15. 闇魔法を使わなくても
ルコルは、自分が闇属性だと悟ったときから、人と距離を保って生きてきた。
傷つけてしまうことへの恐れから、そもそも接点を持つことを避けてきた。
人と向き合うことから逃げてきたのだ。
だから、圧倒的に対人経験値が足りない。
自分以外の人間が関わるとき、何をどう優先すべきなのかの判断に自信がない。
姫君は、正常な状態じゃないように感じる。
以前王子が言っていた、『夢遊病のよう』という状態に近いと思われる。
聖魔法でも浄化できなかったとは言え、これはもう操られていると判断していいと思う。
人を操るのは、闇魔法の領域。
つまり、ルコルには対処できる。
ルコルが精神操作を行えば、姫を止めることも、占い師を止めることも、容易に叶うということはルコルにだって分かっている。
占い師を隔離なりして、すぐにルコルの支配から外せば、闇魔法の影響も残らないし、事態は簡単に解決する。
何ならその記憶を消してしまえば、そもそもルコルが闇魔法を使ったことすらなかったことにできる。
言われるまでもなく、そんなこと分かっている。
でも、怖いのだ。
一度でも操ってしまったら、だんだん、人の心を操ることへの抵抗感が薄れていってしまうような気がする。
記憶を消して、きれいさっぱり無かったことになってしまえば、罪悪感すら覚えなくなっていってしまうかもしれない。
そしていつか、平気で精神操作を行うようになってしまうかもしれない。
いまルコルが躊躇しているせいで、ノノが危険に晒されているというのに、
それでもまだルコルは、自分の倫理観に抗えずにいる。
なんて自分勝手なんだろう。
この国唯一の聖女を、まだたった六歳の幼気な女の子を、どうして守ってあげられないんだろう。
エフェに矢面に立ってもらって、自分は何もしてないくせに―――――
(いまが、覚悟を決めるときなんだ。)
ルコルがぎゅっと目を瞑ったそのとき
エフェの穏やかな声が、静かに、でも染み渡るように、頭の中に響いた。
「ルコルさん、大丈夫です。あなたはそのままでいてください。」
ルコルは、自分に都合の良い幻聴が聞こえたのかと錯覚した。
だって、なんで今?
ルコルにとっては極限と言ってもいいこのタイミングで、どうしてそんな優しい言葉をかけてくれるのだろう。
「我らが聖女は大変優秀ですよ。そして私も、自画自賛ながら優秀なんです。
私たちを信じていただけませんか?」
ルコルの中に、なにか温かいものがぶわっと溢れてくる。
目の奥が熱くて、視界が僅かに滲んで見えた。
「信じ…ます」
そう、信じたい。
今まで他人と距離を取って生きてきた。
傷つけたり傷つけられたりすることが怖くて、他人を信じきれずに生きてきた。
でもエフェが、ノノが、魔力の属性なんか関係ないと、言葉でも態度でも示してくれて、穏やかで温かい日々を過ごさせてくれて、ルコルは心から人を信じたいと思えるようになったのだ。
エフェが信じて欲しいと言うのなら、信じる。
エフェが大丈夫だと言うのだから、大丈夫なのだ。
そして、もう姿は見えないのに、エフェの風に乗ってノノの声が届く。
「あたしの魔力が弱くて効果が薄かっただけで、浄化魔法ちゃんと効いてるよ!
お香から離れた場所で浄化し続ければ、お姫さまの催眠は必ず解けるから、
お姫さまのことは あたしに任せて!」
ノノは、味方のはずの姫に突如裏切られたかのような あの状況下でも、取り乱すことなく、自分にできることを全力でやっていた。
まだ幼くても、魔力が弱くても、紛れもなくノノは立派な聖女。
そのことが何だか感慨深いような、自分のこと以上に誇らしいような、そんな気持ちになる。
「聖女が離れたというのに結界は消えず、姫の催眠まで解かれるなんて、
こんなのおかしいだろう…!?」
混乱した占い師は、手あたり次第に手近なものを投げつけてくるが、もちろんエフェには掠りもしない。
明後日の方向に飛んで行った水晶玉が、壁に当たって跳ね返り、ルコルの方に向かって来たが、数メートル先で八等分くらいにスパッと切れ、破片は風にさらわれて占い師の方へと返されていった。
「あなた今、ルコルさんに危害を加えようとしましたね?
『聖女の聖女』に手をかけたとあっては、見逃すわけにはいきません。
王宮筆頭のこの私が、黒さを隠さずお相手しましょう。」
静かな怒りを湛えたエフェが占い師に向き直るや否や、占い師は急に喉を押さえて苦しみだす。
口をはくはくと動かし、必死に息を吸っているようではあるが、思うように呼吸ができていないように見える。
呼吸。 空気。 …風魔法。
(ああ、これはもう絶対に、
空気から酸素を抜くとか、そういう えげつないことをしてるに決まってる…)
「……エフェさん… あの…」
ルコルが恐る恐る声をかけると、エフェは黒さを帯びた笑みを浮かべながら、
「私の奥義はエグイのであまり使わないんですが、
たまには筆頭の力も示しておかないと、ナメられても後が面倒ですからね」
と、いっそ清々しいほどの鬼畜っぷりを惜しげもなく発揮する。
そう、これもエフェの一面。
ルコルはその姿を知っている。
でも、そこには、自分の野望を叶えたいとか、人を蹴落としたいとかいう欲はなく、大局を見て判断を下しているのだと、ルコルにも分かるようになってきていた。
綺麗事だけでは、王宮筆頭魔導士は務まらない。
クリーンとは言えない手段を用いなければならないこともあれば、憎まれ役を買って出なければならないこともある。
必要と判断すれば、汚れ仕事も厭わない。
けれども、悪意をもってそれを行うことはない。
だから、ノノ的に表現するならば、空気は澱んでいない。
エフェとはそういう人なのだ。
ルコルはそう信じる。
だから、ロクに何もできないルコルが口出しするべきではない。
もがき苦しみながら気を失った占い師が拘束される。
拘束具がつけ終わるのを見届けた後、ルコルがそろりと占い師に近づき呼吸を確認してみると、占い師は穏やかに息をしていた。
思惑を確認するためにも命までは取らないはずだと思ってはいたが、ほんの少しだけ心配だったので、正直ホッとする。
「おねえさま~!」
ノノが、元気よく手を振りながら、こちらに走ってくる姿が見える。
エフェは、何も言わずルコルの肩をポンと叩き、にこりと笑う。
(ほら、信じても大丈夫だった)
ルコルはやっと、肩の力を抜いてもいいのだと思うことができた。
そして、信じたいと願ったエフェとノノが、言葉のとおり信じ続けさせてくれることの尊さをしみじみと感じ、そんな奇跡に巡り合えたことに心から感謝するのだった。