どうも神父です。聖女に大神殿を追放されたので、城下町で婚約破棄アドバイザーはじめました。
「神官クリモト、あなたを大神殿から追放するわ!」
国王陛下の前で、聖女ソフィアが私に指を突きつける。
聖女――などという称号を頂いているが彼女は私にとって敵、政敵である。
歴代最年少の法王となり、あまねく人々から崇拝されたい。という私の野望を阻む憎きクソジジイ、もとい我が政争相手である枢機卿ヴラドの手先だ。
「ふっ、貴様のような小娘にそんな権限があると思うか、バカめ」
もっとも、私は生意気な小娘など相手にせんがな。
当然だ。
神殿とは神の家であり、信者の集う教会とは全くの別物。
私はその“大”神殿で法王様の補佐を任されし偉大な“大”神官なのだ。
3年前まで続いていた戦争により、聖職者にも多くの死者が出るという不幸のどさくさで異例の出世街道を歩んできたわけだが、私が神に選ばれし人間であることに変わりはない。
むしろ、その事実こそ私が神に愛されているという証明だろう。
軍属の宣教師として他国を10年渡り歩き、怪我を負った経験が一度もないのは私くらいなもの。戦場では死が私を避けて通ると評判だった。私を幸運なだけの男と言う者もいたが、神の愛を持たぬ者が嫉妬してしまうことは仕方がないと言えよう。
対してソフィアは、異能と呼べる程の才に恵まれた法術使い。
建国以来最高の治癒術の使い手ではある。
しかしその正体は、貴族社会や国家の財政などまったく理解しない庶民だ。
庶民が政治にまで関わろうとは愚かなことよ。頭の悪い子供は仕事を終えたら家に帰ってホットミルクでも飲んで寝てしまえばいい。権力とは私のように良家に生まれ、尊き血と世俗の両方を知る者にこそ相応しい。
「それがあるのよ、ですよね国王様」
「どういうことですか陛下」
現在、我が国では法王選挙が行われている。
法王様が病に倒れ、聖務を行う事が難しくなってしまったのだ。
よって次の法王が早急に求められている。
立候補者は私とヴラド枢機卿の二人、一騎打ちだ。
しかし、相手が一人だけだと色々と見えすぎてしまうものだ。
そのせいで、つい敵愾心が暴走してしまった。
具体的に言うと、我々は互いに選挙権を持つ枢機卿司教を自陣営へ引き入れるべく裏工作をしていたわけだが――とある貴族のパーティーで口喧嘩から裏の人間関係の暴露大会へ発展。その後、教会のパトロンである貴族たちの目の前で殴り合いになってしまった。
ちなみに、最後は私が華麗な勝利を収めた。
まさしく人生で最高のアッパーだった。
かつては聖騎士団の団長を務めた枢機卿であっても、外れた差し歯を誤嚥して窒息死しかけた姿を見れば、誰もが彼の時代は終わったと理解しただろう。
ここで消えてくれれば、めでたしめでたし――で終われたのに、こともあろうかヴラドのジジイは恥ずかしげもなく国王陛下に泣きついたのだ。
私にアゴを砕かれただと!?
ふざけるな! そこまではやっていない!
転んだだけで骨折するような老いぼれはとっとと引退しろ!
