【第一章:絶体絶“命令”都市】 ーその4ー
宿に入ると、主人が一人で受付をしていた。その目は虚ろで、俺たちが入ってきたことにも気付いていないようだった。
エステルが話しかけると、光の消えた目をこちらに向けて、
「やあ、いらっしゃい。うちは一泊銅貨二枚、食事は付かないよ」
とやはり自動音声のような声で言った。その首には例のペンダントが光っていた。
エステルがごそごそと財布から銅貨を出して支払いを済ませる間に、俺はなんとなく、外に目をやった。
宿屋の面した広場の中央に、なにやら人集りが出来ていた。気になって注視していると、人集りに囲まれた壇上に一人の男が立った。
「お前ら、今日も働いたかー!」
男が声を投げると、群集は大きく「オー!」と返事をしていた。今まで見てきた住人たちのテンションとは、明らかに質の違った熱の入りようだった。
「なんだ、ありゃ──」
呆気に取られていると、エステルが後ろから声を掛けてきた。
「受付、終わりましたよ。部屋に行きましょ──って、何見てるんです?」
「──いや、あれ、なんの騒ぎなんだって」
「──あの壇上の男が命令神:“絶対命令”ですよ」
エステルは、声のトーンを落としてそう言った。
「あれが命令神──って、そんなにカジュアルに人前に出てくんのか、おい」
“神”と聞かされていたのだから、もっと厳かなイメージだった。肩透かしを喰らった気分だ。
「なんでも、元の世界では人前に出るのが好きだったようですよ。確か……“はいしんしゃ”?だとか」
そう言われてよくよく見てみると、微かに見覚えがあるような顔をしていた。
「あー……確か“フライング・タイガーチャンネル”とか言ってたか。統次に無理矢理見せられた記憶があるな」
「トウジさん──ですか?」
「あぁ……ダチだよ。喧嘩友達──ってやつだ」
命令神の演説を見ながら生返事をする。演説が進むにつれ、広場の空気はどんどんヒートアップしていっているように見えた。
「今日は突発“配信”だ!ありがたく聞きやがれ!」
命令神は手振りで民衆の熱狂を収めた後、そう宣言した。そして、手に持ったマイクのような道具に向かって、“囁く”ように声を発した。
「“オーダー:今日この街に入市した人間は俺のとこまで来い”──」
「“オーダー:それに従わない者がいれば、俺の前まで力尽くで連れて来い”──」
何故、奴が“囁く”ように言った言葉を俺が聞き取れたのか──その理由は、入市の時に渡されたペンダントから、奴の声がはっきりと聞こえてきたからだった。まるで耳元で直接聞かされているかのように、耳にこびりつくような声だった。
「なるほど、こいつが──」
どうやらこのペンダントで、全ての住人に自分の“命令”を届けているようだった。あのマイクのような道具は、そのままマイクなのだろう。
「これを使って異世界でも“配信”か──熱心なこって」
頭の中に何度もリフレインして声が響く。その響きは冷たいが、声質は甘く、不思議とこの“声”に従いたいと思わせる調子だった。
俺もずっと聞いていると、どこか“従わなければ”と思ってきそうなほどだった。
「おいエステル──これヤバいんじゃ、ねえ、か……」
今日入市した人間、と言っていた。恐らくだが、この“命令”は俺たちを引っ立てる為のものだろう。そう考え、エステルの方を振り向くと、宿屋の主人とエステルが生気の消えた笑みを浮かべて、並んで立っていた。
「──おい、どうしたエステル……そのおっさんと仲良くなったのか?」
俺が苦笑いを浮かべながらエステルに話しかけると、主人と二人で、両腕を前に突き出し、ゆっくりと近寄ってきた。
「──マジかよ」
まるでB級のゾンビ映画だ。二人は声こそ出していないものの、これでうーとかあーとか言ってたら完全にゾンビだった。
「エステル──!こいつ……っ!」
“神の使い”って話はなんだったんだ。エステル、簡単に操られてんじゃねえよ──!
無造作に伸ばされた二人の腕を振り払いながら、俺は宿屋の窓をぶち破って外に飛び出し、そのまま全速力で広場とは逆方向へと逃げた。
「クソッ──簡単にいくとは思ってなかったけどよ──」
逃げながらつぶやいた独り言は、誰に聞かれることもなく、虚空に消えていった。