momo#3
長湯の静葉が風呂から上がってくると、母はソファーに膝を抱えて座っていた。息子の気配に気がついた彼女は首だけ回して彼を見る。顔はもう笑ってもいないし、目は据わっているし、本当に怖い。
「オウちゃんを呼んできてくれる? シーちゃん」
無理矢理に笑顔を作っても、やはり目が笑っていない。時計はもう九時を回っている。
「は…い」
早く帰ってきてくれ父。静葉は心の底からそう思った。
二階に上り、今度は念のために桜葉の部屋をノックして開けると、そこには誰もいない。彼女の部屋は研究室と直通になっているから、おそらくそこにいるのだろう。しかし、いくら冷暖房が完備されているとはいえ、まだ熱があるのだから無理はしないで欲しいものだ。熱に浮かされた状態でどんなもの出来上がるのか、興味が半分、恐怖も半分。
「桜葉?」
部屋の中に恐る恐る踏み込む。見回しても彼女はいないのだが、警戒してしまうのはもう習性といってもいいぐらいだ。いないようにみえて本当にいないかどうかはわからないのだから。それに、本人がいないとしてもどんな罠が張り巡らされているかしれない。
「できたー!」
部屋の丁度中央、電灯の下に立ったところで、床下から彼女の声は聞こえ、次に本棚が動いて人が出てきた。さっき見たばかりの薄い桃柄のパジャマの上に白衣をつけ、髪を一つに編んで左肩に流している桜葉だ。彼女の足下に、何かがいるのが見える。が、それに関して静葉が口を開く前に、彼女は弟に飛びついた。
「きいてきいてーっ」
「ちょ、桜葉っ」
熱はやはり上がっていないし、それどころかあがっているようだ。触れられた部分が予想以上に熱い。
「あぁだから言ったのに。熱上がってるよ」
「そんなことより、聞いてよー」
「はいはい、布団に入ってから話そうよ」
桜葉の背を押して、無理矢理布団に入らせる。早く何かを話したくてうずうずしている彼女は、掛け布団をかけた静葉の手を掴んだ。
「できたのよ、静葉」
「何が」
聞きたくないが、後々それを処理しなければならないのは静葉である。聞かねばなるまい。
「あのね」
クスクスと秘密を囁くように、静葉の腕を引き寄せる。静葉もそれには逆らわず、耳を近づける。
「モモ」
そうしている静葉の腕を冷たいなにかが引き寄せた。冷たい、ということはおそらく人間ではないだろう。そしてこの部屋に他にいるものといえば、先程桜葉の足下に隠れていたアレしかない。
恐る恐る振り返ると、そこには身長130?でつり目三白眼の桃太郎がいた。ヤツの目が静葉をしっかと睨みつけていた。どう多めに見ても、敵と見ていることに間違いはなさそうだ。ギギギ、と音がなりそうな具合に桜葉を見ると、彼女は嬉しそうに頷いた。
「おおお桜葉こいつ何?何なの?」
「見ての通り、桃太郎よっ。ちなみに、正義忠臣機能つきよ」
どんな正義。どんな忠臣だよ。熱に浮かされて作った人形に、どんな機能つけてんだよ。
静葉の疑問など微塵も感じていない様子で、彼女は半身を起こして高らかに告げた。
「さあ桃汰っ、あたしのために大きな桃を捕ってくるのよっ!」
まっすぐに部屋の出入り口である襖を指さす。やはりそんなことか。
彼女の指令にソレは大きく頷く動作を見せる。
「うむっ行って参るっ」
見た目通りの甲高い声に、静葉は驚きを隠せなかった。機械音声には程遠い、本物の人の声と間違いそうなぐらいだったからだ。かといって、家族の誰かが吹き込んだ声でもない。いったいどこからこんな声を仕入れてきたんだ、とちび桃太郎が部屋を出た後で制作者を見ると、既にだらしなく布団に倒れ込んでいる。
「頼んだわよ~、桃~」
桃缶か桃太郎か、どちらを呼んでいるのかは定かではないが、静葉は彼女を布団にきちんと寝かせ、掛け布団をかけ直し、部屋を後にした。後は熱冷ましが必要だ。母に現状の報告ついでに、貰ってこようと居間へ向かった。
「母さん、桜葉の熱ぶり返した」
居間に戻った静葉が目にしたのは、テーブルに乗った桃汰と夕飯の残骸だった。静葉の胃に入るはずだった夕飯すべてが、ちび桃の中に収まってしまっている。母はそれをニコニコと笑って見ている。
「遅かったわね~。トータちゃんが全部食べてくれたわよ~。降りてこない人たちや~、帰ってこない人の代わりに~」
かなりお怒りのご様子。この調子じゃ今日の夕飯は絶望的だ。もう絶対に作ってくれない。
この際、桃汰が食べ物を食べられることだとか、その原理だとかは問題じゃない。空きっ腹がタイミング良く鳴った。
