【プロローグ:Nine Divines Quest】 ーその4ー
「──じゃあ、色々と聞きたいことは多々あるが、だ」
改めて、俺はエステルに向き直った。まだズルズルと鼻を啜ってはいるが、涙は止まったようだ。
「まず初めに。『ここは何処だ?』」
膝を内向きに畳んで座り込み、ベソをかいているエステルに、俺はなんとか工面した穏やかな口調で、質問を投げかけた。
ぴっ、と短い悲鳴のような声が聞こえた。
──おかしいな、怖がらせるつもりは一切無かったのだが。
「あー……えっ……と──『ここは何処』?ですか?」
穏やかを通り越してもはや“猫撫で声”とすら呼べるくらい、甘い声音で聞き直す。するとそれを聞いたエステルは、今の今まで怯えていたのを忘れたように、キャッキャと笑い出した。
こめかみの血管がプクリと浮かび上がる感触を覚えたものの、俺はつとめて冷静に“猫撫で声”を続けた。
「こーこーはぁー、『何処』なんですかぁー?」
我慢だ。男の矜持だ。カッコ悪くても、情けなくても、男にはやらねばならない時がある。もし誰かに今がその時か?と聞かれたら、俺は黙るしかないが。
キャハハと笑い転げるエステルに、こめかみの血管が、もう三本ほど浮かび上がる。
埒があかねえ……!
もうコイツは置いて、自分だけで打開策を探すか。煮えたぎった頭でそんなことを考えていると、俄かにエステルの様子が変わった。それまでの容姿の割に幼げな笑い声はぴたりと止み、立ち上がって俺を見下しながら言う。
「ここは“世界の果ての逆さ”。全てを“拒絶”し、全てを“受容”する場所」
澄んではいるが、感情の色を排したような声で言った。
「ああ?……じゃあ『お前は何者』だ?」
その落差に面食らった。が、それ以上に俺を見下したように話す姿に苛立ちを覚えた。
そんな俺の苛立ちを知ってか知らずか、エステルは淡々と話を続ける。
「ワタシは“エステル”。“神の使い”であり、“導く者”」
「俺が『“選ばれた”』ってどういう意味だ?」
「貴方は“選ばれた”が“授けられなかった”者。他の九人とは“違う”」
「……他の九人?」
「“絶対命令” “全知記憶” “再構築” “無限加速” “死門道行” “因果律令” “浄化執行” “幻想具現” “総奪”
それが他の九人に“授けられた”権能」
……また訳のわからない事を言い出した。が、どうにもこの“エステル”には「圧」がある。どんなに意味不明な事でも、納得させられてしまいそうな「圧」を感じる。それがまた、俺の苛立ちを加速させた
「……じゃあ、『“旅路”ってのは、なんだ』?」
「──貴方にはそれら“九柱の神”を止めてもらう。手段は問わない」
「……『嫌だ』と言ったら?」
その問いをした瞬間、「空気」が変わった。あの怯えて泣いていた“エステル”とは思えないほどに、纏う「空気」が重く、冷たいものになった。
「……『嫌だ』とは、言わせない」
「“力尽く”か?いいねえ、わかりやすくて」
俺と“エステル”の間に流れる「空気」が、より一層冷えたように感じたが、俺の心は燃え滾っていた。
「一つ、言っておいてやる」
「……なに」
ギリッと拳を固めて、前に突き出した。
「──俺に“力尽く”で言うことを聞かせられたやつは、今まで一人もいねえ」
俺を“従えられる”と勘違いしてるやつに、そう簡単にはいかないことを教えてやる。
俺はほとんど無意識的に、ニヤリと笑っていた。
「“こっち”の方が、万倍やりやすい」
その言葉は、俺とエステルの間に張り詰めた、冷えた「空気」を弾けさせた。
いつの間にか、雨は止んでいた。