内心でそう嘯きながら、今は療養中と称して雲隠れしたヴラドの代理である聖女と共に、仲裁を名乗り出た陛下も交えて口論になっている。
「まさか陛下、それは例の噂が関係しているのですか」
「そうよ! 私はシャルル様と婚約したのよ!」
洗濯板のような薄い胸を張る小娘の言葉に、冷や汗が流れる。
そこまで話が進んでいたのか。
第一王子シャルル様は生まれつき心臓の病を患っていた。
二十歳を超えて生きているのが奇跡とまで言われる難病だ。
聖女が王子の病を治療していると噂で聞いていたが……。
「陛下も皆もその小娘を買いかぶっております。今は戦時でもなければ大きな国難もありませぬ。たかが癒しの法術に恵まれただけの小娘を聖女などと盛大にもてはやそうとするは愚の骨頂かと」
正直に言えば、私自身はソフィアが嫌いではない。
彼女の才能は本物だ。
これから数え切れぬほど多くの人々を救うだろう。
今は幼い精神に見合わぬ力を得て一時的に増長しているに過ぎない。
彼女はまだ大人ではないのだ。
だが何故そのような才能の持ち主が戦時ではなく戦後に現れる。
それは彼女が神に愛されし存在ではないからだ。
ソフィアの才能は偶然の賜物。
つまり聖女とは人類の正当な歩みを狂わせるバグだ。
人間が進化する過程で生まれた巨大なバグ。
その過剰な才ある血を王家に入れることも賛成できない。
王家から聖人が輩出されるようになれば、教会は王家の言いなりになってしまう。
こんな少女を利用しようとは、枢機卿は教会の未来が見えてないのか。
耄碌したジジイは天に召されてくれ。
「クリモト貴様っ、王子の病が国難ではないと申すか!?」
「む、そういう訳では……」
本音でははっきりと言いたい。
陛下は親バカであらせられる、と。
シャルル王子はボンクラ……とまでは言わぬが、私が親しくしている第二王子アリエス様と比べて明らかに劣る。
あまり面識はないものの、寝たきりで武芸に疎く、見識は狭く社会を知らぬ、優しさだけが特徴の男だと聞いている。次期国王にはふさわしくない。
などと考えていたら、陛下が顔を真っ赤にして睨んでいた。
困ったな、このクリモトは誠実さをモットーにしている男。嘘は苦手なのだ。
「国王様、いえ義父様と呼ばせていただきます」
「それは気が早いだろうソフィア、不敬であるぞ」
「うるさいわねクリモト……義父様、シャルル様を軽んじるような発言をする者を大神殿に置いておくのは問題かと存じます」
「そのようだな。法王猊下が話せる内に伝えておこう」
陛下までそのような戯言を言う、
まったく、小娘と耄碌ジジイに唆されるとは、陛下もバカの仲間なのか。
私ほど神への信仰が篤く、国家の未来を憂いている聡明な男はいない。いくら陛下からとはいえ、法王様もこんなバカげた忠言を聞き入れることはないはずだ。
――と安心していたら、あり得ないことが起きてしまった。
私は聖女の宣言通り王都中央の大神殿から追放された。
城下町の端にある小さな教会へと移されてしまったのだ。
まったく、何故こうなった。
我が師でもある法王様がこのような愚かな選択をするはずがない。
法王様は見舞いの面会もさせてもらえぬし、体調はかなり悪化しているようだ。きっと会話もままならぬことを良い事にヴラドめが手を回したに違いない。
だから私が裏切られたわけではないはずだ。
私は神に愛されている。
私は法王様に愛されている。
愛されているのだ!
私は愛されている。私は愛されている。私は愛されている。私は愛されている。私は愛されている。私は愛されている。私は愛されている。私は愛されている。私は愛されている。私は愛されている。私は愛されている。私は愛されている。私は愛されている。私は愛されている。私は愛されている。私は愛され――
「あのすいません、よろしいですか」
告解室の扉を叩かれ我に返る。
私としたことがショックで発作を起こしていたようだ。
今の職務は、相手の体半分だけが見えるように小窓のつけられた薄い板一枚向こうにいる迷える子羊の悩みを聞くこと。
しかしまあ……なんとも退屈だ。
人々の悩みを聞くことは悪くない。
だが、これなら再び宣教師に戻った方が良いかもしれぬ。布教し感化した者は、私の言葉を通して神を崇める。それは神と同時に私も崇めているに等しい。あの快感はある意味、法王になる事より上だろう。
それに庶民の悩みのなんと慎ましいことか。
カッとなって人の悪口を言ってしまったとか、魔が差して店に忘れた客の財布を盗ってしまったとか、誘惑されて友人の姉に手を出してしまったとか……魑魅魍魎の跋扈する上流社会を覗いてきた私からすれば、悩みが可愛すぎて物足りない。
まぁ、大物に来られても今の私には問題を解決する権威も財もないのだが。
そんな心の声を拾ったかのように、また告解室の扉が開かれる。
「ほう、小さな教会だな。まるでネズミの巣だ」
「その声は――ヴラド枢機卿!?」
部屋を二つに分ける板壁につけられた小窓からは、法王だけが持てる宝杖の柄だけが見えていた。ソレが無くても、しがれた声だけで相手が分かる。
