ジルの告白
ホロミア塔へアリフレート皇帝の死の報せが届いたのは、半夜を越える頃だった。
宮殿からの使者に叩き起こされ、イリーナがそれを聞かされたとき、なんとも言えない居心地の悪さと申し訳なさに苛まれた。
この国の皇帝__即ちイリーナの父親が亡くなった。
こんなとき本物の娘だったら悲しんだり、呆然とするのだろう。
だが、今のイリーナにとっては一度も会ったことのない、顔も知らない人間だ。
もちろん、誰かの家族が亡くなるのは心が傷むことだが……
どうやら皇帝の遺言で、葬儀にはイリーナも参列することになっているらしい。
使者たちの仕事は淡々としていた。
あれよあれよと言う間にイリーナは塔の最上階から引き摺り出され、寝間着姿のまま馬車に押し込められた。
馬車の中にはすでにティアがいた。
ティアも寝間着姿ではあるものの、毛布を頭まですっぽりと被って震えている。
「ティア!」
「イリーナ様! 皇帝陛下が……おいたわしいことでございます……」
季節は冬の終わりとは言え、夜はやはり冷え込む。
ティアが被っていた毛布をイリーナにもかけてくれる。
「ありがとう……」
それにしても、仮にも皇女に対してこんな扱いをするとは、塔の中とは大違いだ。
(ここから目的地までどれくらいかかるんだろう、それに王都についたらいったいどうすればいいの……)
イリーナの頭の中をぐるぐると不安が駆け巡る。
その不安を感じ取ってか、ティアが声をかける。
「イリーナ様、早朝には王都に着きます。
イリーナ様は皇女様です、きっとひどい扱いはされないはずです……」
イリーナとティアを乗せた馬車の前には宮殿からの使者たちを乗せたもう一台の馬車。馬車の前後には2人一組ずつ、馬に乗り帯刀した男が先導・追尾している。
馬車が森の中へ入り、川沿いの細い道を走る。
そこで、馬車が激しく揺れた。
「!?」
最初は何かにぶつかったのかと思った。
だが外から聞こえるのは男たちの怒号と叫び声。
馬が驚いているのか、馬車が不安定に揺れ続けている。
窓からなんとか外の様子を伺おうとすると、馬車は突然横転し、イリーナとティアは馬車の壁に叩きつけられた。
叫び声を上げることも、身体の痛みに悶える間も無く、馬車の扉がこじ開けられ、イリーナとティアは外へ引き摺り出される。
「おっ、かわい子ちゃんたちじゃねえか」
20人前後だろうか。
汚れた身なりの、武装をした男たち。
「ひっ……」
馬丁や護衛の男たちは血を流して倒れており、辺りは血の海と化している。
イリーナたちを乗せた馬車は野盗に襲われてしまったのだ。
あまりにも現実離れした惨状に、イリーナとティアは震え上がる。
「これが噂の極悪皇女様か、こりゃすげぇ別嬪さんだなぁ」
野盗の中の、一番体格が良いリーダー格と見られる男がイリーナの顎を掴み上げ、まじまじと顔を見つめる。
(この男……私がイリーナであることを知っている……!?)
男は真っ黒に変色した歯を剥き出しにして、ニタニタといやらしく笑う。
「皇女様ってことはもちろん処女だよな!まさかお姫様とヤレるなんて最高だぜ!」
「今晩は楽しくなるぞ!」
「俺はこっちの子をいただくぜ」
「きゃぁっ!」
ティアは野党の1人に羽交締めにされ、必死で抵抗をしている。
「や、やめなさい! その子は関係ないでしょ!」
イリーナは声を絞り出す。
声は無様に裏返り、身体の震えは止まらない。
怖かった。
しかしティアがひどい目に遭うのを見過ごすこともできない。
「なんだぁ? お姫様1人で俺たちの相手してくれんのかぁ?」
「そりゃ傑作だ! お姫様がセックスしてるところを特等席で見せてやろうぜ!」
地獄だ。
ついにイリーナも両腕を掴まれ、地面に押し付けられる。
叫んで暴れようにも、猿轡を嵌められ、四肢の自由を奪われてまったく歯が立たない。
おそらく全て終わった後は、口封じに自分たちも……
(塔に帰りたい……)
そう思った刹那、
黒い影が視界を遮る。
次の瞬間には自分を羽交締めにしていた男たちは血を流して倒れていた。
黒い僧服に、黒い外套を着た、長い白髪の青年。
紫水晶の瞳は鋭く、冷たい。
(ジル……!?)
