銀の階段②
(とすると、よそ者か……)
このA村には観光施設もホテルや旅館の類いもない。唯一、A湖畔の眺めは素晴らしいものだが、それも口コミで細々と知られる程度だ。それでもその口コミを頼りに外の人間がやってくることもある。
「よそ者には気をつけろよ」
俺が入職した時、神津のおやっさんに口を酸っぱくして言われた言葉を思い出す。
そのまま聞くとよそ者に冷たい土地柄なのかと思われそうだが、そうではない。よそ者は特に気に掛けてやれということだ。よそ者、特に都会の人間は自然の脅威を知らないこともある。
数年前にも、春になったからとろくな装備もなしに湖畔でキャンプをしようとした都会の大学生グループがいたらしい。前述した通り、夜の湖畔は冷え込む。そんなことをすれば確実に風邪をひくし、下手を打てば命を取られる。おやっさんは夜になって震えていた彼らを熱いコーヒーを持って迎えに行き、自宅に泊めてやったらしい。その大学生のうちの一人とは今でも手紙での交流があるのだと誇らしげに言っていた。
「だがなぁ、一番危険なのは無謀なキャンプ客じゃネェんだ」
そう、それは命を捨てにやってくる自殺志願者だ。
おやっさんの知るこの数十年だけでも、A湖を最期の場所に選ぼうとした自殺志願者は何人もいたのだという。おやっさんはいつも、特によそ者の動向に敏感にアンテナを張っている。そのおかげで、幾人かは自殺を未然に思いとどまらせることもできたらしい。
しかし勿論、全ての自殺志願者を把握することはおやっさんにも出来やしなくて、救えなかった命もあった。
おやっさんにとって最も印象深い自殺者の話はもう何度も聞かされた。何十年も前、おやっさんが役場に入職して間もない時期の話だ。
その人はこの村には縁もゆかりもないよそ者だった。彼が無惨な姿で発見される前日の夜、若き日のおやっさんはまだ整備される前の湖畔で汀をゆっくりと歩くその人を見ていたらしい。その行動に違和感を覚えていたのに、忙しさにかまけて声をかけることを怠った自分を未だに悔いているのだとおやっさんは言った。
「オレァな、なるべくならもうこの村で自殺する奴を出したくネェんだよ。草壁、おまえならわかってくれるだろ?」
(……わかるよ、おやっさん)
心の中でおやっさんに返事をして、俺は人影を油断なく見つめる。何を考えているのだろうか、その人影はゆらゆらと僅かに揺れながら立ち尽くしていた。その足は既に湖水にくるぶしまで浸っているようだ。
このあたりはしばらくは遠浅で、すぐに溺れるほど深くはならない。だがA湖の水深は深いところで30メートル以上はある。危険なことにはかわりない。
俺はその人影から目を離さないように注意をしながら、婆ちゃんの家の敷地を抜け出した。気付かれないように慎重に、しかしなるべく迅速に、その人物の元へと回り込むように近づいていく。