第十話
帰りの馬車、デルリオが高笑いした。
「教会の奴ら、傑作だったぜ。よく言い負かしたな、褒めてやるぞ巫女」
「きょ、恐縮です……!」
リヴィは顔を押さえて俯く。
またも理性が戻ってきて、後悔の時間を迎えていた。
教会相手に、なんて大口を叩いてしまったのだろう。不敬も良いところだ。
教会に刃向かうつもりは無いのだ。来いと言われたら行くし、死ねと言われたら死ぬ。従うつもりだ。
ただ、セルジエを蔑ろにされると。
この尊き神を侮辱されると、どうしても訂正せずには居れないだけで。
リヴィは俯いた姿勢のまま、チラリとセルジエを見やる。
セルジエはデルリオを見て、呆れたような顔をしていた。しかしリヴィの視線に気付くと、途端にこりと笑みを浮かべた。
「大役、お疲れ様だね」
そう言ってリヴィの頭を撫でた。
リヴィはますます俯いてしまう。
「いいえ、これでセルジエ様のお立場がますます悪くなってしまったら……」
「構わないよ」
キッパリとセルジエは言った。
「教会にどう思われようが、私は気にしない。それより、リヴィが尊んでくれることが、何より嬉しいよ」
デルリオが口笛を吹いた。
「言うじゃねぇか、セルジエ」
セルジエは呆れ笑いのような、曖昧な笑みを浮かべた。
「自分の力やそれによる恩恵を喜ばれるのは、そういえば心地よいものだったね。久しく忘れていたよ」
話している間に、馬車は宿屋へ着いた。
宿に帰り着くと、リヴィはすぐさまドレスじみたこの法衣を脱がしてもらおうと、イリスを探した。
イリスは出迎えに現れたが、ハイメスと何事か打ち合わせをしており、リヴィはしばし待たされることとなった。
夕食後、今日も今日とてリヴィを磨き上げたイリスがリヴィに、その内容を報告した。
「明日も侯爵邸へ?」
磨かれてヘロヘロなリヴィは、なんとか聞き返す。
イリスは頷いた。
「アラベル・ジュアット侯爵令嬢がお呼びです。個人的に、巫女様とお話があるそうです」
「うっ……どんな話だろう……」
リヴィは思わず胸を押さえた。不安しか無い。
尋問会でのリヴィは、アラベルの采配で許されたが、決してお行儀良くは無かった。
お叱りだろうか、それともなにがしかの処分が下るのだろうか。
悲観的になるリヴィに、イリスは淡々と伝える。
「悪いお話では無いはずです。それならば神官殿がたも呼び出されるはず。本当に、私的なお話がしたいのだと思われます」
「私的な話……それも想像がつかないけど」
リヴィは中流育ちとは言え平民で、アラベルは侯爵のお嬢様だ。会話が盛り上がるとは思えない。
不安を胸にリヴィは床に就いた。疲れから、すぐに寝入ってしまった。
翌日、指定された昼過ぎに、リヴィは馬車に向かう。
と、部屋で過ごしていたはずのセルジエが出てきた。
「どこへ行くんだい?」
「せ――ノエ様。アラベル侯爵令嬢様からお呼び出しで、侯爵邸に」
「呼び出し? 私たちは何も聞いていないけれど」
「私個人に、私的なお話があるみたいなんです」
「私的な……」
セルジエは思案顔をする。リヴィの顔をジッと見つめて。
リヴィは何故か叱られているような心地になる。勝手をしてはいけなかっただろうか。しかし侯爵令嬢からの呼び出しを、断れるはずも無いのだが。
セルジエはしばしリヴィを見つめていたが、やがてため息をついて目を伏せた。
「女性は会談が好きだと言うし、年の近い君に興味でも湧いたのかな。気を付けて行っておいで」
そう言ってリヴィの頭をポンッと叩いた。
リヴィは気恥ずかしくて俯く。先日といい、セルジエの振る舞いはまるでリヴィの保護者のようだ。
なんとか動揺する気持ちを抑えつけて、リヴィは顔を上げる。
「はい、気を付けて行ってきます」
「うん。あまり戻りが遅いと、乗り込むからね侯爵邸に」
「それはダメですよ!? 可能でもやってはいけませんからね!?」
神の力なら、一つの屋敷に侵入するのも破壊するのも、簡単なことだろうが、簡単そうだけにリヴィは肝が冷える。セルジエには激高して村一つを凍結させた前科もある。
ダメダメと言い募るリヴィに、セルジエは綺麗な笑みを向けた。
(あ、これ聞いてくれないやつ)
リヴィは、なるべく早く帰ろうと決心した。
到着した侯爵邸。通されたのは、以前より少し豪華な客室だった。
