素直な気持ち①
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ざばり、と水音を立てて俺たちは勢いよく水面に顔を出した。
はあはあと荒らげられた自分の息の音がとてもうるさく感じる。だがそれもつかの間、後ろからごぼごぼという苦しげな湿った咳が響いて、俺はさっと自分が掴んでいた『彼』の手を強く引き寄せると、そのまま、『彼』の身体を浅瀬の方へと誘導する。ようやく、足の付く深さまで戻ってきたのだ。
俺の肩に額を預け、激しく咳き込んで気管に侵入した湖水を吐き出し呼吸をしようとする『彼』に、俺は少しだけほっとする。自ら死を望むようにして湖に入った『彼』が、今は息をしようと必死に藻掻いている。生理的な反射だと言われればそれまでだが、俺にはそれが『彼』がまだ生に頓着していることのあかしであるように感じられたのだ。それがじんわりと嬉しかった。
俺はその気持ちを堪えきれずに、『彼』の背中に手を掛けて何度も何度もさする。しばらくの間、『彼』はその端正な顔を歪めてぜろぜろと水分の絡んだ異音を立てる苦しそうな呼吸と激しい咳を繰り返していた。しかし、次第に落ち着きを取り戻していく。俺は窺うように『彼』の顔を見て、濡れそぼち、その額に張り付くように乱れた前髪をそっと手ぐしでなで付けた。
そして、万感の想いを込めて『彼』の名前を呼ぶ。
「鞍馬……!」
「……っ」
気管から最後の水分を追い払うように、げほ、と軽い咳をしながら、それでも鞍馬は俺の言葉に対して予想外みたいな顔をした。落ち着かない視線でこちらを見て、俺の名前を呼び問いかける。
「彬、どうして……?」
「………………」
それは「どうしてここにいるのか」という疑問なのだろうか、それとも「どうしてこんなことをしたのか」という抗議なのだろうか。俺には判断がつかなかった。けれど、その掠れた声を聞いて、俺の目にじわりと涙が滲む。その涙をぐいと湖水でびしょ濡れの袖口で強く拭った。
「……馬鹿、お前を追ってきたに決まってるだろう……!」
夜半、鞍馬は俺やひよりたちが寝静まったのを確かめるようにしてから忍ぶように家を出ていった。眠気の来ないまま横になって目を瞑っていた俺は、そのことに気付いてそっと起き出すと彼の後を追ったのだ。
次から次へとぼろぼろ零れていく涙。恥も外聞もなく泣いている俺を、鞍馬は眉をひそめるようにして見つめる。困らせているのか、呆れられているのか、それとも怒らせてしまったのかも知れない。だけど俺はみっともなく嗚咽しながら、それでも鞍馬を射抜くように見た。
そして、俺は鞍馬の存在を確かめるように彼の背中に手を回して強く抱きしめる。
俺が湖に飛び込むのが一瞬でも遅かったら、今ごろ鞍馬はここにはいなかったかも知れない。そのもしもの話が、今、彼の身体を抱きしめているこの現実よりも、幾らかリアルに感じられた。それが恐ろしくて、身体が小刻みに震える。
「彬、どうして……どうして……」
しかし、その俺の耳元で、鞍馬は先ほどと同じ言葉をぼそぼそとした低く固い声で何度も繰り返していた。俺がはっとして顔を上げると、彼は強張った表情でこちらを見ていた。その震える手指が意地を張る子供のように自分の服の裾をきつく握りしめている。寒さと圧迫で真っ白になった指が目に焼き付いた。




