潜入
__ライ・カーンの寺院。
ジルは寺院に忍び込み、物陰から内部を確認する。
寺院の中は無人だった。
おそらく聖職者たちは皆、皇帝の葬儀の準備に駆り出されているのだろう。
寺院の地下へ向かうが、地下にも誰かがいる様子はない。
皇帝が亡くなった、という緊急を要する事態だが、寺院内にも地下にも誰もいないことなどあり得るのだろうか。
(こちらにとって好都合とは言え、警戒は怠れない……)
ライ・カーンの研究室の場所は知っている。
幼い頃に一度だけ忍び込んだことがあった。
だが『聖水』というものの存在は知らなかった。
おそらく教会関係者も『聖水』については知らない可能性が高い。
皇帝の病を緩和させるほど素晴らしいものなら、もっと知られていてもおかしくないはずだ。
研究室の前に辿り着いたジルは、鍵束から一本ずつ鍵を挿していく。
違う、違う、違う、違う……
あの時の自分は、どうやってこの部屋に入ったのだろうか。
コツ、コツ……
「!?」
地下通路の向こうから足音が徐々にこちらに近付いてくる。
隠れる場所はない。
ジルは平静を保ちながら、一つ一つ鍵を確かめる。
ここで焦ってはいけない。
ガチャッ、
部屋の鍵が見つかる。
音を立てないように急いで部屋の中に入り、気配を消す。
(この足音はナイルズか……)
自分と同じようにライ・カーンの下で働く神父の一人。
ライ・カーンがいない間の寺院の管理は彼に任されている。
鉢合わせたら厄介な相手であることは間違いない。
ジルは足音が遠ざかったのを確認すると、内側から鍵をかける。
部屋の中を見回す。
積み重ねられた書物と資料の数々、何種類もの見たことのない形をした植物、液体の入った何かの設備機器、檻に敷き詰められた鼠たち。
(これは一体……?)
部屋の中にあるものは全て怪しいものばかり。
この中から決定的な証拠を探さなければ。
ライ・カーンの書机に近付く。
彼の直筆であろう書類が何枚も置いてあり、壁にも何かが書かれた紙が貼られている。
ライ・カーンによって書かれている書類は、全てこの国の言語でないもので書かれており、見ただけでは内容が分からないようになっていた。
だが、ジルはこの言語に見覚えがあった。
(古代言語……?)
かつて栄え、今は滅びて存在しない文明の言語。
彼の名前『ジルカント』もまた、古代言語から取られたものだった。
ジルはすぐに本棚の中から辞書がないか探し始める。
辞書はすぐに見つかった。
彼は古代言語の辞書を以前にも探したことがあった。
手に取った本は、自分の名前の意味が書いてあった本と同じ本。
幼い自分がこの部屋に忍び込んだ時、それは自分の名前の意味を調べるためだった。
少しずつ彼自身の記憶が蘇る。
壁の一番目立つ位置に貼られている紙と、辞書を照らし合わせる。
『聖水』、『製造』、『成分』……思い当たる単語が次々と見つかる。
内容を解読していく。
単語の意味を抜き出していくことしかできないが、大まかな内容はわかった。
『幻覚作用のある植物と、毒を掛け合わせることで生成が可能』
『脳を麻痺させ一時的に精神・肉体共にリラックス状態にさせるが、だんだんと幻覚・幻聴が始まり、筋肉が常に弛緩状態となり、最後には脳が溶けてまともな思考力を失う』
ルイの言っていたアリフレート皇帝の状態と酷似している。
決定的な証拠だ。
この鼠たちは実験台か……
ジルは配合書と研究資料、そして辞書を懐へ入れる。
すぐにここを出て行かなければ。
この証拠と、この場所さえ告発されれば彼は言い逃れできない。
あとは脱出するだけ。
人の気配を確認し、部屋を出ていく。
地下を脱出し、寺院を出ようとしたところで、
「ジルカント、よく寺院まで来れたな」
「!?」
20代半ば程度の、短く切り揃えられた黒髪の男。
眼鏡をかけており、服装はジルと同じ僧服。
先ほどの足音の主、寺院の管理を任されているナイルズだ。
「いつから気付いていた……?」
「とんでもない、お前なら来ると信じていただけだよ」
思い出した。
あの日の自分は、このナイルズに唆されて、研究室の鍵を盗んだのだ。
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