momo#7
病み上がりとは思えない勢いでテーブル上の皿が空になってゆく。
「よくわかったわねぇ」
音を立てて味噌汁をすすり、海藻サラダ味噌和えに箸を伸ばしながら桜葉は云った。
「私がパスワードだって」
衣服はパジャマではなく、黒のパンツに桜色の開襟シャツに着替えている。体のラインは丸く、僅かに膨らんだ胸元からはカードキーが2枚飛び出して揺れていた。肩にかかる烏羽色の髪は微細な母作のレース編みのリボンで緩くまとめられている。こうして見ているだけなら、無害な美少女なのに。
「だっていつものままだったよ。プログラムの最初のところが」
「風邪だったからね。変更するの忘れてた」
変更する気は本当にあったのか?
「でも作ったのは憶えているわけか」
「あたしだからね」
憶えてられるのよと続けて、分厚いマグロの赤身を口に放り込んだ。
「声紋に替えようと思ったんだけど、それじゃあたし以外に止めらんないと思ってさ。幸いあたしとあんたは同じ顔だし」
好きで同じ顔に生まれたわけじゃない。
いっても無駄なので、心の中で僕は反論した。この顔が気に入らないとかじゃなく、桜葉と同じ顔なのが迷惑なだけだ。
「現にあたしのふりして桃汰を止めたじゃない」
桜葉が左手を翻すと、一枚の写真が魔法のようにこつ然と現れる。
「それは!」
写真には、桜にまみれた髪を振り乱しても絵になるひとりの女が映っている。
「そのおかげで桃汰も手に入れたんでしょ?」
あまり嬉しくないし。
「どうせ一番上位の命令は桜葉じゃないか」
手が伸びてきて、僕の頬を引っ張った。
「あたしが知らないと思ってるの? あんた、桃汰のプログラムを書き換えさせたんでしょ」
「ふひゃらいふょぅ」
「情報によるとあたしの命令ってのもっと条件をつけたって話じゃなぁい?」
「ほへはひゃんてひ……いひゃいっへ!」
なんとか手を振り払って、僕はテーブルから少し身を離した。
「僕の苦労も考えてよ。桜葉の作る人形はいっつも暴走するんだからね?」
「でもあんたが止められるじゃない」
桜葉に懲りた様子はなく。
「だからあたしも安心して作れるのよね」
箸をおいて、彼女は微笑んだ。僕に向けてではなく、デザートの桃に向けて。
「ワシにもくれ」
テーブルに乗ったちび桃は母に抱えられてその膝に収まった。
「トータちゃんに食べさせても平気なの?」
「そんな機能は入れてないわよ。て何食べさせようとしてるのよ!」
一切れの桃が母の手でちび桃の口に放り込んだ。
「でも昨日の夕食を片づけてくれたわよ?」
「うっそ…」
驚いた瞳が僕の方を顧みた。
「本当だよ。だから僕も昨日の夕飯食べれなかったんだもん」
「そんな…今までどうやってもできなかったのに…」
熱に浮かされて解いてしまった謎に呆然としながら、桜葉は桃を平らげた。
「ちょっと地下行って来る。お父さんもそっちだよね?」
「桜葉ちゃん、お片づけが残ってるわよ」
「桃汰に、頼んで」
言い残してさっさと部屋を出ていってしまう。
「トータちゃんに?」
母の膝から飛び降りてちび桃は胸を張った。
「お母上の料理は本当においしい。礼に片づけをしてやってもよいが、静葉の命令がなければやるわけにいかん」
「静葉ちゃん」
世界で一番恐いモノは絶対に母だ。
「ちび桃」
「ワシは桃汰じゃ」
ちび桃の分際で主張するか。手を伸ばし抓ってやろうかとも思ったが、髪を撫でると猫ののどを撫でたみたいに嬉しそうにしている。
「片づけ、頼むな?」
「待っておれ、すぐに片づけてくる!」
ちび桃は食器を山のように抱えて、台所に向かった。その後ろ姿に少しの罪悪感を憶えた。
「うふふ」
「なに?」
居間に映ってTVゲームにチャンネルを回した。コントローラーは、と探す。
「よかったわね、静葉ちゃん」
「何が?」
聞き返して振り返ると、後ろにはもうちび桃が戻っていた。
「なんじゃ、それは?」
「おい、片づけは?」
「終わったぞ」
さっき片づけると云ってから5分も経っていない。念のため、台所に行ってみると、元より綺麗になっている。これと同じモノをみたことがあるような。
居間に戻ると、ちび桃はTVに釘付けになっている。
「すごいな。もしかして、桜葉の研究室片づけたのもお前か?」
ソフトを入れ、ゲームをつけると目がどんどん大きくなる。
「この箱は何じゃ? 音が鳴っているぞ!」
もうこの設定はどうにかしないといけないな。
「今度、現代の情報設定を追加してやるよ」
「えーっ」
不満の声を上げたのは、母だった。
「そのままのが可愛い~」
「現代のとはどういう意味じゃ?」
この2人、似ているかもしれない。