水気だけをコップに移す。
リヴィを視線で促すと、リヴィもおずおずと調理台に寄ってきて、近くの踏み台に座った。
セルジエはコップに注いだスープを一口すする。
「……おいしいね」
少し驚いたように言った。
リヴィは慌てる。
「なにか変だったでしょうか?」
「何故そうなるんだい? 美味しいと言ったんだよ。食べ物とは、こんなに美味しかったかな」
言いながら、セルジエは一口、また一口とスープを飲む。
リヴィはその様子に安心して、ようやく自分のスープとパンに手を着けた。
「君は、料理は得意な方?」
セルジエが尋ねる。
「特別得意ではありません。食うに困らない程度に調理は出来ますが」
リヴィが答える。
「謙虚だね。食うに困らないのは十分特技だと思うけれど」
セルジエは可笑しそうに言う。
リヴィもスープに浸したパンを咀嚼する。
確かに、質素なはずのスープが、言われてみれば中々の美味に感じられた。
二人で摂る食事は和やかだった。




