事実と物語
「非凡の物が平凡の形に具現化されると、それはそれで固有の「型物理性」の質量を持ってるから」
「まったくその通りですが、もっとわかりやすい言葉で喋りましょう」
「そうだな」
まあ、「物語」と「本当の驚異」は似て非なるものだという事だ。
この物語の読者さんには「白神女」とい人物が実際に永生して、どの国にも、どの民族の記録にも、どの公式文書にも残ってるのが自然すぎて
「何年何月何日、「白神女」と自称するものが白い牛と共に現れて、呪術を施す対価としてものを交換した」とか、記録が残ってるので、教科書にも載ってるだろう。国に取っては、テストにも出るだろう。(だから、「白神女の肉を食べて、そのちからを得よう」とかバカな考えをするバカが現れないのだ。本当に普通にいて、ずっとその記録が残るほどの古の歴史から、彼女以外は!!誰も永生した人は一人も伝わってない。今の社会に本人が残ってない。登場しない)
そんな普通の読者さんが見たら
なんで?なんでこのステラ・ロサというものは誰もが知ってる当然のことをこんなに長く述べようとするのか、という疑問も生じるだろう。
でも、もしこの話がすごく長く残っていて、その間、白神女の無限だと思った寿命が尽きるとか、そんなこともあるかも知れないし、逆に、「賢者の国」みたいに、「狼の星」みたいに他の世界にもこの物語が翻訳されて読まれるかも知れないから、非凡さを持ってるものはちゃんとその社会の知識がない読者のために、誰もが楽しめるように説明をした方がいいと思った。
これは、今ブイオ様が言った「英雄」が(兵士の国の永生を得たという)今の社会に現れないのを見ると、なおそうだ。
実際に社会と歴史がちぎられていると、それはあとの人はわからないから。
その人が本当に平凡の体で永生さを手に入れたか、非凡のエーテルのちからで維持しているか、物語を読む読者はわからないから。
「まあ、つまり、わたしみたいなものと違って、結局「白神女」は平凡の人の身で無限に生きる特性をもってるのでしょう」
「わたくしもそう考えるのが合理的だと思うのだ。今のわたくしとおまえみたいに、その「永生」を維持してくれる仕組みが無い限りな」
「その「神獣」がお牛さんに化けたぶにゅぶにゅの神様という仮説はどうですか?」
「わたくしは平凡の人の社会はあまり知らぬが、それが広場で焼かれて同然の発想という事はわかる」
「まあ、そうですね。やめます、そんなバカげた考えは」
もともと歴史も物語も何かがある、あったという前提がないと何もかもが台無しだ。信じる基がない。
そして、常識とか、言語とか、コツとか、古代魔術とかは、すべて、言葉の職人たちが頑張って作ったものだ。時代の土方たちが築いたものだ。
わたしがブイオ様に「他の世界の神」とか面妖なことを聞いたって、そんな話一つ二つに惑わされて、しかも言った本人もそんな意図は無かったものを自分が勝手に考えこんで、この世界の根本を台無しにすることは良くないことだ。
まあ、とりあえず、そんな世界に生まれたのは仕方ない事だから。
その時間を歩みながら、前の人を丁寧に、後の人に優しいことはいいことなのだ。




