第三話
翌朝、プラムを食べ湧き水を飲み、リヴィは久方ぶりに爽快な気分になった。
おそらく三日間断食した疲れも、そろそろ取れたのだろう。
リヴィは神殿の入り口に立つと、キョロキョロとした。
セルジエが察して姿を現す。
「私に用かい?」
「セルジエ様。はい、あの、回復しましたので、本日山を下ります」
「そうか、無事に回復して良かった。気をつけてお帰り」
「はい。お世話になりました。短い間でしたが、お仕えできたことを誇りに思います」
「誇るほどの物でも無いけれど。それじゃあ」
「はい」
リヴィは深々と礼の姿勢を取る。
セルジエは軽く手を上げてそれに応えた。
リヴィは六日前に上ってきた山道を下り始めた。
獣道をかき分け、リヴィは下りていく。
古代に整備された石畳の残骸が、唯一の道しるべだ。
往きの道も、この石畳を辿って神殿までたどり着いた。
(山を下ったら、どうなるんだろう)
歩きながら、リヴィは考える。
往き道は、ここで人生が終わるのだと思っていた。神殿の僧兵が前後にいて、睨みをきかせていたし、神殿でも『死んで初めて祈りが届き、役目は全うされる』と教え込まれていて。とても生きて神殿を出るなんて考えられなかった。
このまま下りていけば、やがて麓の集落に着くはずだ。
そこからどうしたらいいのか、サッパリ見当もつかなかった。
考えている間にも足は進み、やがて集落が視界に入るようになる。昼前には到着しそうだ。
集落に入った途端、リヴィは人に囲まれた。
『この間の巫女様じゃ』『もう出てこないという話では』など、ひそめく声が聞こえてくる。
リヴィはなんとか愛想笑いを作った。
「神殿の管理人様に、神託をよく調べるように言われて、戻って参りました」
口からはそんな方便が滑り出た。
嘘ではない。神殿に唯一いた存在に、神託を調べるように言われは、した。
一人の女性が進み出て、リヴィの肩に手を置いた。
「そうかい、それはよかったよ……! 死ぬまで神殿から出られないなんて、おかしいと思ったんだ。さあ、うちにおいで。よく六日間も山に居て無事だったね」
そう言ってくれた壮年の女性は、ベルタと名乗った。
ベルタの家は、集落の中でも大きい方だった。そこに、ベルタとその姉マルタと、幼い姪のエバが住んでいた。
ベルタの夫は亡くなっており、息子は都会へ出ていて、マルタの夫も都会に出稼ぎに出ていると言うことだった。
「女しかいない家だからね。気兼ねしないで休んでいっておくれ」
ベルタはそう言ってリヴィを歓迎した。
「しかし、あの神殿に管理人なんていたんだね。あたしはこの村の生まれ育ちだけど、みたことがないよ。なにせ、主祭神から外れた、竜神なんかの神殿だろ?じいさんが本物の神が居るとか言っていた気はするけど……」
「あの、山中で、木の実などを食べて、ひっそり神殿を守っているそうですよ」
「そうなんだねぇ。一度ご挨拶出来たら良いんだけど」
ベルタはそう言って納得した。
その日は藁の寝台を貸してもらえ、リヴィはゆっくり休むことができた。
翌日、リヴィは王都ラクターへ帰る方法をベルタに尋ねた。
ベルタの答えはこうだった。
「隣町なら辻馬車が出ているから、乗り継いでいけば王都に着けるだろうけど、その隣町までがねぇ。女の足じゃ5日はかかる。それに、街道にはオオカミも出るからねぇ。10日に一度、行商人が来るから、皆それに乗せてもらって街まで行くんだよ。明後日には来るから、アンタもそれに乗りな」
リヴィは了解し、それまでベルタの家の世話になることになった。
「では、ホウキやピッチフォーク(熊手)を貸してもらえませんか?」
「え?」
リヴィは早速、ベルタの家の掃除を始めた。
枯れ草などが放置されているのが、気になったのだ。