ジルがサーベルを片手に野盗たちに立ち向かってゆく。
一つとして無駄のない動きだった。
野盗たちの攻撃を躱しながらサーベルを振るい、1人ずつ、あるいは複数人をまとめて、情けも容赦もなく確実に斬りはらってゆく。
その強さに恐れ慄き、逃げ出す者すらいた。
ジルは数分足らずで、しかもたった1人で、20人前後の野党たちを全員退けてしまった。
肩で息をして、目はギラギラと怪しく輝いている青年は、表情に乏しく、物静かな「いつものジル」ではなかった。
「遅れてすまない」
口調がいつもと違う。
ジルがへたり込むイリーナの前に跪き、猿轡を解く。
「どうしてここに……?」
ジルが目を伏せる。
「……悪い予感がした」
「皇帝が死んだことはまだ公表されていない」
「だが、あなたが塔を出て王都へ向かっているという情報だけが意図的に流されていた」
「さっきの男たち、私のことを知っていた……」
あえてイリーナを狙って、彼らは襲撃をした。
誰かが自分を害するために裏で手引きをしている。
さまざまな恐怖が頭を駆け巡り、ずっと震えが止まらない。
ジルは着ていた外套をイリーナに羽織らせた。
「……また同じことが起こるかもしれない、早くここを離れよう」
横転した馬車2台のうち、1台はすでに破壊され、もう一台はかろうじて動く状態だった。
ジルは手際良く無事だったほうの馬車を引き起こし、恐怖でパニック状態になっている馬たちを落ち着かせる。
こちら側の生存者は私を含めても4人だけだった。
1人は死んだふりをしていたおかげで軽傷で済んだ宮殿からの使者。
もう1人は馬丁の男で、骨折をして重症ではあるものの命に別状はなさそうだった。
そして恐怖のあまり失神しているティア。
ジルは生き残った2人の手当てをし、使者の男に馬車で近くの集落へ行き、馬丁とティアを医者の元へ連れて行くよう指示する。
「しかし、私には皇女を宮殿へ連れて行くという職務が……」
使者の男が異議を唱える。
「たかが野盗相手に太刀打ちできないお前が?」
ジルの目は冷たい。
「ライ・カーン様の命令だ、皇女は私が王城まで連れて行く」
ジルがそう言うと、使者の男は何も言い返せず、大人しく御者台に登った。
(ん、待てよ)
この場にはジルの乗ってきた馬一頭しかいない。
一体どうやって私とジルは宮殿に向かうのだろうか。
そう思っていたのも束の間、ジルはイリーナを抱え上げる。
所謂、お姫様抱っこだった。
ジルは人をひとり抱えているのをものともせず、ひらりと馬に跨り、イリーナを横乗りで自分の前に座らせる。
体格差から、必然的にイリーナはジルの胸元に飛び込む形になり、ジルはイリーナを後ろから抱き締める形になる。
「窮屈ですが……数時間の間なので我慢してください」
いつものジルの話し方だった。
緊急事態なのはわかっているが、それでも胸はバクバクと激しく鼓動した。
イリーナは必死でそれを抑え隠す。
馬が走り出す。
ジルの胸の中で、イリーナは彼の心臓の鼓動を聞いていた。
(心臓の音……安心する……)
先程までの恐ろしい出来事の数々と目を覆いたくなるような惨状、そして犠牲となった人たち……脳が麻痺しているのか、どれも現実味がなく、全て幻だったのではないかとさえ思えてくる。
だが、ジルがいなければ自分も犠牲者の1人となっていたのは間違いなかった。
「ジル……助けてくれてありがとう……」
ジルからの返事はない。
「ねぇ、」
イリーナは続ける。
「私だけジルって呼んでるの、不公平だと思うの、
だから、これからは私のことも名前で呼んでほしい……」
今は関係のない話。
だが、どうしても今言わなければいけない気がした。
少しの沈黙の後、ジルは口を開く。
「私が怖くないのですか?」
ジルからの問いかけ。
「あなたの目の前で人を殺した……それも一人、二人ではない」
初めて会った時のような、抑揚のない話し方。
どうしてジルはそんなことを言い出すのか。
「でもそれは、私たちを助けるために……」
ジルはイリーナの言葉を遮る。
「私はすでに多くの命を手にかけています。数十人……いや、数百人かもしれない……」
「本来、私の役割はここへ来てあなたを助けることではありません」
「私の本来の仕事は、師であるライ・カーンにとって都合の悪い人間を消すこと」
「あなたが塔から出て王都へ向かっている、と情報を流した者が何者なのか……もはや言うまでもない」
イリーナは言葉に詰まった。
ジルは今、どんな顔をしてこの話をしているのか。
つまり、彼が今やっていることは、自分が仕えている人間への裏切りということではないのか。
彼はなぜそのような危険を冒しているのか。
いや、それを聞くのは野暮なのかもしれない。
「ジル、」
「今は、あなたの心臓の音が落ち着くの……」
そう言ってイリーナは目を瞑った。
それはジルに言っているようで、イリーナ自身が安心するための行動でもあった。
今自分達を取り巻いている現実はあまりにも過酷だった。
イリーナに転生してから、やっと安寧の日々を手に入れたと思っていた。
まさかこんなことになろうとは予想すらしていなかった。
これから一体どうなってしまうのか。
(ずっとこの時間が続けばいいのに……)
ジルの胸の中で、イリーナはそう願うしかなかった。
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