momo#1
あるところに、桃が大好きな女の子がおりましたとさ。
いつもどおりの田舎道をいつもどおりゆっくりと歩く。いつもどおりの青い空、いつもどおりの白い雲、いつもどおりの道端の花たちに、いつもどおりの風の音色。平和という音楽を奏でる道を私は急ぐことなく、ゆっくりと歩く。こんなに穏やかな気分は久々だ。
平和な道を平和な歌を歌いながら、美しく流れる清流に私は辿りついた。足映えは陽光ですっかり渇き、踏みしめる緑は一歩ごとに風の調べを奏でる。空気も時間も穏やかに流れ、キリキリとした精神も自然と和らぐのがわかる。こんなのんびりするのは好きではないのだが、たまにはこういうのも良いかなと顔もほころぶ。これでこの手の洗濯籠さえなかったら思う存分昼寝したりもできるのにと考え、こめかみの辺りが痙攣をおこしかけた。
清流に沿って丁度よい岩場に籠を降ろし、流れに手を浸すと思ったよりも温かい。というか温い。上流で温泉でも湧いているのか?
追求したい気持ちが半分、洗濯物が気になるのが半分。結局姉の悲しい性かなと私は一度、立ったもののその場に座り直した。手に取った一つ目の洗濯物は誰の物かわからない男物の大きな着物だ。染め色は濃い黄みの橙でイエロー・オーカーや黄土色と言われるが、かすかに薫る桃の香りからすれば楊梅色だろう。ヤマモモを使って染めるとこのような色と香りになるという。
どちらにしてもそれ以上にこの着物は臭い。何といえばいいかわからないが、どちらかというと男臭い。父はきれい好きでこんな匂いになるまで着ないし、弟には私が着させない。母も私もこれほどの身長はないし、和装より洋装が似合う母は着物自体を嫌っている。それならいったい誰のもので、どうして私がこんなものを洗わなければいけないのだろう。
とりあえず洗っておけと、私は水にそれを勢いよく浸けた。清流がかすかに色を変えるのが見え、思わず手を離しかけるのを抑えて、私はそのままの状態で上流に目をこらした。ここは見晴らしも良いし今日の天気は晴れだから、上流に温泉の気配ぐらいは見えるかもしれない。空には濃い雲が舟のように左右を行き来している。
桃の香りがした。目を凝らすとピンク色のなにかが流れてくる。丸いピンクの固まりは近づいて来るにつれて大きくなっていった。遠近法をまったく無視したとすれば、の話だが。
手に持っていた着物を岩場に引き上げ、籠の中身を草の上にぶちまけ、私は桃が来るのに備えた。桃は大好物だ。病気にならないと食べさせてもらえないのが難点であるが、あの甘く優しい気分を運んでくれる不思議な果物は最高の食材に違いない。
家でひとりこっそり食べる。
そんな目的のために目前を桃が通過するのを待っていた。
桃は予想以上にでかくなりつつあった。普通の十倍以上はあるのではないかと安易に考え微笑む。それが間違いだったとは云わない。なにより桃は大好物だから、多少多めでも問題ない。
ゆっくり流れてきた桃は十倍どころでなかったが、経緯はともあれ私は桃を手に入れた。