でも本当に魔術という言葉は微妙だろう
考えてみれば古代魔術が古代魔術だという事は、大したことではなかった。
「あの子」が学んだ時に、「賢者の国」がその時点でめちゃくちゃ古い国だったことでいいじゃないか。もちろん、それが「賢者の国の歴史的な意味」に入ると凄く複雑なことになるだろうけど、わたしは物語を好むけど、それは有用なこと、考えるべきことが済んだあとのこと。リアリストのドルイドさんだ。
まあ、そんなことは今はどうでもよかったので、「それがドルイドの術として今残っているという現実」の方が、わたしの術を伸ばすとか、強くするとかにはもっと大事だ。有用な方の物語だ。
わたしは手品を続く。
「花びら」の遊びだ。エーテルの操作は、これからもっと上手くなるだろう。
「歴史的な意味」が複雑なことになるのは何となくわかる。わたしがリアリストなだけで、それは根元で、名前の器で、矜持であるのだ。だからだ。だから、その「賢者の国のことに集中すること」は逆に、寧ろ、有用性を考えると今のわたしに喜ばしくないところもあるのね。
何故なら自分はその国から来ている古のチート知識をいくつか持っているドルイドで、その中では、直接的に、間接的に必ず社会的に不穏なやつもあるのだから。今の社会には、今の社会の歴史的な意味が、今の人たちの矜持がある。そこに「いや、わたしが知ってる国がもっと古いんで」とか言っちゃって、自分にあまり利得がなくて、聞く人の自分が悪くなるだけだ。「という夢を見たんだよね」で済んだ方がいい。
そして、わたしはとりあえず隠すことが下手で。知識は有効に使うとしても、そういう知識の元に集中すると、喋る話題とかで他の人にも必ず怪しい点が見える。聞こえる。そして、もともとそれは「悪魔が得た知識」なのだ。
悪魔との混ざりと言うのはいうまでもない常識だけど、あれだ。広場で焼かれて同然なのだ。(母はそういう話題が大好きだった。父はそんなに好まなかったけど合わせたと思うね)
それはもちろんのことで、しかも、立場によるけど、怪しい知識を主張するやつは、それ自体がやばい奴にされると聞く。厳しい世の中なのだ。
これはたぶん古も同じで、現代の社会はもちろん、これからこの世界がどんな未来に行こうとしても似たようなもんだと思うんだ。人の性質がそうなのだ。
うん、自分の知識も、他の人にそんなに喋ったりすると良くないかもしれない。有用だけど人見知りのドルイドちゃんの立場、距離感は大事なのだ。
もうエンブリオという少年に色々怪しい言葉を言っちゃったかも知れないけれど、もう過ぎたことは仕方ない。これからは注意しましょう。
そして広場で焼かれることとかを心配してもあまりにも鬱でよくないと思うから、少年の話になるが、彼が熱心に言ってた言葉を材料として、自分の術のことを考えることにした。彼は確かに「元素魔術とドルイドの術はエーテルの仕組みが同じ」という言葉を言ったんだけど。
考えてみれば妙だね。
違う専門は違う。同じエーテルの魔力仕事だとしても、平凡のお仕事と言えば「狩り人の知識」と「漁師の知識」と「兵士の知識」みたいに違うものなんだぞ。「良く食べて体を備えて力を使うのは大事だ」とか「前の優れた人の知識をちゃんと学んで使うこと」などはもちろん同じだろうけど、そういう基本以外は何かの動作も構えも、道具も、過程も全部違うはずだ。
でも、魔術と呪術は、「内側と周りのエーテルを使って、属性に合うやつの強弱を触る」という仕組みが本当に同じなんだ。触れるエーテルの属性が違う、環境で利用できる触媒の種類が違うだけだ。
少年に「魔術という言葉は、この社会で別に問題ないのか」とか弄って言ったけれど、平凡が見ると怪しい術なんだよ。
まあ、でもそれは国に属してないドルイドの皆様とは違って、魔術師はちゃんとした魔術ギルドという国際で有効な機関を作っていて、教育も大単位にされてるらしいし、その中で大事に出る「火」の魔術師とか育成したりするらしいから、けっこう偉い人々だ。確かにそんな有用な輩が、珍しいものが集まって面妖な術を使おうとしても、社会の構成員として利得になると、偉い人の話を聞くと、コントロールできる範囲内で動くとそれは問題ないか。
世界の人々は大体許せる範囲の中だと、実用主義なのだ。