豪華な調度品にリヴィはすくみ上がる。ソファも重厚な革張りで、なのに座り心地は固くなく快適で、体重を掛けるのがためらわれる代物だ。
到着してしばらく待たされると、ヒール音が近づいてきた。リヴィは立ち上がって戸に向き直る。
扉をメイドに開けられて現れたのは、アラベルその人だった。
リヴィは跪く勢いでカーテシーする。
「ご召喚により参上いたしました、巫女リヴィ・アーンです」
「堅苦しいのはよくってよ。お座りになって。私の個人的なお話に、呼び立ててしまってごめんなさいね」
アラベルは苦笑しながら、リヴィをソファに促した。
アラベルの側近らしき壮年のメイドの女性が、テキパキとお茶を用意する。
「それで、お話なのですけど」
アラベルは早速に切り出した。
「リヴィ、あなた水竜神セルジエの神殿の、神官になってくださらない?」
「へっ!? 私が、神官ですか? 巫女ではなく?」
リヴィは目をまん丸にした。既に巫女という身分で神殿に身を置いているのに、神官になれとは。
アラベルは真剣な面持ちで続ける。
「巫女は神のために祈る存在でしょう? 神官は祈るだけではなく、祈りが滞りなく行われるように、神殿を管理する存在でもありますわ。あなたには神殿全体の管理をお任せしたいの」
「で、ですが、管理は既にノエ様が行っております」
「そう、ノエ殿がね。そのノエ殿なのですけど」
リヴィは嫌な予感がした。この続きを聞きたくない、と直感する。
しかしアラベルは、リヴィの目を見て話を続けた。
「私の婿として、ジュアット家に取り立てたいと思っております。……私は一人娘で、家を存続させるために婿を探しておりました。ノエ様はそれにぴったりの御仁だと思いましたの」
リヴィは頭を殴られたような衝撃を覚えた。
ショックだ、あらゆる意味で。
ノエ神官と偽っているが、彼の方は水竜神セルジエ本人である。それを見て、婿に望むなど。
(セルジエ様と、結婚したいだなんて)
恐れ多くもあるし、なんとも受け入れがたくもある。
「……何故、ノエ様を」
リヴィは言ってから、ハッとなる。
貴族が平民に告げることは反論など許されない、決定事項だ。何故、など言って良いことでは無い。
しかしアラベルは『不敬』という事も無く、扇子で口元を隠して思案するそぶりを見せた。
「そうですわね……あの神秘的な雰囲気、佇まいの気品など、侯爵家にふさわしく感じました。なにより、ルクシア教に対する考え方、“アイデンティティとは人の中にこそある”というお言葉……あのような視点が、今の社会には足りません。一介の神官に置くのではなく、侯爵家の一員としてもっと社会に役立ててほしいと思います」
そこまで言って、アラベルは「……いいえ」と、扇子を閉じた。
「あのお言葉を聞いて、わたくしが――わたくし個人が、あの方に惹かれたのですわ。結婚するなら彼が良いと、強く思ったのです」
アラベルは少し頬を引きつらせながら、それでもハッキリと言い切った。
リヴィはその気品ある姿に、圧倒されてしまった。
リヴィが何も言えないで居ると、アラベルは視線を少しうろつかせた。
「あの……何か言ってくださいまし」
「えっ? あ、セルジエ神殿のお考えに共感いただき、恐悦至極に存じます……?」
リヴィは慌てて巫女としての礼を取った。
するとアラベルは「んもう!」と扇子を叩いた。
「ノエ神官をお慕いしていると言ったのですわ! なにかありませんの? 神官殿はどのような方がお好きですとか、婿入りに従ってくれそうですとか……!」
「あっ、あっ、そうですよね……! えーと……!」
リヴィは慌てて言葉を探す。
本心では、あれは神様本人だから結婚は無理では、とか。
貴族社会に利用されるくらいならあの方は逃げるのでは、とか。
思うところはあったけれど。
(それは、神様の性質としてで……セルジエ様がアラベル様になんと言うか、どう思っているかなんて、私には想像もつかない)
リヴィの表情が曇った。
(セルジエ様が何故あのお姿で、どのように生きてこられたのかも、私は何も知らないんだもの)
「リヴィ……?」
沈痛な顔になったリヴィに、アラベルは思わし気な目を向けた。
と、そのとき。
コンコン
控えめなノックが、部屋に横入りする。
給仕をしていた壮年のメイドが戸を開けると、執事が立っており、メイドに何か耳打ちした。
メイドは戻ってきて、アラベルに耳打ちする。
アラベルは驚いた顔になった。
