01. 発端
ことのはじまりは、1か月ほど前に遡る。
ルコルは、緑豊かな森のほど近くで ひっそりと暮らしている只の平民である。
その森は、切り立った崖もある なかなかに深いものであり、滅多に人が足を踏み入れない場所なのだが、その日は朝から馬の鳴き声や蹄の音などが響いており、珍しく狩りか何かに来た人がいるようだった。
ルコルが木の実や山菜を採取しながら少し奥まで踏み入ったとき、人の叫び声と思しきものとともに、衝撃音のようなものが聞こえた。
この近くには、そこそこな崖がある。
(もしかして、人が落ちた…!?)
嫌な予感がしたルコルは、崖下へと急いだ。
するとそこには、予感的中とばかりに、きちんとした身なりの男性と一頭の馬が倒れていたのだ。
「大丈夫ですか!?」
ルコルが駆け寄ると、男性はうめき声をあげた。
意識は一応あるようだが、話ができるほどの力はなさそうだ。
腕に大きな傷を負っており、出血が著しい。
顔からは、みるみる血の気が引いていく。このままでは命に関わる気がする。
ルコルの力では、この男性を森の外まで運ぶことは難しい。
人を呼んでくるしかないが、ここはだいぶ分け入った森の中。それなりに時間を要することは想像に難くない。
とりあえず応急処置を施し、人を呼んで戻ってくるまで命を繋げられるかは運次第になってしまうが、ルコルにはそれ以外の手立てが思い浮かばなかった。
「あの、止血しますね?
ちゃんとした道具がないので、ちょっと乱暴かもしれませんが、ごめんなさい」
ルコルは、腰に巻いていたエプロンを紐状にして男性の腕をぎゅっとしばり、止血を施した後、火魔法を発動させて傷口を焼いた。
「ぐあああぁっ」
途端、男性が叫びながら のたうち回る。
「痛いですよね、ごめんなさい!でも暴れないで!!
傷口が開いて これ以上血が流れたら、あなたの命に関わるの!!」
ルコルは必死に声をかけるが、痛みのあまり男性には声が届いていないらしく、のたうち回り続ける。これ以上の出血は本当にマズいのに。
(いっそ意識を失ってくれれば…!)
ルコルには、痛みを和らげてあげる術がないわけではなかった。
痛覚を鈍らせれば痛みは感じにくくなる。
ルコルの魔法なら、傷は治せないが、感覚を麻痺させることならできる。
だが、その魔法を人前で使うわけにはいかなかった。
そのため、男性に意識がある状況下では使うことができないのだ。
…けど、まだ意識は失っていないかもしれないが、ちゃんと認識できているとも思えない。きっともう、朦朧としている状態だろう。
(だったら、あの魔法を使っても、何が起こったのか分からないはず…)
ルコルは、男性の腕の傷口…火魔法で焼いた傷口に手を当てると、そっと魔法をかけた。
光を放つこともなく、目に見える変化はない。
ただ静かに触っただけにしか見えないが、その途端、痛みにのたうち回っていた男性が動きを止めた。
「…う……」
男性は小さく呻き声をあげた後、ぐったりと倒れこみ、そのまま意識を手放したように見えた。痛みのあまり、気を失うことすらできなかったのかもしれない。
暴れて出血量を増やすくらいなら、気を失ってくれてた方がマシだ。
ルコルはホっと息を吐くと、人を呼びに行くためその場を離れた。
しばらく行ったとき、前方から馬に乗った数人の騎士が駆け寄ってきた。
「失礼お嬢さん、身なりの整った金髪の男性を見かけませんでしたか?」
「あ、はい!この先の崖下に倒れています!出血が酷いんです…!」
ルコルの言葉に、騎士たちはさっと顔色を変える。
そして、ルコルの道案内で急いで男性の元に駆けつけるなり叫んだのだ。
「王子!ご無事ですか!?」
(………王子…?)
騎士たちは、急いで処置をするということで、慎重に王子を運んで行った。
ルコルには「追って必ずお礼を」と声をかけていたが、丁重にお断りした。
(まさか王子さまだったなんて…。
あの状況で見殺しにはできないけど、正直、関わりたくなかったな…)
一応お礼は辞退したけれども、たぶんきっと、改めてお礼に来るだろう。
ここで逃げたら『わたしには、やましいところがある』と表明しているように思われないだろうか。
そんな恐れから、ルコルは、逃げだしたい思いを辛うじて堪えたのだった。