「美味かった礼を申す」
なんて憎たらしい。
「お礼なんていいのよ~」
でも、母は満面の笑顔である。いやもうすごく怖い。
「では拙者急ぎの用事があるのでこれにて御免っ」
テーブルから飛び降りて、あっさりとドアを開けて出ていくちび桃を、僕は慌てて追いかけた。これ以上ヤツに何かをされて、夕飯以上の被害が出るのは勘弁したい。
「待てちび桃!」
ソレはちびの割に足が速く、静葉が追いつく前に玄関についた。しかし、我が家の鍵はオートロックで、家族の誰かがいない限り、他の人は入れない造りになっている。ドアさえ開かなければ、逃げられることはない。
「むむむ、これはどこから出るのじゃ?」
武器までは携帯していないようだ。設定が侍になっているのは桜葉の趣味に違いないが、そこまで徹底していなくて本当によかった。江戸時代頃の設定で爆薬まで持たせてなくて、本っっっ当にっ、よかった。
「た~だい~ま~っ」
「むっ?」
あぁっこんな時に帰ってくるな父。
無念にも静葉が玄関につく前にドアが開けられ、その隙間からちび桃が出ていってしまった。なんてことだ。正義忠臣機能なんてわけのわからないものがついている人形が外に出たら、なにが起こるかわからない。しかも、帰ってこられる燃料なんて桜葉が入れているわけじゃないし、いつもいつも探しに行かされる静葉としては迷惑千万。ご近所に迷惑はかかるし、とんでもない場所で止まったりした日には、こっそり潜入するなんて泥棒まがいのことまでさせられるのだ。それがわざとであるような気がしてならないのも、たぶん気のせいではない。熱が出ていようが出ていまいが、博士号を取っていようがいまいが、静葉にとっての桜葉は迷惑の種を作り出す天才だ。主にそれは静葉にだけ降りかかってくる災害である。
目の前が真っ暗になった静葉の耳に、天の声が届いた。
「か~わ~い~い~っ」
父の声だ。
「貴様何をするっ離せっはなさんかっ」
そして、父に抱えられてちび桃は戻ってきた。安堵して静葉は玄関に座り込んだ。
この人が可愛いもの好きで助かった。桜葉が桃汰を父好みに(意図したわけではないだろう)作ってくれて、本当に、よかった。
「静葉ただいま~。出迎えてくれるなんて嬉しいぞ我が息子っ」
父の腕の中でちび桃はジタバタと暴れているが、抜け出せるわけがない。静葉にも、小さい頃にどうしてかその腕から出られなかった記憶がある。
「おかえり父さん」
力なく言葉を返す静葉に、父は両腕でソレを差し出した。
「これは桜葉が?」
この家に、父以外でそんなものを作る人物が他にいるわけがない。
「はなさんか~っ」
ジタジタジタバタ。
「うん。桃が食べたかったんだってさ」
たったひとつの理由で迷惑を被るこっちの身にもなってほしい。
「流石、私の娘!」
しかし、父は姉の名を呼びながら二階へ上がっていってしまった。久々に帰ってきてそれだと、母の機嫌が心配だ。母はいつまでも少女のように父に恋をしているようで、あまりに子供達をかまってばかりいると拗ねてしまうのだ。その怖さは、父の方がよく知っているはずだが、自分によく似た娘が可愛くて仕方がない父は、いつもこの手で母と喧嘩する。
「お父さん帰ってきたの」
居間のドアが、そっと音を立てて開いた。母が立っていた。背筋をピンと伸ばして、柔らかく微笑んでいる。
静葉はまたかと思いながら、力ない笑いと共に階上を指す。
「ちび桃抱えて」
母は。
母は笑顔を浮かべたまま、居間のドアを閉めた。
(知らないぞ、僕は)
夕飯は無くなったが空腹感は引っ込んでしまったので、静葉は再び自室のベッドに寝転がった。しかし、数分も経たないうちにお腹が盛大に合奏を始める。
(はらへったなぁ)
部屋の中に菓子のストックでもないかと探ってみるが、今日に限って鞄をひっくりがえしても出てこない。なんてことだ。買いに行くか、キッチンに戻ってなにか作るかしなければならない。だが、あんなに怖い母の笑顔のそばには近寄りたくない。
隣の部屋は父がひとりで騒いでいるし、姉はきっと再び桃の夢を見ているのだろう。そんなに好きなら元気なときにも食べればいいのに。
「えーい離せーっ」
ちび桃もまだ捕まっているようだ。しっかりと抱えられているので、じたばたと無駄にあがいている音も聞こえない。
「拙者は主に桃を取って来ねばならんのだ!」
作られたとはいえ、主人に恵まれない人形だ。