「告解室の中では個人の素性に触れぬはずではないか、なっていないな。しかし、このようなカビ臭い教会に勤める下級神官に言うても無駄なことか。それから私は枢機卿ではなく法王だ。二度と間違えるなクズめ」
ヴラドは法王になってどれだけ生活が煌びやかなものに変わったか、時には国王陛下にすら命令を下せる権力が如何に素晴らしいものかを一方的に語り、最後に貧しく汚いこの教会を笑って去っていった。
「……なんという性悪ジジイ、奴は悪魔か」
私の清らかな心に憎しみが積もっていく。
今度こそ本当にアゴを砕いてやろうかと衝動に駆られる。
だいたい何だ、あのどこぞの魔法学校の校長のようなヒゲは。
一本残らず毟ってやりたい。
だが私は耐えた。
私は寛容と忍耐の男クリモト。
いつか中央に返り咲く機会が巡ってくると信じれば、老い先短いクソジジイの妄言などどうという事はない。
そして半年ほどして転機が訪れる。
その頃、王都はシャルル王子と聖女ソフィアの結婚式がもうじき行われるという噂が流れだし、城下町も準備で賑わっていた。地方や隣国からも商人や旅人がたくさん訪れ、祝福の声で溢れている。
いつものように告解室で迷える子羊を待っていると、やけに澄んだ声の青年が入ってきた。涼やかな鈴の音のような声に男の私でもうっとりしてしまいそうだ。
一体どのような人物だろう。
私は青年のことがひどく気になった。
平均的な男性の腰の高さにつけられた告解室を二つに仕切る小窓からでは相手の顔が見えない。こっそりと手鏡を取り出して相手の姿を覗き見る。足元まで覆える外套を羽織っている。中々の仕立て、どこかの貴族だろう。
しかし、気を取られていることを悟られたか、青年は頭を下げると何も話さずに出て行ってしまう。
悪い事をしてしまったな、悩みがあっただろうに。
打ち明けやすい雰囲気を作るのも告解室を預かる聖職者の務めなのに怠ってしまった。彼はまた来てくれるだろうか……。
それから三日して、再び青年がやってきた。よかった。
何度もやってくるということは、どうしても懺悔したい話があるのだろう。今度はしっかりと青年の話に耳を傾ける。
それでも青年はなかなか本音を話そうとしなかった。
仕方がないから小さな悩みから聞いてやる――が、いまいち釈然としない。青年は自分の正体を隠したいようで要領を得ない。なんとなく分かることは、責任ある未来に不安を感じているようだ。
青年は三日置きに私の下へ通うようになった。
悩みを聞くというより談笑するだけの日々だったが、青年は打ち解けてくれている様子だった。私をよく信頼している。
そして、ようやく青年は胸に抱えている悩みを語りだした。
「実は近く父の決めた女性と婚姻を結ばねばならぬですが……私は他に愛する者がいるのです。しかし、その女性に私も借りがあり断る事はできません」
「失礼ですが、あなたは貴族ではありませんか」
「え、ええまあ、確かに貴族のようなものですが」
「であれば、第一に御家の事を考えることは当然。その上で想いを寄せる者を妾にでもすればよろしい」
「ですが私は複数の相手を愛せるほど器用ではなく……」
大貴族であれば、第二夫人、第三夫人など当たり前。
そこらの木っ端貴族でも愛人を囲っている者は少なくない。
と、まずは一般論を語ってみせる。
懺悔には、誰かに背中を押してもらいたいだけの者も来るからな。
しかし、青年の反応は期待していたものと違った。
「……ふむ、話の本質はそこではないようですね。例えば、愛してはいけない相手を愛してしまった、とか……?」
青年が息を呑む様子が伝わってきた。
当たりのようだ。
私も伊達に長く神父をやっていない。
これまで様々な異常者……もとい貴族から悩みを聞いている。
幼児性愛、近親相姦、赤ちゃんプレイにスカ××野郎。
貴族の世界は何でもありだ。
さて青年、君の悩みはナニかな。
心の闇を見せるがよい。
「私が本当に愛しているのは、幼き頃から私を支えてくれた使用人なのです」
「なるほど、肉体関係を持つ内にメイドを本気で愛してしまう貴族の話もよく聞きます」
「いえ……そうではなく、彼は……男性なのです」
「あ、そっち」
……衆道。そっち……そっちかぁ。
なんというかまあ、よくある話だ。
普段からこういう輩が来た時はハッキリ伝えている。
この愚か者めッ! とな。
貴族とは民に生かされ、民を生かす義務がある。
そして貴族とは血の繋がり。
これにより為政者としての才能を残し、高度な教育を理解できる者が残される。
そういうシステムだ。
貴族は恋愛などに現を抜かす事は許されない。
そんな物は甘えだ。
私心を捨て、民の生活を第一に考えることができぬなら家を捨てろ。
だが、青年の話で驚くべき事は別のところにあった。
「あああぁ、私は一体どうすればよいのでしょう」
青年が小窓につけられた小さな台座の上で指を組んだ。
そしてその上で頭を抱える。
眩しいほど艶やかな黄金の髪――よりも目を引く物があった。
右手の中指に嵌まった黄金の指輪。
そこには王家の紋章が刻まれていた。
まさか……シャルル王子?