「まあ、商会が? こんな時に……。リヴィ、申し訳ありませんわね、急用が入りましたの。お話の続きは、明日お願いしても良いかしら?」
リヴィは慌てて顔を上げ、何度も頷いた。
「ご命令の通り従います」
「そう大層に捉えないでちょうだい。……そうそう、今日話したことは、誰にも秘密にしてくださるわね?」
アラベルが少し声を潜めて確認した。
リヴィはそれにも何度も頷く。
「もちろんでございます」
「ありがとう。では、また明日ね」
そういって、アラベルはツカツカと部屋を後にした。
リヴィは礼をしてそれを見送る。
アラベルの姿が見えなくなり、戸が閉められると、リヴィは力が抜けて、ソファへへたり込んでしまった。
『ノエ神官をお慕いしていると言ったのですわ!』
アラベルの声が頭の中で反響する。
リヴィは宿屋に送り届けられてから、まっすぐ部屋に戻る気になれず、庭のベンチでボウッとしていた。高級宿であるここは庭も豪華なものがしつらえてあった。
アラベルに私的な話と言って呼び出されたが、要するに恋愛相談がしたかったのだろう。“ノエ神官”に最も近しいであろう巫女であるリヴィに。
リヴィは得体の知れない衝撃から抜け出せないまま、呆けるしか出来ない。
(セルジエ様をお慕い……? 神様ですが? 知らなければ惚れられるものなのかな……? いや無理じゃ無い? 普通にしてて神々しいよ?)
様々な疑問が渦を巻く。
おそらく、気持ちで言うなら、“信じられない”というのが最も大きい。
改めて考えると、リヴィにとってセルジエは最初から“神様”だった。
教会に言われるがまま死のうとしているのを、『死ななくて良い』と導いてくれた。
刺されたときには治癒してくれた。
そんな存在だったので、信望ばかりが募り、セルジエという“人格”について、目を向けたことが無かったのだ。
だから、セルジエという個人を気に入ったというアラベルの意見が、衝撃的だった。
ボウッと思考に浸っていたため、リヴィは背後に足音が近づくのに気付かなかった。
「おい、なに黄昏れてやがる」
突然頭上から声がして、リヴィはビクッと飛び上がった。
見上げると、デルリオがざんばら髪を垂らしてのぞき込んできている。
「で――ディオ様!」
「ああ、そんな呼び名だったか、ちっめんどくせぇ。で、巫女殿はこんなところでなにしてやがる。厄介事でもあったか?」
「厄介事……」
リヴィはオウム返しにし、是とも否とも言えない。
リヴィにとっては非常に厄介な話をもたらされたが、世間からするとたいした話では無い、かもしれない。
「……私からお話しできることは何も」
「つまり厄介な話を受けたわけだ」
デルリオが断定する。
『令嬢が、そうと知らず神に求婚しようとしている』と言えば、厄介に違いない。
でも、どうだろうか、神威を示して『神であるから結婚は出来ない』とセルジエ本人が告げれば、済む話ではある。
(私はなんでこんなに悩んでるんだろう)
リヴィは自分で疑問に思った。
その顔色を見て、デルリオが片眉を上げる。
「――お前、本気で大丈夫か」
「え、な、何故ですか?」
「こういうのはなんつーんだ、顔色……いや、“相”が悪い」
「“相”……? 顔つきですか?」
リヴィは顔を押さえる。そんなに酷い顔をしていただろうか。眉間に皺くらいはあったかもしれないが。
だがデルリオは真剣な顔で首を振り、リヴィの前側に回る。
「顔立ちの問題じゃねぇ。通力ってのはな、物事の先くらい見通せるモンなんだ。特に顔を見りゃ、そいつの近い未来くらい解る。お前、ヤベェよ」
そう言ってデルリオは、リヴィと目の高さが合うようにしゃがんだ。
(そういえば今日出かけるとき、セルジエ様も私の顔をマジマジ見てた)
あのときも、“ヤバい相”が出ていたのだろうか。
デルリオは真剣な顔でリヴィの顔を――その向こう側を見るように、見つめる。
「数日は大人しくしとけ。それか、セルジエの側に居ることだな。上手くすれば凶兆を躱せるかもしれねぇ」
「わ、わかりました、ありがとうございます」
リヴィはデルリオに頭を下げた。
下げてから、気付く。デルリオはなんて親切なんだろう、わざわざ凶兆を見て忠告してくれるなんて。
リヴィは不思議そうな顔でデルリオを見遣った。
「なんだ?」
「ディオ様は、とても親切であられますね? 余所の巫女である私に、そんな忠告をしてくださるなんて」