「そんなの作ってあげるから~っ」
偽物じゃ桜葉は誤魔化せないだろうに。
「なに?作れるのか?」
おいおい。
「もちろんだよ。私に不可能はない!というわけで研究室に直行っ」
ガコゥンンンという何かが落ちる音が聞こえた。たしか、桜葉の部屋の研究室直行便は本棚の後ろの扉だったはずだが、いつのまに別の出入口を作りやがったんだ。あの父は。
「ぎゃーっ、落ちるぅぅぅぅぅぅぅッ」
「はっはっはっはっはっはっ」
慌てて隣の部屋に向かいドアを開けると、丁度床下が閉じたところだった。切れ目もないし、叩いても重い音しかしない。これは自分の部屋も何かしかけがないか調べておいたほうがいいかもしれない。
念のため、布団に眠っている桜葉を見ると、赤い顔で唸っている。熱を測った方がいいかもしれない。
「静葉~?」
手で熱を測ってみるがやはり下がってはいない。と、熱で潤んだ瞳が開いた。彼女は僕を見て微笑むと再び目を閉じた。眠っているだけなら、静葉も友人たちの意見に素直にうなずける。ただ良い夢を見ているだけならいいのだ。現実に反映させようとしないでさえくれれば。
静葉は桜葉の額のタオルを新たに替えてから、自分の部屋に戻った。
部屋に戻ってまず最初にすることは、こちらにも仕掛けがなされていないかどうかの確認だ。壁や床を拳で軽く叩いたり、父が仕掛けそうな辺りを手でなぞってみたりしてみる。いくつかはひっかかりを見つけるが、以前から知っているものに興味はない。意味もない。
隣の部屋と同じように、この部屋にも秘密がある。むしろ家全体にといったほうがいいかもしれない。それは地下に父と桜葉のための研究室があることと、一階の寝室とダイニング以外すべての部屋にそこに行くための通路があるということだ。工具を使うこともあるので近所迷惑にならないようにといっていたが、僕は本当のところは父の趣味とみている。父の跡を継ぐまでいかなくとも、同じ道を選んで欲しいという親心だと母は云っていた。
壁越しに何か転がるような音が聞こえて、静葉は机の引き出しから錆びれた金の鍵を取りだした。壁に掛けておいたジグソーパズルの窓がわから2番目を裏返す。後ろには小さな鍵穴があって、金の鍵を差し込んで回すとカチリとはまる音がし、壁の後ろを何かが落ちたり転がったり動く音がした。そして、
「出られたー!」
ドア側から3番目のジグソーパズルが扉となっているのだが、音が止むと同時にそれは飛び出してきた。
「助かったぞ。あの男我が主をカラクリなどで騙そうとしておったのじゃ!」
ちび桃もそのカラクリなんだけど。てか、本当につくったんかい。桃を。まさか本気で桜葉が騙されると思っていた訳じゃあるまいし。いくら熱で魘されているとはいえ、彼女はそんなに甘くはない。むしろ食べられない作り物や、桃の形をした何かを渡した日には、とても恐ろしいことになるだろう。
目の前を見ると、いかに父がちび桃を騙そうとしていたかをトクトクと語り続ける人形がいる。
「ちょっといいかな」
抱き上げてみるとずっしりとした重さがあった。少なくとも生身の人間とは絶対的に違う。おそらく重力の強い地球以外の場所に行ったりしたら、そんなこともあるのかもしれない。が、地球にいて、この大きさでこんな重さの人間がいたらいやだ。
燃料は何を使っているのだろう。たぶん背中に何かあるのだろうと見てみる。背中には赤と青のボタンがあって今は青いボタンが光っている。
青い方には忠臣機能。
赤い方には正義機能。
どちらも同じような気がする。
その下にはガムテープで抑えただけの単3乾電池が3本、冗談のように嵌め込まれている。おそらく、冗談ではないのだろう。桜葉は好んでそういうことをする人だ。
「ねぇ今は桜葉の忠臣なんだよね?」
気を取り直して、ボタンの方に目を向けた。押し直せば、こっちに忠義を誓うのだろうか。そうなれば、もう少し僕も楽に平和に過ごせそうな気がする。
「そうじゃっ。だから桃を捕ってこなければならん」
「桃がなにかは知ってるんだよね?」
「大店に行けばあるのであろう?」
どこだよ大店。いいかげん近代的な設定にすればいいのに桜葉はガンとして聞かない。その影響がここにも。
とりあえず、このスイッチを一回押せば切れるのかな。僕が青いスイッチを押すと、ちび桃は人形に戻った。重さも増えた。
「うぐっ・・・」
そのまま床に降ろしたが、かなり大きな音がしたはずだ。
スイッチはこれか?
