まっすぐなら良いのに
「自然哲学は、文字通り自然を考えて、世界の様々なものが何でどう動くかを悩んだ学文だ。今から1,800年くらい前のおじさんたちが頑張って作り出したものだ。そしてわたくしのお仕事にはそれが使われる。エーテルの技は一時的だから、わたくしはエーテルの技術の方は仕事中には臨機応変に使うだけだ」
「使ってないんだ」
「自分のチカラを発揮すると、船も家も作れるんだ。だけど、それは術が終わると崩れるものだから。「設計図通り」は利便だぞ」
「設計図通り」
「そう。他の人も作業ができて、魔術や闘技みたいに、「目的性に合うから、エーテルの素材だけあると…まあ、なんとかなるさ」みたいな適当なものではなくて、重さや固さなどを気にした、ちゃんと柱を立て、基盤を整え、丁寧に作った結果だから…長く保つのだよ」
その建物ももちろん永遠ではないけれど。マギアの刹那さに比べると凄く持つのだ。
「うん。ウチはそれがいいんだ」
「そか」
そしてリソはそろそろ眠いので、寝落ち直前、こんな話を残すのだ。
「もともと…その数学の人の方法でエーテルの技を使えばいいんじゃ…ないの?その。1+1が2になるのと同じく…2進法では10になるのと…同じく。真理が二つあるのはおかしい…から。」
10歳のこどもは眠りに落ちたのである。
「エーテルのチカラを平凡の技術の様にに使うか」
「むにゃ」
そして、もちろんわたくしはその言葉をずっと思うことになったのだ。
まだ考察の素材が足りない気がする。整理するか。
いったん、今の現代社会のマギアではわたくしの「木」と「金」のチカラは認められてない。四属性が根本だからだ。(最初はたぶんギリシャからの学びだったと思う)ただ、薬師…先の人みたいな人と、鍛冶みたいな人が年々仕事を続くと、自然に心と体に「木」や「金」などのチカラが付いていくことはぎり認められている。
ドルイドの呪術…が「木のマギア」ではあるが。それは、実際に元素魔術の原点である。でも、今は劣る。古い。そして、別にその他の術は、魔術や闘技として認められていないのだ。
そう。人の子による「金属性の魔術」などは元々ないのだ。「鋼みたいな固いものが、エーテルのチカラで動くはずがないだろう」などが平凡の術に考えられてない根本的な理由かも知れない。
鋼みたいな体を持たないからな。
それで結論だが。もともとこの「マギア」は、目的性と物語性を持って放つもので、「設計図通り」に家具や家やお城や武具や船などを作る過程とはぜんぜん違う。でも、そんな「設計図の様にマギアを使う」のが彼女の言葉だ。
そのなぞなぞの概念自体が一体どういう意味なのかすらも、ぜんぜんわからなかった。
「目的性なしにエーテルが動くとしたら?」
うむ。まだ遠い気がするけど。そんな方向かな。
たぶん、このようなキーワードの浮かびだけで、アイデアになるだろう。
これまで何回もそうだったし、わたくしは結論が出せないには今までの「学」を積み過ぎた。
外から夜行性の鳥の音がして、
時間はもう完全に夜だ。
明日は明日の出来事があるだろう。
午後のステラという人には最近の自分がめっちゃ暇だと、自慢みたいに言ったけれど、わたくしは人脈が広くて、ここはフィレンツェだ。いつどんな〆切が飛んでくるかわからないのがこの業界だ。寝なきゃ。
わたくしは結局、何千年も忘れていない「ピカピカ」の白虎という神様を今夜も思いながら、
眼鏡を外して寝る準備をした。