「おま、この程度親切でも何でもねぇだろ。助けるわけでもねぇ、ただ見た物を言ってるだけなんだから」
デルリオは思わず真剣さを崩し、半眼になった。『なにを言っているんだ』と目が雄弁に語る。
しかし、リヴィは薄く微笑んだ。
「やはり、お優しいです、“デルリオ”様は」
デルリオの親切が、くすぐったくも嬉しい。
デルリオは半眼をさらに細めて、そんなリヴィを睨め付けた。
しばらく睨んでから、口を開く。
「――俺が助けてやろうか」
「え?」
「凶兆から、お前を守ってやっても良いって言ってんだ」
「ええ?」
疑問符を浮かべるリヴィを、デルリオは腕を掴んで立ち上がらせる。
「神を信じ、しかし欲を掻かず、清貧を良しとし邪念を払って祈れる。お前は優秀な巫女だよ。――だからさっさと婚姻しちまわねぇセルジエが解らねぇ。あいつが放っておくんなら俺が貰っちまうぞってんだ」
そう言って、リヴィの両肩に手を置き、真剣な目でリヴィを見つめた。
「俺の巫女になれ、リヴィ」
「……!」
リヴィは息を呑んだ。
告げたデルリオは神々しかった。真剣な顔は万物を見通す冷静さがあり、鍛えられた体躯は雄神として否の付け所が無い。そして静かに『巫女になれ』という声音には、自然に跪きたくなる重みがあった。
(『はい』と言ったら、なにがなんでもこの人のものにされてしまうわ)
そう直感する。
だからリヴィは、勝手に跪きたくなる身体に抗って、しばし沈黙した。
「――私は、セルジエ様の巫女です」
ようやく、そう答えた。
たった一言が、喉が引き攣れて焼け付くかのようだった。
そのくらいデルリオの言葉は抗いがたい。
けれど、リヴィは頷くことは、どうしても出来なかった。
デルリオの誘いで、逆に自覚してしまう。
(私、誰でも良いんじゃ無くて、セルジエ様だからお仕えしているんだわ)
その気持ちが、神の誘いさえ撥ねのける。
デルリオは真剣さを崩さず口を開いた。
「セルジエが命の恩人だからか」
「……違います」
「あいつの見目を気に入っているからか」
「違います」
「じゃあ、あいつが良くて俺では駄目な理由はなんだ?」
「――セルジエ様は、一度も『自分の巫女で居ろ』と、私に言わなかったわ」
出会ったときからリヴィはセルジエの巫女だった。だからあえて言う理由もなかったのかもしれない。
けれど、デルリオと出会ったときも、なんのてらいもなく紹介し。
人間として貴族令嬢に逆らえないとなれば、その意思を折らず、『気を付けて行け』と見送ってくれる。
一度もリヴィを囲おうとしたり、行動を制限したりしなかった。
(セルジエ様は、ずっと私を尊重してくれていたんだわ)
だからリヴィも、セルジエ以外に仕えたいと思わないのだ。
セルジエが良いのだ、信望し、祈りを捧げるのなら。
リヴィの答えに、デルリオはジッと黙って、リヴィの瞳を見つめ続けた。
それから、フッと息を吐く。
「――自覚したか」
「え?」
「頑強な意思は神でも折ることができねぇってことだ」
そう言って、デルリオはぐしゃぐしゃとリヴィの頭を撫でた。
「お前がセルジエを慕ってんのはよーくわかってんだよ。俺のもんになるとは思ってねぇ」
「いた、痛いですディオ様」
「だから、ちゃんとセルジエに守らせろよ。あいつは昔から、気取って大事なもんを取りこぼす所がある」
「まず手を止めてから話してください!」
リヴィが音を上げると、ようやくデルリオは頭をかき混ぜる手を止めた。
リヴィは慌ててデルリオから距離を取り、乱れた髪を手櫛で戻す。
髪は毎晩イリスに丹念にケアされているため、簡単に元に戻った。
デルリオは一歩踏み出し、リヴィの肩を押した。
「おら、もう部屋に戻れ。それかセルジエの部屋でも行け」
「いっ行かないですよ!? 部屋に帰ります……!」
促されるまま、リヴィは宿の中へと小走りに戻った。
やれやれと、デルリオはベンチに腰掛ける。
それから、鋭い目で空を睨んだ。
視界の端に、宿の部屋たちの窓が映る。
その一つから、冷たい神の目がこちらに向いているのを認める。
ずっと視線は感じていた。この庭を見下ろす、氷のように冷たい視線を。
デルリオはその視線に、ヒラヒラと手を振ってやる。
それから、変わらず空を睨み続けた。
リヴィに見た凶兆。彼女の個人的な、小さな災いならば良いけれど。




