愛と魔法の言葉
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「……その後は、お前が見た通りだ」
語り終わり、彬は伏し目がちにほうと深い息を吐いた。俺の手のひらの中で所在なく組まれた指の先は、相変わらずひんやりと冷えている。
俺はその冷えた指先を握りしめながら、彬と出会った時のことを思い出していた。
あの時、俺の腕の中で彬は泣きそうな声で言った。
『この世は下らなくなんかない。この世は美しい。ただ、その美しさの中に俺は要らない。それだけだ……』
なるほど、あの時の言葉の裏にはそんな経験と想いがあったのか。
そう理解して、俺はゆっくり視線を上げた。しかしその俺の視線を避けるようにして、今度は彬が俯いてしまう。
「?」
どうかしたのだろうか、と伏せた顔を何気なく覗き込んだ俺の目に飛び込んできたのは、瞳に薄らと涙を湛えた彬の引きつった表情だった。凍り付いたようなその表情は、悲しみではなく怯えからくるもののように思えた。
「どうし……」
「……こんな……」
どうしたんだ、と問おうとした俺の言葉尻に被せて、彬は無理矢理吐き出すようにその言葉を口にする。
「……こんな俺でも……その、愛……してくれる、のか……?」
そういえばさっきも彬は言っていたっけ。自分を知ることで、俺の気持ちが冷めてしまうかもしれないと。
どうして彬がそんな風に思うのかは解らない。
だが、俺は彬を愛するのだと、彼の期待に応えるのだと決めていた。
ならば、答えは一つしかない。
「勿論だ」
「………………」
彬は俺のきっぱりとした言葉を受けて、驚いたように目を瞬かせる。そして、やや食い気味に身振り手振りを交えて言い募った。
「……お、俺は文無しの無職だぞ? ここに留まるための金もないんだぞ? そりゃあ、環境さえ整えばアルバイトくらい出来るかも知れないけれど、今の段階じゃあ信用も何もあったもんじゃないだろう!」
ああ、なるほど。そういうことを気にしていたのか。
俺はなんだか力が抜けてしまって、苦笑いをした。
「確かに俺は大金持ちでも高給取りでもないけどさ、彬一人くらいなら扶養できないことはないんだぞ。仕事は気持ちが整った時に始めればいいんだしさ」
「簡単に言うけれど、捨て犬を拾うのとは根本的にワケが違うんだからな!?」
不安の裏返しなのだろう、キャンキャンと犬が無駄吠えするみたいに自分に不利な方へと持って行きたがる彬。
俺は、はあと一度大きくため息をついて、その彬をじっと見据えた。
その視線に、ついに愛想を尽かされたとでも思ったのだろうか。彬は急に大人しくなって身を縮こめる。だが俺はその彼の手をもう一度しっかりと握りしめて、囁いた。
「大丈夫、俺を信じろ」
「……ッ!」
彬は俺の言葉に射貫かれたように目を見張った。
それはなんて「いい」言葉なんだろう。おとぎ話の主人公が言うようなそれは、彬を繋ぎ止めたい俺にとってはとても「都合のいい」魔法の言葉だった。
彬はほんの少しの間俺をまじまじと見ていたけれど、すぐにはっと息を吐き眩しそうに目を眇めて唇を尖らせた。
「……ほんと、かっこつけすぎだ、ばか鞍馬」
「うん」
初めて彬の唇が紡ぐ俺の名は、甘い響きを持っていた。くすぐったいようなその響きに、俺は頷いて立ち上がり、食卓越しに彬の唇に自分の唇を押し当てる。
触れていた唇が離れると、彬は名残惜しむように潤んだ瞳で俺を見て微笑んだ。
それは安心した子供みたいな表情で、俺もまた、つられるように微笑んでいた。