持ったままというのはなかなかつらい。手探りで押したが人形はピクリとも動かない。
「あれ?」
それどころかどんどん重くなる。このままでは床が危ない。
「も少し考えて作って・・・」
言いたい相手は熱にうなされているのだからどうすることもできない。ふと見るとこころなしかちび桃が成長している気がする。そして重くなる身体。
とうとう静葉は手を離した。肩で大きく呼吸を繰り返しそれを見てうめいた。本当に成長していやがる。寝ているとはいえ身長180?ぐらいはありそうだ。
そして床が不吉な音を立てた。
「い・・・っ!?」
派手な音が家を一直線に貫いた。いや、文字通り一直線に地下室まで部屋の床は落ちた。僕も一緒に。
「・・・ったー」
「大丈夫か我が息子静葉」
駆け寄ってきた父が抱きついてきたことで、僕は意識を手放さずに済んだ。この人の前で正体をなくすなど自爆行為だ。眠ったが最後なにをされるかわかったものではないという前科がある。
「ちび桃は?」
父を振り払って辺りを見回すと、1メートルも離れていない場所に彼はめりこんでいた。
「これは静葉がつくったのか?」
「こんなイカれた人形を?」
にっこりと笑顔で返し人形に近づいた。幸いもう成長は終わっているようだった。ボタンを押し間違えた危険が一番高い。
「正義機能か」
どんな機能かはわからないがきっとろくでもない機能に決まっている。とりあえずボタンは戻しておいた方がよさそうだ。
「っっっ!」
転がそうとしたがビクともしない。それを脇から僕ごと誰かが転がせた。
「ぅわっ!」
勢いがつきすぎて僕だけが壁際に吹っ飛ばされた。
「おいおい、よしひと君も少しぐらい手加減しなさいって」
抱えおこす父の影に、細い金髪の小綺麗な青年が見えた。よしひと君は父の助手であり、父の作るヒューマン型アンドロイドの1号である。
「彼が重すぎたんですよ」
重いといいながら、桃汰を軽く持ち上げる。
「大丈夫ですか?」
僕が止めるまもなく、よしひと君が桃汰をつねったり殴ったりしてみるものの反応はなし。気絶しているのか人形なのに。それとも落ちた衝撃でなにかバグでも起こったのだろうか。
いや桜葉がそんなへまをするはずがない。
考え込んでいる僕の目の前で彼は文字通り跳ね起きた。こちらをピタリと見据えて問いただす。
「悪者はどこだ」
まさに正義。そのままの意味の正義だ。
とりあえず僕は父を指してみた。
「なんんでぇ~静葉君~っっっっっ」
「このあいだ僕のオヤツ食べたの父さんでしょ」
「それは許してくれたんじゃ・・・っ」
「それに僕のバイク改造したでしょ。勝手に」
「静葉君がよろこんでくれると思って~っ」
後ずさりしていた父の背中がなにかに当たった。
「ひと~つ 人世の生き血をすすり」
低うい声が研究室に反響した。父は僕と桃汰を交互に見て、警戒しながら一歩退く。
「ふた~つ 不埒な悪行三昧」
鞘を刀が滑る音が静けさに響いた。桃汰も音のしない足運びで間を詰める。
「み~っつ 醜い浮世の鬼を、退治てくれようぅっ」
鍔を返す音を聞く前に父は駆けだした。それを桃汰が追った。
「待てえぃ~っ! 成敗してくれるぅ~っ!」
すぐに壁際に追いつめられる父は、研究者なので体力がない。
「観念しろ」
「できるかっ」
どちらが悪人なんだかわからない。とりあえず僕は背後から忍び寄って赤いボタンを押してみた。しかし、今度はランプは消えず桃汰も止まらない。
「なにをする!」
桃汰が振り向きざまに、刀を右手に斬りかかってきた。本物ではないにしろ当たったら痛い。間一髪で避けて目を見開く。その輝きには本物の波が見える。
「こうなったら、よしひと君発進!!」
「私に戦闘用の機能はありません、博士」
桃汰はまっすぐ父だけを追いかけて行くが、助手は僕のところに来た。
「静葉さんはお嬢さんに、彼の停止方法を聞いてきてください。私はこちらで探します」
「え? ちょっ、よしひと君っ? うそでしょぉっ」
桜のピンクの花弁をあしらったプレートのかけてあるドアに助手は飛び込み、僕も非常口と表示された通路の先の階段を登った。
「静葉君までっ?」
泣きそうな父の声が背中に当たった。