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非独立記念日  作者: 小野セージ
第三話
65/86

最後の機会

 男の運転する車がようやく停止したのは、とある家の前だった。

 闇夜の中、道路沿いにぽつぽつとしかない街灯の乏しい光に照らし出されるのは、橙色の切妻屋根が印象的な、しかしどこにでもありそうな二階建ての一軒家。

 どこかで見たことがある家だなと思ったのも当然だ。この家があるのは草壁家からほど近く。俺たちはスーパーに買い物に行くたびにその前を通ったのだから。

「ここは空き家だとずっと思っていたけれど……」

 先に車から降ろされた俺が呆然と目の前の家と木々の向こうに小さく見える草壁家を見比べていると、後ろから降りてきた鞍馬がぼそりと呟くのが聞こえた。

 最後に降りてきた男もその言葉を聞いていたはずだ。だが彼は、鞍馬の言葉に対する説明は完全に放棄して、手近にいた俺に一本の鍵を投げて寄越した。慌てて受け取ってみると、それは不思議な形をした随分特殊そうな鍵だった。

「それがこの家――そうだな、仮に橙色の切妻屋根の家(オレンジゲイブルズ)とでも呼称しようか――その鍵さ。壊したりしなければ、家の中のものは好きに使っていいよ」

 男が口頭でそう説明するのを聞きながら、俺は手のひらに乗った鍵を矯めつ眇めつ見つめた。だがすぐにそれを握り込んで顔を上げ、男の顔を見る。

 彼はそれに気付いたように一瞬だけ俺に一瞥をくれると、わざとらしくすぐに視線を伏せた。そして後頭部で手を組んで鼻歌でも歌うようなごく軽い調子で言葉を続ける。

「しばらくお二人でゆっくりしてサ、朝になったら家に帰るといいよ。お二人の帰りを今か今かと待ち構えている人たちもいるだろうしね」

 そう言われて、俺は今も草壁家にいるのだろう双子のことを思う。

 俺たちがいなくなっているのにはもう気付いただろうか。あの二人は強かだ。自分の身が危険に晒されるような馬鹿なことはしないから、外が暗い内は危険を冒してまで家を飛び出して探しにくることはないはず。しかし、俺たちが家に帰ればまたしつこく言い寄ってくるのだろう。

 俺はそれを上手く宥め、彼らの俺を追って流浪するような生活に終止符を打たせてやらないといけない。そう思った。

 だが、本当に俺にそんな器用な真似が出来るだろうか。

 そんな俺の心を読んだのだろうか。

「なに、心配は無用ですよ。きっとその頃には全てが上手くいくようになっているんですからねェ」

 男はそう言ってバレリーノのように軽やかに身体を一回転させると薄く笑った。

 弓なりの目に小さく上がった口角は変わらず微笑みの形だった。しかしほぼ真っ暗な田舎の夜の帳の中、ほど近くにある街灯の明かりだけを頼りに見た彼の顔は、笑っているはずなのにどこか冷たい印象を受けた。まるで能面か、もしくは彫刻作品かのような微笑みには、ぞっとするような凄みがあった。気圧されて、思わず怯みそうになる。

 しかし俺は思い直してまっすぐに男と顔を合わせた。

 彼に対する畏れの感情はまだ胸の内の大半を占めている。だけど初めに感じていた不信感は、今はもうあまり感じなくなっていた。彼は俺たちを脅したり賺したりしながらも、安全にここまで連れてきてくれた。こうすることで彼が受けるという利益がなんなのかは解らないが、ひとまず彼の言葉を信じていいのだろうと思えるようになっていた。

 だから俺はそのままそこで深く頭を下げた。何故か、今が感謝を伝えられる最後の機会なのではないかと思った。

 そのまま俺も鞍馬も、目の前の男も、誰も何も言わず誰も動かなかった。ゆっくりと時が流れる。

 しばらくの後、不意に男が俺に向けていた視線を逸らしたのを感じて、頭を上げた。その視線の先で、彼は何も言わずにさっさと車に乗り込んでいく。何の動揺も見せず、先ほどと同じようにてきぱきと運転の準備を整える彼に、俺は軽く上げた手を振ってみた。気付けば隣に鞍馬もいて、俺と同じように軽く手を振った。

 そんな俺たちをちらりと見て、最後にハンドルを握った男はふと呆れたような息をついた気がする。そして最後に一度だけ、俺たちに目配せをして何かを口ずさんだ。

 その瞬間、高らかにエンジン音をたてて、車は急発進する。先ほど見せた腕前にしてはいささか乱暴な気もするその発進の様子に、しかし俺たちは驚くこともなく、そのテールランプの光が夜の闇に紛れてしまうまでずっと目で追いかけていた。

「あいつ、最後に何て言ったと思う?」

 鞍馬が車が走り去った方向を見つめながら可笑しそうに微笑み俺に訊ねる。だけど俺は小さく微笑んで、連れなく呟いた。

「……さあね」

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