家周りの掃除は実家でもよくやっていて、得意だった。枯れ葉を除いた下から出ている雑草も引き抜く。
せっせと作業していると、ベルタの姪のエバがジッと見ていた。
「どうしたの?」
「お掃除してるの?」
「そうよ。お世話になるから、このくらいは出来ればと思って」
「エバもやっていい?」
「もちろんよ!」
エバはまだ5歳くらいだろうか、幼すぎてまだ働き手にはなれない。掃除も、家の中程度しかやったことが無いのだろう。ホウキやピッチフォークの使い方を教え、リヴィが動かすのに手を添えさせて、使い方を教えてやる。
「上手よ、エバちゃん」
「エバ、おそうじ上手?」
「ええ、とっても!」
効率は落ちたが、リヴィには楽しいひとときとなった。
それを見る、兵士たちが居た。
腕には教会の腕章が着いている。
そうして二日が過ぎた。
夜、寝る前に、ベルタが特別にお茶を淹れてくれた。
「明日には行商人が来るからね」
「はい。お世話になりました」
リヴィが礼をすると、ベルタは「とんでもない!」と手を振った。
「こっちこそ、家を掃除してもらえて助かったよ。エバの子守までしてもらっちゃってねぇ」
「弟妹が居ますので、エバちゃんと居るのは楽しかったです」
「そうかい、姉弟が。ご家族も、帰ってあげたら安心するだろうね。巫女は名誉なことでも、命がけとあっちゃ、心配しているだろうから」
「あは、そうですね。お勤めが終わったら、帰らないと」
リヴィは曖昧に笑う。
借りている寝台に入り、リヴィは天井を見上げた。
(“神託を調べろ”って言われたし……帰れる時なんて、何時になるんだか)
それ以前に、王都の神殿に戻ることが恐ろしかった。
考えると、心が暗澹とする。
自分に、餓死の訓練を施した場所だ。
帰って無事に済むとは思えない。
(最後に、いい村でいい時間を過ごさせてもらったな)
リヴィは表情の消えた顔で、目を閉じた。
行商人は朝やってきて、昼には出て行く手はずになっていた。
リヴィは最後の掃除を昼までに済ませ、少ない荷物を持って、馬車に積み込む。
「お世話になりました」
リヴィが礼をすると、ベルタは気さくに手を振った。
「また神殿に来ることがあったら、寄っておくれ」
「はい、是非」
リヴィは上っ面の笑みで答える。
そのときだった。
「反逆の巫女、リヴィ・アーン!!」
地に響く兵士の怒声がした。
リヴィはパッと振り向き、行商に集まっていた村人たちはバッと割れる。
村人が道を空けた先に、教会の腕章を着けた兵士が二人、立っていた。
剣を抜いて。
「神殿を抜け出すことは許されていない! 不寝食の儀は達成されねばならない!」
「うおおおおっ!!」
一人の兵士が口上を述べると、もう一人が、剣を手に走り寄ってきた。
村人から悲鳴が上がった。
「キャアア!」
「巫女さん!」
呼ばれても、リヴィは動けなかった。
ただ、淡々と迫り来る剣を見ていた。
ドスッ!!
剣はリヴィの腹に突き刺さった。
「あ……かはっ、あ……」
リヴィの口から血が流れ出る。
膝がくずおれ、リヴィはその場に倒れ込んだ。
「リヴィ!」
「お姉ちゃん!」
ベルタやエバが駆け寄った。
しかし、剣は深々と刺さり込んでいる。抜くこともためらわれた。
ベルタは側にひざまずき、リヴィの手を握った。
「なんてこと……! どうして逃げなかったんだい!?」
やるせないベルタの声が響く。
リヴィは答えようと口を動かすが、一層血が漏れ出るだけだった。
(神殿に帰っても、きっと殺されていたもの。死ぬのは、覚悟していたから)
もう口には出せない。かわりに、穏やかな顔をベルタに向けた。
ベルタは信じられない物を見るような目で、リヴィを見た。
そのとき突然、冷気が辺りを包んだ。
キャシィィィン!!
