momo#6
その後のことはよく思い出せない。
気が付いたら僕は地下の桜葉の部屋にいた。正確には今、目の前にあるドアの向こうから父と桃汰の鬼ごっこの声が聞こえる。
「じゃあ、がんばって止めてきてくださいね」
何処かで聞いたようなセリフだなと思いつつ、僕はドアノブを回した。目の前に一面のピンクの花畑が広がり、その中を白衣姿の30歳代のメガネをかけた男と、代錯誤な絣の着物と袴を来た24歳ぐらいの男が走り回っている。
もっといえば着物姿の方は白刃を振り回している。
「ねぇよしひこ君」
「なんでしょう?」
「僕逃げてもいいかなぁ~」
背中を思いっきり押されて、僕は2人の男の間に倒れ込んだ。その僕に躓いて桃汰が倒れ、冷たい金属の床に思いっきり押し付けられた。花畑と思ったのは小さく三角や四角に切ったピンクの色紙だったし、それも対した量でもないので衝撃は緩和されずに直接伝わってきた。
「桜葉!」
父が間違えるのも無理はない。といいたいところだが自分の子供の区別もつかんのか。一卵性双生児とはいえ親なら区別しろといいたい。
先に立ち上がった桃汰が、僕を見下ろしたままで刀を振り上げる。しかし、また困惑した瞳で僕を見ている。
父は今にも駆け寄りそうだが、桃汰がいるので動けない。
「桃汰」
まだ刀は振り下ろされていないが、いつきてもおかしくはない。僕は頭の中で桜葉であればいうであろう言葉を捜した。
「誰に刃を向けてる?」
彼はまだ少し逡巡しつつも白刃を鞘に収めた。
「本当に主であるか?」
迷子のようにポツリとつぶやいた。迷っているというのは今までにないパターンだ。桜葉も少しは知恵を付けたということか。
僕は立ち上がって桃汰の頬に手を当てた。
「桃汰“戻りなさい”」
僕はよく頑張ったと思う。桃汰は壊れた人形のように微笑んで、ゆっくりと双瞳を閉じた。完全に閉じられた後から、その姿がだんだんと縮んで小さくなっていった。
「ありがとう~静葉くん~もうダメかと思ったよ」
抱きついてきた父をかわすと、その指に絡まって鬘がずれた。もう必要ないので、それを取って近くの壁に投げつける。なんで僕がこんな事をしなくちゃいけないんだ。
「どうしてぇ」
「父さんもどうして有用な武器つくんないのさ」
「だってよしひこ君いるし、法律に引っかかっちゃうよ」
「何を今更! よしひこ君は? とっくに違反してるでしょ」
親子の会話を微笑ましく聞いていた助手は、気が付いたように駆け寄ってきた。
「何をしているんですか。早く後ろの青いボタンを押しなさい」
助手がちび桃の後ろからボタンを押す。
「ちょっとせっかく止まったのに!」
閉じた瞳が弾かれたように開いて僕を凝視した。
「おぬしはだれじゃ?」
好奇心だけを映し出す純粋な瞳に、僕は後ずさりした。
「…」
「…」
そのまましばらく対峙し続けて1時間。
「僕は静葉だ」
果たして彼が僕側になったのか、それとも桜葉の命令は今だ有効なのか。
「ワシは桃汰だ。これからよろしくな」
微笑みの間から小さな牙がのぞいたのは見間違いだと信じたい。なんてものを付けてるんだ。桜葉が何を考えているかなんて一生分からないだろうし、分かりたくもない。もっとも、現時点で大抵のことは読めてしまうので手後れかもしれない。
「桃汰君、初めまして~」
背後から捉えようとした父の腕をすり抜け、ちび桃は僕の背に乗った。当然の如くかかる重力に、僕は両腕をつく。
「おり…ろ…っ!」
刀を抜く音にしてはやけに軽い音が上方で聞こえる。たとえば、よくある玩具のカタナ。もしかして、刀身も変化するのか?ということは、本体とリンクしてるんだ。あいかわらず、わけわかんないもん、作ってくれるよ。桜葉は。
「ワシになにようじゃ?」
ちび桃はかなり警戒している。でも、人の背中の上で、自分の体重も考えないでそれはないんじゃないか。考えているだけで降りてくれる訳もなく、自分の体を支えるだけで精一杯なのに、無理やり落とすことなんてできない。だんだんと目の前が暗くなってくる。
「怖がらなくてもいいんだよ?」
「ちっ近寄るなっ!」
背中が軽くなったと思うと、助手の影に隠れている。
じりじりと父はその差をゆっくりと詰めていった。
それを見ながら、力尽きて座りこんだまま荒く息をつく。いくら慣れているといっても動けやしない。見ている分には楽しいんだけど、どこか小さい頃の記憶とリンクする気がする。昔から、父は馬鹿力で、一度捕まると絶対に逃げられない。そして、捕まったが最後、気が済むまで連れまわされる。桜葉は嬉々としていたが、僕はとてもついていけるほど強靭な精神力は持ち合わせていなかった。
「よしひこ君」
困ったような笑顔で助手は肯き返している。もともと父の助手なのだからしかたないのだろうが、それは仲間を売り渡す行為とちがうのか。
「ぬぉ!?」
いともあっさり助手の手に捕まり、父に差し出された。とくれば、いくらなんでもそれが何を意味するのかちび桃にも理解できる。
「た…助けろ、静葉!」
必死の形相で云われても、いきなり呼び捨てでは助ける気も起きない。それにまだ体力が戻ってなくて動けない。
「別に何もしないよー?」
父が胡散臭い笑顔で近寄ってくるのを、ちび桃は心底イヤそうに見返す。たびたび送ってくる目線に、過去の自分がリンクもされる。
無言で諦めろと首を振って、小さく微笑んでやった。
「…う…裏切り者ぉぉぉっ!!!!!!」
虚しい悲鳴が、地下室に響き渡った。