10. ここにいたい
待望の本物の聖女の出現に、国王や王子は歓喜にむせび泣いているらしいのだが、当の聖女は頑として王宮に来ようとはしないそうだ。
いきなり国王や王子が仰々しく押しかけても、聖女に悪い意味でプレッシャーを与えるだけのように思われたため、とりあえず魔法方面の総責任者であるエフェが神殿に出向くことになったとかで、いつの間にやら聖女と面会して来たらしい。
「ルコルさん、大変申し訳ないのですが、明日、私とご同行いただけますか?」
「?どこに…?」
「聖女のところにです。」
「え」
聖女と会ってしまったら、少なくともルコルが聖属性の魔力を持っていないことがバレてしまう。闇属性とまではわからないにしても、聖女っぽい扱いを受けてしまっているルコルは、無罪放免というわけにはいかないのではないだろうか。
結局エフェも、本物の聖女の人柄に問題がないのであれば、ルコルのことを犠牲にするのも やぶさかではないということなのか。
呆然と佇むルコルの脳裏をよぎったのは、『これから自分はどうなってしまうのか』という不安や恐れではなく、『エフェがそんな風に思っているなんて信じたくない』という、願いにも似た思いだった。
そして、ルコルは気づいてしまったのだ。
闇属性のルコルを嫌悪する気配もなく、あくまで普通に接してくれているエフェに、いつの間にかすっかり心を開いていたのだと。
エフェはルコルを見捨てたりしないんじゃないかと、思いはじめていたのだと。
自分でも気づいていなかった心の変化と、想像以上のダメージに動揺し、声を発することもできずに項垂れるルコルを宥めるように、エフェは穏やかに告げる。
「誤解なさらないでください。あなたの安全は必ず守ります。
聖女だろうが司祭だろうが私にかかれば瞬殺なので、ご安心ください。」
安心できる要素はどこにもないような気がするが、エフェがルコルを犠牲にしようとしているわけではないということは察せられたので、ルコルは僅かに顔を上げる。
エフェは、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべ、真っ直ぐにルコルを見つめている。
「実際に会ってみてわかったことですが、聖女は相当に人を選んでいます。
あの聖女の 人間の評価基準は、私と同じもののように感じるんです。
だから、ルコルさんへ抱く感情が、悪いもののはずがありません。」
それは、エフェが、ルコルに対して良い感情を抱いていると言っているようなものであり、ルコルは、さっきまでの暗く沈んだ気持ちが嘘のように浮上していくのを感じた。
エフェから悪く思われたら悲しいし、良く思って貰えたなら嬉しい。
欲張りかもしれないけれど、できることなら手放したくないものができてしまったのだと、ルコルは自覚する。
(もし聖女さまが受け入れてくれるなら、わたし、ここにいたい…)
ルコルにはもう、ここは何処よりも尊い場所になっていた。
ならば、逃げているわけにはいかない。
ルコルは意を決して、聖女に会いに行くことにしたのだった。
神殿の一室で保護されているという聖女。
人を選ぶということだし、失礼があってもいけないので、まずはエフェが先に言葉を交わしてから、ルコルを招き入れることになった。
ノックをしてエフェが入室すると、中から、可愛らしい女の子の声が聞こえてきた。
「あ~エフェだぁ。助かったあ。
エフェがいれば大丈夫なんですよね?皆さんは退室して貰えませんか?
空気が澱んで息苦しいんです。窒息しそうなんです。」
はっきりと自分の気持ちを伝える聖女さま。
まだ六歳のはずなのに しっかりしたお嬢さんなんだなとルコルは感心していた。
護衛も兼ねて聖女の近くに控えていたらしい数人の司祭たちが、部屋から出て来る。識別不能の膨大な魔力を滲ませるルコルに気づいてぎょっとするものの、ルコルが「火属性だ」と告げると、納得したかのように去って行った。
余談だが、この神殿に火属性の司祭はいない。
ルコルは、属性が複数であっても各々はっきり識別できるが、司祭たちはルコルの属性が二つあることに気づいた様子がない。
エフェもルコルと同じように個別に識別できていることから、自分が複数属性保有しているかどうかで、相手の属性を個別に識別できるか否かも変わってくるものなのかもしれないなあ、なんて、ルコルはぼんやり考えていた。
「神殿って、もっと神聖な場所かと思ってたのに、
どいつもこいつも周りの空気が澱んでて、気分が悪くなるんだよね。
エフェは、オーラは黒いけど空気は澱んでないから、息ができて助かる。」
(オーラ?澱んだ空気??)
聖女の言葉は抽象的だったが、エフェのことは悪く思っていないことが伝わってくる。『黒い』とかいうワードは混ざっていたが、エフェがクリーンじゃないことはルコルも知っているので、そういう部分のことを指すのだろう。
「聖女と認められたノノさんは、聖女を欲する諸々から狙われたりしますので、
今までのように田舎でのんびり暮らして行くことは難しくなります。
王宮か神殿に保護されることになりますが、
ノノさんが力を発揮できない環境に置いてしまっては元も子もありません。
ということで、ご紹介したい人がいるんですが。」
「紹介したい人?」
「ええ。ルコルさん、どうぞ」
声がかかったのを受けて、ルコルは少し緊張しながら、そ~っと顔をのぞかせた。
「あの…失礼します」
「っ!!」
すると、聖女は目を丸くしながら息をのんだ。
春の日差しのような温かい魔力。間違いなく聖属性。
まだ幼い、あどけなさの残る顔の中に、しっかりとした意思の籠った瞳。
彼女が本物の聖女さま。
ルコルを見るなり固まってしまった様子から、闇属性を感じ取ってしまっただろうか、怯えさせてしまっただろうかと不安になってきたとき、
突然、聖女が喜色のこもった叫びを上げた。
「おねえさま!!」
「へ?」
聖女はルコルに走り寄ると がしっと抱き着き、瞳をきらきらと輝かせながらルコルを見上げた。
「なんて清らかな空気!!おねえさまは聖女ですか?聖女ですね!?
あたしノノって言います!一生お側に置いてください!!」
「はい??」
ノノは、そのままルコルにへばりついて離れず、
ルコルは呆気にとられたまま困惑することしかできなかった。
その様子に、エフェは満足したかのように頷き、穏やかに微笑んでいたのだった。