寒い、と思った次の瞬間には、大地が、木々が、空気が凍った。
まだ秋口だというのに、村は氷に覆われたのだ。
『私の巫女に手を出したな』
荘厳な声が、その場に居た全員の頭に響いた。
次の瞬間、リヴィの上空の空間がゆがむ。
揺らいだ空間の中から、スルリと長身の青年が滑り出てきた。
古い様式の法衣、長い銀の髪。――セルジエだ。
青年は着地すること無く、そのまま宙に浮く。そして、リヴィを刺した兵士たちを、ジロリと見据えた。
「ひっ……神官……!?」
「神殿は無人のはずじゃ……!?」
セルジエの着ている物から、神官を連想するが、しかし違うことは皆解っていた。
どんな高位の神官であっても、村一つを凍結したり、空間を破って転移してくることなど、出来ないのだから。
セルジエは無表情のまま、兵士二人を指さす。
と、二人の足下から、氷が立ち上ってきた。
ピキピキピキッ
「ぎゃああ!」
「冷たい! 助けてくれ! 許してくれぇ!!」
悲鳴を上げるが、氷は止まらない。
瞬く間に兵士は氷に覆われ、白い彫像と化した。
セルジエは興味なさそうに、彫像から目を離す。
次いで、倒れたリヴィをのぞき込んだ。
地面には血だまりが広がっている。
リヴィはもう目がかすんで、セルジエの姿を捉えることが出来なくなっていた。
『愚かな私の巫女。死ぬことは許していないというのに』
(セルジエ様……私は、死んで祈りを届けるのが役目……)
『そんな儀式、認めた覚えは無い』
セルジエはキッパリと断じた。
そして、その上空の空間が揺らぐ。
長身の青年の頭上が揺らぎ、その中に、水色の巨大な影が浮かび上がっていった。
細長い首、同じく長く伸びた尾、華奢な手足。頭には角を備え、首元にひときわ光るウロコを持つ。
竜神だ。神話の時代に存在したという竜神そのものが、姿を現したのだ。
青年のセルジエがリヴィを抱き上げる。
傷口から血があふれて、ボトボトと血だまりに落ちた。
構わずそのまま抱いて、宙に浮かび上がる。
剣に手を掛けると、ゆっくりと引き抜いた。
村人たちは息を呑む。抜いては傷が広がってしまうのでは、と。
しかし、それ以上血が流れることは無かった。
剣を抜き始めた途端、リヴィを抱えたセルジエの足下に、大きな魔方陣が広がった。
そして上空に現れた竜神から、リヴィへ力が注がれる。
剣を抜いたそばから、リヴィの傷は塞がっていった。
切っ先はスルリと抜け落ちる。リヴィの腹は、青い魔力が注がれて元通りに塞がっていた。
セルジエは宙から剣を投げ捨てた。凍った地面に、剣がガランッと落ちる。
傷が塞がっても魔力はリヴィに注がれ続けた。失われた血液を――水を、注ぎ込むように。
リヴィは薄目になり、ほとんど意識を失っていた。しかし魔力が浸透していくと、徐々にまぶたを開け、瞳に光を戻していった。
「……セルジエ様」
「死なせはしないよ、私の巫女」
セルジエはリヴィの額に、一つ口づけた。
魔方陣が消える。竜神から降り注ぐ魔力が止まったのだ。
セルジエは地に降り立つと、ベルタに目をやった。
「この娘は神殿で休ませる。休むために必要な寝具……藁や毛皮を、神殿まで運びなさい。それから食料を毎日。出来るな?」
ベルタは操られるかのように、ゆっくりと頷いた。
セルジエはそれに頷き返す。
それから、地に降り、ゆっくりと歩いて山道へと向かった。
上空に現れたままの竜神は、バサリと羽ばたくと、山の峰に向かって飛翔する。
リヴィを抱えたセルジエは山道へ見えなくなり、竜神は山へと消えた。
村人は、しばらく呆然としたまま、動くことができなかった。