どうしてシャルル王子がこんな王都の端にある教会へ?
いやこんな悩み、大神殿の連中には話せぬから敢えてここなのか。
あなたのせいで私がこんな場所へ左遷された事を知らないのですか。
それにしても、王子が同性愛者だったとは。
しかも王族の責務より愛に悩んでいるとは…………信じがたいアホだな。
このままではボンクラどころか暗君待ったなしだ。
私を大神殿から追放させた王家に更なる失望が重なる。
この国はよく今まで滅びなかったものだ。
とも思ったが――
「なるほど…………これは神の試練か」
「試練?」
「こちらの話なれば、お気になさらず」
神よ、あなたはこうおっしゃるのですね。
私にこの愚かな国を再建しろと。
そのために一度全てを破壊せよ、と。
人とは痛みを知らなければ学習しないバカな生き物。
煩悩により身を滅ぼす愚をシャルル王子と国王に教えてやりましょう。
となればさっそく、
「青年よ。愛に生きなさい」
「ですが私には立場が……それに父上も何と言うか……」
「くだらぬな」
この計画の第一歩――王子と聖女の婚約破棄からだ。
そのために、優しさだけが取り柄の王子に自我を強く持って頂こう。
「あなたの父は何と言ってあなたを否定するのでしょうか。御家のため?そんなくだらぬ戯言を信じるのですか。私は、責任という言葉を掲げ、不当に権力を振りかざす者を大勢見てきました」
「父上はそのような俗物ではありません!」
「確かに、あなたの声を聞いていれば分かります。あなたは誠実な方だ。であれば、あなたの父も誠実な方なのでしょう。しかし時代は変わります。この国の戦争が終わったように。あなたも父親の価値観が古い物だと感じているのでしょう」
「そんな、ことは……」
「目を背けてはなりません。現実にあなたは犠牲にされているではありませんか、理不尽な時代は終わったのです。誰もが幸せを考えて良い時代が来たのですよ」
青年に同情しているかのように優しく話かける。
「私が、犠牲に……?」
「そうでしょう。このままでは誰も幸せになれない。あなたの愛する人も、あなたに定められた婚約者も、あなたの未来も……誰もが己を押し殺し、真実の何一つない偽りの家族として生きていく……」
弱っている相手には、まず肯定してやる。
同調し、別の話題から悪の価値観を刷り込む。
最後に行動を起こすだけの価値がある新たな正義を教えてやるのだ。
これぞ布教の極意。
「それに、私は多くの人の悩みを聞く事で、ある真理に気づいてしまいました」
「真理……ですか」
「気質、つまり気の持ち様だけでなく、愛の形もまた親子で似るということです」
私の言わんとしていることを汲み取ったか、王子がハッと体を引いた。
「もしかして……父も私と同じだと?」
「可能性の話です。もっとも、長く自分を犠牲に生きてきた方が今更認めることはないと思いますが。あなたの父の代には戦時下で新しい時代を始める余裕などありませんでしたしね……それより、私はもう一つの可能性の方が問題かと思います」
「…………まさかっ!? 幸せになれない私の未来とは」
「そう、あなたの息子、そして子孫たちです」
「神父様は、私に不幸の連鎖を断ち切れと言うのですね。血を継がせることが必ずしも幸福ではないと……」
私は努めて優しい声で笑って見せる。
「青年よ……今、神があなたへ微笑みました」
「ありがとうございます神父様!」
王子は吹っ切れたような声を上げると告解室を飛び出していった。
流石にどう行動を起こすか詳細までは読めぬが、これからシャルル王子は概ね私の思惑通り動いてくれるだろう。
「ふっ、チョロいな」
あまりのチョロさに不安を覚えるものの、私がこれまで相手にしてきた老獪な化け物どもに比べたら、若造などこんなものか。
