草壁一家ノ悲劇①
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草壁一家がこのA村に引っ越してきたのは鞍馬が生まれるよりもずっと昔、三十年ほども前の話だ。
両親は共に同じ大きな製薬会社の研究施設で働く優秀な研究者で、元々暮らしていた場所よりも研究施設に近いこの村の立地と、自然にほど近い静かな環境を気に入って移住を決めたらしい。とても子煩悩だったという彼らが仕事とまだ幼かった加羅里の育児を両立するためもあっただろうね。
でも、加羅里は幼い頃からとても優秀で、自立心の強い子供だった。特に十歳以上年の違う鞍馬が生まれてからは、姉という立場を意識してかその傾向が更に強くなっていったようだ。
すると、両親は甘えてくれない加羅里のかわりにするように鞍馬をとても甘やかして育てるようになった。鞍馬も、当然のことのようにそれを受け入れていた。
加羅里は自立を良しとしていたから、まだ幼いとはいえ甘えが過ぎる鞍馬と甘やかし過ぎる両親をどこか鬱陶しく思っていた。鞍馬は鞍馬で、小言の多い加羅里を避けている節があったようだ。元々、二人の姉弟仲はいいとは言えなかったんだ。
加羅里は高校卒業後、東京にある国立大学の医学部に進学した。東京で一人暮らしをすることになった加羅里はこの実家には年に一、二度しか帰ってこない。元々ぎくしゃくしていた加羅里と鞍馬の仲はここで一旦決裂した。たまに加羅里が帰省をしても、二人の間にまともな会話はなかった。まあ、よくある話だがな。
ストッパーだった加羅里が家からいなくなったことで、両親はますます鞍馬をべったり甘やかすようになった。
その頃、鞍馬は小学校に上がっていたが、学校へ通うようになってもその甘え癖はなかなかなおらなかった。
当時のA村には鞍馬と同じ年頃の子供がいなかったことも原因の一つだっただろうな。学校に行っても境遇を比べる誰かがいなかったんだ。
ただ、さすがに担任だった教師は鞍馬を心配したようだ。それもそのはず。鞍馬は心は優しく素直な子供だったけれど、教師の知る同じ年頃の子供より数段甘えん坊で自分で出来ることも少なかったそうだからな。
ただ、彼はこうも言っていた。鞍馬は本当は利発で頭のいい子供なのではないかと思っていた、と。両親が過度に甘やかすのを止めれば、とても優秀な子に育つのではないかと常々思っていたらしい。
教師は草壁夫妻と何度も話し合いを持ったそうだ。彼らは穏やかな優しい人間で、教師の話も丁寧に聞いてくれていた。だが結局、彼らはなかなか鞍馬を甘やかすのをやめることができなかった。
他人に指摘されてもなお、鞍馬を甘やかすことをやめられなかった両親。何が彼らにそうさせたのか。思想や生い立ちに何かの要因があったのか。そうではなく、ただ単に遅くに生まれた息子が可愛くて仕方がなかっただけなのか。どちらにしろ、彼らがすでに亡くなっている以上、わかりようもない。
ただ一つ確かなのは、鞍馬と両親の間には非常に強固な相互依存の関係があったということ。鞍馬は両親に依存して甘えていたが、両親も甘やかすことで鞍馬に精神的に依存していた。
幼い鞍馬に依存し、また依存させる両親を、毒親と呼ぶ人もいるかも知れない。
でもね、自分の意思や他人の忠言くらいではコントロール出来ないほど他者に依存してしまうという事例は、医者なんて仕事をしてると腐るほど見るものなんだ。彼らはきちんとした治療を受けるべき患者だ。依存の末に著しく法を侵す者はともかく、大多数は批難を受けるべき人間というわけではない。
だから今は、彼らの行動の是非は置いて語らせて貰う。




