イリーナの不安
早朝、朝日が昇り空が白む。
イリーナはジルの胸の中で眠り込んでいる。
「皇女殿下……宮殿が近付いてきました」
ジルがイリーナを揺すり起こす。
ジルの声に、イリーナはゆっくりと目を開ける。
「!?」
目の前の光景に目を見開く。
(あれが宮殿……!)
王都の中心に建てられた、巨大な宮殿。
豪奢に装飾のなされた、荘厳で堂々たる佇まい。
だがそこには品格があり、その由緒正しさは言わずもがな分かる。
宮殿のゲート前の守衛たちは、ジルとイリーナの姿を見て驚愕する。
「なぜ返り血のついた外套を羽織った寝巻き姿の皇女(しかも土まみれで汚れている)が馬車にも乗らずに神父と馬に二人乗りで宮殿に乗り込んできてんだ」と言いたいのであろう。
「皇女殿下の乗っていた馬車が賊に襲われた。自分が代わりにここまで」
事情を聞いた守衛たちは慌てて宮殿内に駆けてゆく。
間も無く、宮殿の臣下や女官たちが押し寄せ、イリーナはジルに別れを言う間も無く馬から引き摺り下ろされる。
宮殿内の豪華な部屋に通されたかと思えば、女官たちに着ていた衣服を剥ぎ取られ、身体を隅々まで洗われ、メイクとヘアセットを施され、気づいたらドレスまで着せられていた。
一瞬の出来事だった。
「……?????」
困惑するイリーナを尻目に、仕事を終えた女官たちは次々と部屋を出て行く。
唯一残った女官が、
「皇帝陛下の葬礼は1週間後でございます。それまでイリーナ様はこちらの部屋でお過ごしいただくよう、お願い申し上げます」
「ご用の際は何なりとお申し付けください」
それだけ言うと、ドアの前に背を向けて立ち、待機の状態となる。
これは軟禁状態というやつだろうか。
イリーナが着せられたのは、皇帝の喪中ということもあり、漆黒のドレスだった。
漆黒のドレスと言えども、ドレスには同色の豪華なフリルとレースがあしらわれており、スカートはオーガンジーが何重にも重ねられ、さらにパニエによってボリュームをアップさせた『まさに皇女』といった具合の豪華仕様だった。
おまけにコルセットをきつく締め上げられ、とにかく苦しく動きづらい。
待機状態の女官はまるで人形のように無表情で身動きの一つも取らず「もっと楽な服装に着替えさせてもらえませんか」とは言えない雰囲気。
イリーナは小さくため息を吐き、手近な椅子に腰をかける。
スカートの生地が何重にも重なっているおかげで、ただの椅子なのにクッションを置いたかのように臀部が柔らかい。
(ティアは大丈夫だろうか……)
昨晩のことを思い返す。
これまでの人生で味わったことのない恐怖や、ジルの告白……
亡くなった人たちは一体何人だろうか。
記憶を辿って数えようとして、イリーナは項垂れる。
(どうして私は眠れたんだろう……)
かつての自分__『佐藤梨奈』は『命は尊いもの、簡単に失われてはいけないもの』という倫理観が当たり前に存在する異世界にいた。
だが昨晩は、悪人も、悪人でない人も、いとも簡単に命を奪い奪われ、異世界から持ち込んできた倫理観を真っ向から否定された。
その際たるものが、ジルだった。
冷たい瞳で、盗賊たちを次々と斬り殺していく姿は、自分の知っている『物静かで、出されたお菓子は黙々と食べる神父のジル』ではなかった。
自分が今まで見ていたのは、彼の一面に過ぎなかった……という話に過ぎないのだが、
それでも彼のことを恐ろしい、などとは米粒ほども感じられずにいた。
むしろ昨晩は彼の存在に感謝し、安堵し、ずっとこの時間が続けばいいとすら思っていた。
自分もこの世界の倫理観に染まっているのだろうか。
(ジルともっと話したかった……)
眠ってしまった上に、目が覚めた後も彼と会話もまともにできないまま宮殿に軟禁となってしまい、外部との連絡は難しそうだ。
従うべき人間へ裏切り行為をしたジルは、これからどんな目に遭ってしまうのか。
(私に何かできることはないだろうか)
昨晩は死を恐れていたが、よく考えたら自分は大型トラックに轢かれて一度死んだ身だった。
今更死を恐れてどうする。
イリーナは自分を奮い立たせる。
ジルともう一度会いたい。彼が危険に晒されるのなら尚更。
この部屋の監視はドアの前にいる女官一人だけ、幸いなことに部屋は2階にあるため、窓から脱出することも不可能ではなさそうだ。
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