そして王子が愛に殉じるというのであれば、他の貴族たちにも同様の影響を与えられるはず。この調子でこの国から無責任な恋愛バカを消してやろう。
国が荒れ、しかし賢き者だけが残れば、誰がこの国に必要だったのか……もっとも信仰が篤く、真摯に国の未来を考えてきたのは誰だったのかを理解する。
つまり私だ。
その頃には、子を成さなかったシャルル王子の次の代、第二王子アリエス様の御子が王位を継ぐ事が決まっているだろう。そうなれば、アリエス様との縁を利用し、私は好待遇で大神殿に復帰できる。
他にも、王子と聖女の婚姻が破談になるだけで、それを推し進めてきたヴラド派閥の権威は地に落ちるというメリットもある。
王子に「君を愛することはない」と振られる聖女ソフィアの顔も一度拝みに行かねばならん。
先は長い。だいぶ遠回りになってしまった。しかし、これからこの国がどうなるか考えるだけで笑いが止まらん。私を虐げた者よ、見ているがいい。はーっはっはっ!
そして――
あれから、かなり長い時間が過ぎた。
時代が変わったと言ってもいいくらい長い時間だ。
私の計画は、半分成功し、半分失敗したというところか。
初めは全てが上手くいっていた。
王子と聖女の破談によりヴラドは権力を大きく削がれた。
数年後、ヴラドは失意の中で息絶えた。
その報せが来た日は、私を慕う者たちと記憶が飛ぶまで酒を飲んだ。楽しかった。朝起きたら全裸の娼婦数名とスラム街の女衒たちに囲まれていたせいで肝を冷やしたが、全財産を失うだけで済んだ。
しかし予定外の事態も起こる。
私が唆して婚約を破棄させた者たち。
愛に目覚めし世代――と名乗るバカ貴族たちが、どういうわけか上手に国を回し始めたのだ。
訳が分からん。
何故ああなった。
私も生まれは伯爵家だ。兄が七人もいたから早々に出家したが、貴族という生態を幼少から教え込まれてきた。
血の繋がりを軽視する者に未来などない。
そんな者は誰も信用しない。
だと言うのに、国は大きく発展し、周辺諸国からも世界で最も成熟した国と呼ばれるようになり、王位を継いだシャルル国王は賢王などと呼ばれている。
本当に意味が分からない。
考えられる可能性は一つだけだ。
私という巨大な器から溢れ出た神の愛がシャルル国王にも恩恵をもたらしたのだ。どうやら私は、時に恨みを抱いている相手にすら幸福を分け与えてしまうらしい。
まぁそうなったらそうなったで、私が国王に愛を教えたあの時の神父だと正体を明かせば大神殿に帰れるのでは?と私は計画を修正する。
そこでついに最大の問題が発生した。
以前婚約を破談にした詫びなのか、王家が聖女ソフィアを全面的に支援しはじめたのだ。彼女は新しい法王を押しのけて教会の最高権力者となった。
そして彼女は私を恨んでいる。
当時、王子と聖女の破談を唆した者が私であるとどこかで聞いたらしい。
私は中央へ帰れなくなった。
もう終わりだと思った。
やけくそになり、私は自ら愛の使徒というバカげた名乗りを上げた。
こんな国は私と一緒に滅んでしまえばいいとさえ思った。
しかし、気づけば私の支持者は増え続けていた。
しかもそれが理由で、聖女ソフィアとも和解することになる。
私がとある貴族の令嬢をいたずらに婚約破棄させた結果、何の取り柄もない純朴な男がフリーになる。その頃、教会内での権力争いに疲れていたソフィアは、その男と偶然出会い、その退屈な男の中に癒しを見い出し、結婚することになった。
私は酔った勢いで呼ばれてもいない結婚式に乱入し、
「神から伺っていた通りになった。ソフィアよ、ようやく本当に大切な物を見つけたのだな」
と何やら悟っている風に言ってやった。
その時、ソフィアは私を睨んでいたが事態はさらに予想外の方向へ転がる。
聖女ソフィア、彼女の癒しの才能は子供達に一切受け継がれなかったのだ。きっと王家の一員となっていれば、その事を責められ、彼女と彼女の子供たちは不幸な生涯を過ごしただろう。
