銀の階段⑥
もう既にお互い意地の張り合いだった。折れた方が負ける。そんな意地の張り合い。だけど俺は負けるわけにはいかなかった。
とは言え、冷たい湖水はじわじわと俺たちの体力を奪っていく。このまま十分も浸かっていたら、俺の不利は明確だ。下手をすれば俺も巻き添えになりかねない。
(さて、どうするべきか……)
俺はゆっくりと辺りに視線を這わせ、耳をそばだて、神経を尖らせる。何か突破口になるような物はないだろうか。
そう考えていた頃合いだった。
「……ーぃ……」
鼓膜を微かに震わせる声にはっとして、反射的に俺はありったけの力を込めて男を拘束する。当の男は一瞬、俺の意図を理解しかねたのだろう。訝しげに肩越しにこちらを見てきた。しかし男もすぐに、何かを探すように不安定に揺れながら湖面を疾走する幾つかの光の筋を見つけたようで、びくりと肩を揺らす。
「おーい、草壁ー!」
近づいてくるおやっさんの胴間声とその後をどやどやとついてくる幾人かの人の気配。そして錯綜する懐中電灯の光。
どうやら、暗くなっても役場に帰らない俺を心配して、おやっさんたちが探しに来てくれたらしい。もしかしたら和泉の婆ちゃんが敷地に車が残ったままになっているのを見て役場まで連絡してくれたのかも知れない。
「はは、ナイスタイミング!」
「……くそっ!」
嬉々として声を上げた俺とは正反対に、腕の中の男は焦りを見せて必死に足掻く。だが俺ももう後のことは考えない。全力で男を引き留めにかかった。そのせいで湖水がざぶざぶ音を立てるのも、俺には都合が良かった。おやっさんならこの音だけで誰かが水の中に入っていることを聞き分けるだろう。
案の定、おやっさんはすぐに俺の状況を把握してくれたらしい。湖に腰まで浸かって揉み合う俺たちを見て慌てふためく周りの人間に次々と指示を飛ばしている声が聞こえてきた。
「……もう少しの辛抱だ! 頑張れ、草壁ッ!」
俺を鼓舞するおやっさんの叫び声と共に、後方で幾人かが湖に入る水音がする。彼らはすぐに俺の側までやって来て、俺の腕の中で暴れていた男を二人がかりで取り押さえた。よく見れば、二人は役場内でも体格のいいことで知られた働き盛り、近藤さんと力石さんだ。その二人に押さえ付けられて男はさすがに観念したのだろうか、為す術も言葉もなく岸へと連行されていく。
「………………」
一方俺はと言えば、岸へと連れられていく男を見送りながら、しばらくその場で放心していた。