かわいくて凛々しい事
そこはフィレンツェ
の
とある平凡の海の里の海岸
魔法も理系もあまり関係なく、たぶん魚を取って生活して売るところだ。
もちろんわたしがこの郷について知ってるのはそれしかないので、実は海産物を売るお仕事がメインになって生活は取引したもので解決しているかもしれない。そこはわたしがわかる術がなかった。
遠い町は明かりが見える場所もあって、うむ、贅沢だな、とわたしは思った。
まだ「深紅の悪魔」から助けた兄ちゃんは来ない。
「遅くないか?」
「いや、人の子がみんなブイオさまみたいに早い訳がないんで」
狼はせっかちなせいかくであった。
わたしは狼の胴体に座って無を眺めている。
つまり、ずっと海を見る。
街を除いて、黒が三つ
①わからない流動の闇と、②硬くて馴染んでる黒と、③空いたところ
正解:夜の海と暗闇の土と、いつもの星空だ。
うみの上に広がっている星空は岩と樹木に削られる夜空とはまた違う味があって
うむ、はじめて見る形だな、とか思った。
そう、形だけがちょっとちがう。
昨年の流れ星は流石に珍しいものの、普通の星空だ。冬だからちょっと鮮明な気がするけど、雪の影響かも知れない。
この様な空の形は、時がどんなに過ぎても変わらないのではないか?
わたしが助けたお兄ちゃんが代々次にお仕事をやって、「賢者の国」と「兵士の国」といま現代のフィレンツェの生活がちがうように、社会の形が変わってきても、流されて、また滅んだ上で新しい町が経っても、夜空はずっと同じではないだろうか。
そんなことを考えながら
「星化」以来に視力が凄く上がっているわたしは
綺麗だな、と思った。
やはり赤星という名前を貰ってよかった。
気に入ってる。
「そう言えば、なんで、「可愛い娘」のイメージが大事なんだ?」
黒という名前で呼んでいる狼さまが、「そう言えば」作戦で話を戻した。
その手には一生乗るぞ。
「ああ、それですか。なんもないです。ただ「可愛い子の話はよく聞く」だけのことです」
「それだけのことか」
「はい。わたしが子供の頃から聞いた物語の2代価値は、「かわいい事」「凛々しい事」この二つなんだけど
大体「神秘のアイテムを求める娘が縁があって旅を完走するー」
これは御伽噺には熟してる専門家であるわたしが考えるには
もともと「白神女」という実例があるから、そしてその人みたいに人間が古から生きるとかできないから、大人の主人公は薄くなるしかない。
仕方なく話者を、主人公を子供に変えて作られた話だと分析してますね。人はみんな偉くなりたいから、ならその次に気持ちいい事がなにか、子供が可愛くて愛嬌があって、無視されず人が良く話を聞いてくれるという属性ですね。これは個人の価値観とも違う、社会的にそうだと良く言われる。だから物語を作る人も、聞く人も、仕方なくその雰囲気に従って、みんなが好む」
「これそんな話だった?」
「だから可愛さ。そして「少年」も好きな騎士物語。わたしはそんな好まないけれど、ここから学べるのが「凛々しさ」「人の前に立つ勇敢なところ」も甚大に思われる。わたしはステラ・ロサという形でこの両方を同時に取っていきたいという、そういうことです。」
つまるところ、わたしが考えるには「だいたいの女の子話者の物語」というのは個人の自己肯定と、日常生活に有効な学び、そして「わー最高www」という満足感を与えることが非常に大事で、その素材として我らは過去の行いから自由ではないから、めちゃくちゃ有名な「白神女」が名前と形を変えてすっげえかわいい主人公の物語として変奏されるということだった。わたしの説なだけだけど。
「奇妙だ」
狼さまはどんな話であるかはわかったようだった。
でも理解はできなかったようだった。狼の体のお星さまには同然だった。
「もともと人という存在にそんな仕組みがあるかも知れないのですが。とりあえずわたしが知るに、今の社会で「白神女を連想する御伽噺的な可愛いイメージを裏切る事」は、凄く抵抗感が生じることで、まあ、わたしはそのイメージに100%頼るつもりですね」
もともと似たようなものを以前も話した気分になるけど、少し整理ができた気分だった。
わたしは星座を見て、
見てもなにがなんの星座か全然わからない星々を見ながら思った。
作家はごく最近まで「凛々しい」が可愛らしいの一種の表現だと思ったので書いたエピソードです。