そうなる事を知っていたのかとソフィアに尋ねられたので、私はもちろん、
「知っていたさ。君は本当なら政治に関わるべきじゃないことも。ささやかな幸せを望むどこにでもいる優しくて真面目な普通の少女だったということも。君の力を利用しようとするヴラドから幼い君を守れなかったことを今でも恥じている」
そう泣きマネをしながら言ってやった。
100パーセント完全に嫌味と負け惜しみだったのだが、ソフィアはこれまで私を恨んできた事を涙ながらに謝罪した。
こんな簡単に人に騙されるおバカな庶民に私は負けたのか――そう思うと、少し本気で泣きたくなった。
ソフィアは私との和睦を王家に伝え、シャルル国王と共に私を次期法王へ推挙すると言ってくれた。
当然、私は断った。
これまで通り、城下町の端にある小さな教会で愛を伝えると。
ヴラドの後に座る椅子になど、もはや何の価値もない。
私がバカにしてきた者たちに座らされる椅子にもだ。
それが正直な気持ちだった。
しかしその結果、私は愛を司る守護聖人として永遠に名を刻まれる事となった。
法王の座に就いても守護聖人に選ばれるとは限らない。というより、守護聖人の選定にはどんな地位もまったく関係がない。功績だけが全てだ。
若い頃ずっと目標にしていた「最年少の法王」などより、私は何倍も価値ある名誉を得られたのだ。
「人生、わからんものだ……」
「おじいちゃん、なにか言った?」
「……いや、夢を、見ていた」
眠る私の顔を覗いていたマリーが姉であるサフィーを呼びに行く。
「どうしましたクリモト様、おトイレですか」
「トイレぐらい一人で行ける! マリーがうるさいから目を覚ましただけだ!」
「もぉ、無理しないでくださいよ。そう言って昨日も転んだばかりじゃないですか」
彼女たちは聖女ソフィアの孫にあたる。
ソフィアの言いつけでほとんど寝たきりになった私の面倒をみている。
何も知らず祖母の政敵でしかなかった私を慕うあわれな子供たちよ。
しかしまあ……自分の出世だけを考えてきた私が、最後の瞬間に一人でないとは、何と恵まれたことか。
ヴラド枢機卿、聖女ソフィア、他の高僧達、王侯貴族……一時は私を大神殿から追放した愚かな者達に恨みを抱いたこともあったかもしれない。
だが今はこの言葉を贈りたい。
「みんな……」
「なぁにおじいちゃん」
「みんな、バカでありがとう」
「おねえちゃん、クリモトさまがまたバカって言ったー」
「本当? クリモト様ってばまた追い払おうとそんなこと言って! お世話されるのを嫌がっても誰かしら来ますからね!」
憎まれ口すら叩けぬとは、これが神に愛されし者の宿命か。
私にとって数少ない無念だ。
思えば、ヴラドやソフィアと競っている時が一番生きている実感があったな。
「ああ……また眠くなってきた」
まぶたが重い。
まだ陽も沈んでいないのに、目を開けていられなくなる。
うつらうつらする私にサフィーが毛布をかけてくれる。
「今日もありがとう……おやすみ、サフィー、マリー」
「おやすみなさいクリモト様、また明日」
「またねー」
ゆっくりと目を閉じる。
サフィーは最後に、明日は私の好きなビーフシチューだと言って部屋を出て行った。
だが、残念だ。
私が目を開けることはもうない。
このまま天へ召されるだろう。
……しかし不思議である。
最後に大好物を食べられずに死ぬ私は、本当に神に愛されし幸運の男だったのだろうか。
今まで一度として疑ったことのない神の愛をこんなことで疑うとは、私はとことん俗物だったな。
だから天国で神にお目にかかれたら聞いてみたいと思う。
私の人生は、貴方の望みに沿うものだったでしょうか。
それともただの喜劇だったのでしょうか、と。