18. 王宮筆頭魔導士
王宮のエフェの執務室で詳しい話をすることになり、場所を移す。
はじめて入室したそこは、何か不思議な空気が漂っていた。
促されるがままにルコルがソファに座ると、飲み物を出しながら、エフェが話し始める。
「筆頭の執務室は、特殊な結界のようなものが張られてまして、
条件を満たさない人間は、入室そのものができないんですが、
やはり、ルコルさんは問題なく入室できましたね。」
「条件?」
「はい。王宮筆頭魔導士の資格があるかどうかです。」
ルコルには、エフェがさらっと述べた内容が全く理解できなかった。
ただ言葉が耳を通過していっただけのように感じた。
「……は…?」
ぽかんと口を開け、間の抜けた声を出すことしかできないルコルに、エフェは苦笑に似た 気まずそうな表情を浮かべながらも、はっきりと告げる。
「申し訳ありませんルコルさん。私があなたを王宮へ招いた理由は、
聖女のような象徴的な存在を欲していたからではなく、
私に何かあったときに、王宮筆頭を任せたかったからです。」
「えっ…え? ひ、筆頭? なんで!?」
思ってもみなかった方向性の話に、ルコルは激しく動揺する。
「王宮筆頭魔導士の適性を満たす人材は、殊の外いないんです。
ルコルさんにはその適性が間違いなくあると確信しましたが、
王宮魔導士にスカウトしても応じていただけそうになかったので、
それなら、逃げにくい状況に追い込んでしまおうと思ったんです。」
確かに、普通に「王宮に仕えないか」と言われたら、ルコルは絶対に断る。
弱みを握られたような握られていないような、なんともグレーな状態だったからこそ、相手の出方を窺っているうちに流されてしまっていて…つまり、エフェの思惑通りになったということだ。
『エセ聖女』にそんな真相が隠されていたなんて、思ってもみなかった。
「王宮筆頭に一番に求められる条件は、闇属性への偏見がないことです。
立場上、ある程度の魔力も必要にはなりますが、
魔力がずば抜けて高くても、偏見がある者は筆頭には絶対に選ばれません」
当然、もともと闇属性のルコルには、闇属性への偏見はない。
魔力量も多いし、目くらましにうってつけの火属性まで保有している。
話を聞いていると、なんだか我ながら適性があるような気がしてきてしまう。
「王宮筆頭には薄汚れた仕事もありますので、恨みを買うこともあります。
いつ何どきお役御免になっても支障が出ないように、
筆頭を担える人物に目星をつけておくことは、現筆頭の義務なんです。」
エフェは、ソファで足を組み、その膝に組んだ両手を置き、少し遠くを見るように話し続ける。
「ルコルさんが善良な人だということは、はじめから分かっていました。」
エフェは、ルコルに会いに行く前に神殿に立ち寄り、ルコルが聖判定で不適合だったこと、稀有な火属性の魔力を持つが、司祭へのスカウトは断っていたことを予め確認していた。
ルコルの家に近づくにつれ、強大な火属性の魔力と、判別不能のとんでもない魔力を感じ、会わずして闇属性の魔力の持ち主なのだと確信した。
対面したルコルは、王宮魔導士のローブを着た、分かりやすく警戒すべき人間が目の前に現れたというのに、決して闇魔法を行使しようとはしない。
そもそも、精神操作に抵抗感がないなら、王子の転落事故の際に、自分の存在を忘れさせるなりしているはず。
ルコルはそれをしないだけなく、恩を売るそぶりすら見せなかった。
「ただ心が美しいだけでなく、厳しく自分を律する強さも持っているんだなと
敬服したんですよ。」
エフェは、どこか遠くを見ていたような視線を、ゆっくりとルコルに向ける。
「そんなルコルさんに、薄汚れたことなどさせたくはありません。
あなたは、ノノさんと私にとっては、『聖女』のような存在なんですから。
ですから、次の筆頭候補は他の人を探しますので、
見つかるまでの間にもしものことがあった時だけ、お願いできますか?」
静かで真っ直ぐな、凪いだ瞳。
それは、とっくのとうに覚悟を決めている目。
エフェは、なんてあっさりと、そんな残酷なことを言うのだろう。
ルコルの中に、悲しみ以上に込み上げてくる何かがあった。
「…ぃや…です…」
「え?」
「嫌、ですっ」
顔を上げてキッと睨むルコルに、エフェは目を丸くする。
「え、あ、はあ駄目ですか」
ルコルに睨まれたことなどないエフェは、面食らったような表情を隠せない。
「なんでっ そんないじわる言うんですかっ!?」
「意地悪…でしたか、ね?」
エフェは状況が呑み込めないといった様子でルコルを眺めている。
そんな、自分の発言の意味をちっとも理解していないかのようなエフェの態度にも、ルコルはやるせなさを覚えずにはいられない。
「だって、もしもって何ですか?エフェさんの一大事ってことじゃないんですか?
そんなときに、わたしにエフェさんの代わりを果たせって言うんですか?」
『もしも』とは、つまり、エフェが務めを果たせないような状況のことのはず。
そんなときに、エフェのかわりに、冷静にそつなく立ち回れと言うのか。
もしかしたらエフェが死んでしまうかもしれないという、そんなときに。
他でもないルコルに。
―――――エフェの側にずっといたいと思っている ルコルに―――――
ルコルの剣幕の理由に思い至ったらしいエフェは、ばつが悪そうに視線を彷徨わせることしかできず、「えーと…そう…なりますね…」と、語尾を小さくしていく。
エフェを睨みつけながら、ルコルの目にはぶわっと涙が溢れ出す。
エフェはぎょっとしていたが、ルコルはもう止まらなかった。
「いじわるですっ 何でそんな『もしも』の話なんてするんですか?
そんなの嫌ですっ やだやだやだ―――――!!」
ルコルは聞き分けのない子供のように、わんわん泣いた。
もう何が何だか分からなくなって、悲しくて、辛くて、どうしようもなくて
エフェが困ってたってお構いなしとばかりに、わんわんと泣いた。
だってルコルは対人経験値が足りないのだ。
こんな気持ちとの折り合いのつけ方を、学んできていないのだ。
いつも一定のペースを乱さないエフェが、珍しく明らかに狼狽えていたが、
やがて、気を落ち着かせるためか、ふーっと長く息を吐くと、恐る恐るルコルの頭を撫ではじめる。
ぎこちなく でも、大切なものに触れるかのように優しく。
「えーと…はい。すみません。意地悪でした。
大丈夫です。そんな『もしも』はありません。私、五体満足に長生きします。
私はただ適性があっただけじゃなく、能力もとても優秀な筆頭ですので。」
…これがエフェ流の慰め方なのだろうか。
ぎゃん泣きする相手にかける言葉として、これは正解なんだろうか。
でも、こういうことには不器用そうなカンジが何ともエフェっぽくて、ルコルはほんの少しだけ溜飲を下げた。
「泣かせてしまったというのに、泣いてくださったことが何だか嬉しいなんて、
私は本当に意地悪ですね。 …参りました。」
エフェは呆れたような口振りながら、本当に嬉しそうに頬を緩ませるものだから、
ルコルもだんだん泣き笑いのような表情になってしまって
もう最後には、ふたりして顔を見合わせて笑うしかなくなってしまった。