招かれざる客②
その俺たちの反応に、男はわざとらしくがっかりしたように脱力して見せる。
「あー、信じてくれないんだ。そうかそうか。じゃあさ、彬サン?」
不意に名指しされ、思わず息を呑んだ俺。それを見て、男は楽しそうにククッと喉を鳴らした。
「今から、鞍馬サンにはちょーっとだけ痛い目見て貰うから、そこで大人しく見てて下さいね?」
何でも無いことのようにあっけらかんと告げられた言葉。しかしその内容に俺はぞっとする。これは俺に対する脅迫だ。
人を故意に痛めつけるなんて普通の人間なら躊躇するはずだ。だが「痛い目を見て貰う」と宣った次の瞬間から、男からずっと感じていた鋭いプレッシャーは強い害意に置き換わっていた。それが彼の言っていることがただのはったりではないこと、そしてきっと彼にはそれが苦も無く出来てしまうのだろうことを示していた。
「鞍馬」
俺は隣で男の言葉を受けて眉を顰めている鞍馬の名前を呼び、目配せをして首を緩く横に振る。言葉にはしなかったが、この男に逆らってはいけないと目で伝えた。俺にとって鞍馬が傷つけられることは自分が傷つけられるのと遜色ない、明確な恐怖だったからだ。
俺の目配せに鞍馬は少し不満そうな顔をする。しかし、俺が再度首を横に振ると仕方が無いと言うように目を瞑った。
到底この男を信用することはできなかったが、俺たちは彼に刃向かうという選択肢をひとまず切り捨てた。彼はそのことをすぐに理解したらしい。それが賢明だと言わんばかりに微笑む。
「そうそう。人間、素直なのが一番だよね」
そして男は唐突に両手を大きく広げると、その場でくるくると踊るように回り出した。
「さーて、素直な彬サンと鞍馬サンには、なんとなんとー、朝までいられる暖かくて邪魔の入らない安全な部屋を手配してさしあげマース! しかも車での送迎付き! ワオ、この提案、乗らない手はないよね! さぁ、向こうに車を用意してあるから、さっさと行こうよ!」
男は胡散臭い通販番組みたいな口上を芝居がかった大げさな抑揚で述べてから、こくりと小首を傾げて俺たちを手招きした。
勿論、彼に逆らうつもりはない。だが、思ってもみなかった急な話に俺たちは強い戸惑いを隠せない。
しかし、そんな風にぐずぐずする俺たちに痺れを切らせたのだろうか。男は濡れることに何の抵抗も感じないかのように、湖に入りざぶざぶと水を蹴立てて近寄ってくると、友達みたいに気安く俺たちの手を取って引いた。
「ほらほら、行くよ!」
「え? ちょ……っ!?」
思ったよりもずっと強い力で手を引かれて、俺たちはよろよろと彼について湖から上がることになった。冷たい水から上がったことで半分麻痺していた感覚が戻ってきたのか、一際寒さを感じる。身体がかじかんで強張っているのが解った。
「車は暖房ガンガンに入れてあるから、もうちょっとの辛抱だよ」
男はそう言って無邪気な笑顔で俺たちを先導する。俺たちは迷いと寒さで辿々しくなる足取りでその後をついていった。
しばらく歩くと、小さな駐車場に出た。駐車位置を示す地面に引かれた白い線以外は、寂れた管理小屋と一台の自動販売機がぽつんと置かれているだけの寂しい駐車場だ。そこには現在、一台だけ車が止まっている。エンジンはかかったままのようだった。
男は迷いなく足早にその車に近付き、ようやく俺たちの手を放すと慣れた様子で後部座席の扉を開ける。そして、早く乗れとばかりに手招きをした。車の中から漏れたエアコンの暖気がふわりと俺の頬をくすぐった。
「ほら、暖かいよ。あ、座席は多少濡れても平気だから、そのまま乗っていいからね」
男は優しげな声でそう言いながら、しかし一方で強引に俺たちを後部座席に詰め込む。押し込まれた車内はとても暖かかった。




