危機
ジルカントがイリーナ皇女を盗賊たちから救い、宮殿まで連れてきた。
この話は一瞬でライ・カーンの耳にも届いていた。
イリーナの元に駆け付けた宮殿の臣下たちの1人が「ライ・カーン様が宮殿内でお待ちです」と去り際に一言残していく。
ジルは逆らうそぶりを見せず、ライ・カーンの部屋へ向かった。
「ジルカント、勝手なことをしてくれたな」
入室後、最初の一言。
「……皇女は反乱分子にはなり得ず、殺す必要がないとされておりました。
もしも皇女が偶然出くわした賊徒たちに害された場合、疑われるのは先生、あなたです。
それを防ぐのも私の役割だと考えました」
ライ・カーンがドアの鍵を閉める。
「邪魔者に最大限の屈辱を与えて、簡単に消すことのできるチャンスだったんだぞ……?」
わかってはいたが、本人の口から直接聞けるとは思わなかった。
イリーナ自身が反乱を起こさなかったとしても、彼女を中心に再び反乱が起こる可能性はある。
全ての罪を皇女イリーナが被り、ホロミア塔に幽閉される形でルイ皇太子とイリーナ皇女の争いは沈静化された。
そのため、イリーナを支持する貴族たちは今も健在であり、彼らが王都へ戻ってきたイリーナを再び担ぎ上げ、ルイ皇太子を取り除こうとする可能性も0ではない。
ライ・カーンはそれを恐れてイリーナをあえて危険に晒したのだろう。
実際に、あの時ジルが現れなければ彼女は……
ジルは目の前の大男の顔を見られずにいた。
「汚れきった孤児だったお前を拾って、育ててもらった恩を忘れたのか?」
自分は間も無くこの男に消されるのだろう。
今まで何人もの人間の処刑を命令してきた男だ、自分一人の処理など大したことではないだろう。
この男自身が手を下すのか、彼の部下たちが現れるのか、
どちらにせよ逃げようと思えば逃げられる。
だが、そこまでして生きたいとも思っていない。
しかし、これからイリーナはどうなるのだろうか。
自分が他人のことを考えるほど余裕があることに逆に可笑しさすら感じてしまう。
諦めにも近い感情だった。
「だがなジル、私はお前を許したい」
ライ・カーンの言葉は意外なものだった。
「お前は皇女に毎週のように菓子の施しを受けて、二人で茶を飲んでいたらしいな」
ライ・カーンはジルに背を向けて、カチャカチャと何やら準備している。
「ジル、私ともそうしてみないか?」
テーブルの上に用意された、二つのお茶と茶菓子。
ライ・カーンは席に着き、
「座ってくれ、二人で茶を飲もう」
ライ・カーンに勧められ、ジルも席に着く。
「私が独自に調合した薬草茶だ」
ライ・カーンが薬草茶を手に取り、飲む。
ジルもそれを手に取る。
毒らしき臭いもなく、使っている薬草もよく知られているもので、違和感は感じられない。
目の前の飲み物の毒の有無を確認するのは、長年にわたって培われた癖だった。
そもそも毒に耐性のあるジルを殺せるほどの毒を入れる場合、もうそれはお茶ではなく、ただの毒の原液になるのだが。
ジルはお茶を飲もうと、口元に近付ける。
ドアを激しく何度もノックする音と、必死に叫ぶ声によって、ジルはその手を止めた。
「ライ・カーン! 僕だよ! お願い今すぐドアを開けて!」
ライ・カーンは小さく舌打ちをすると、席を立ち上がりドアの鍵を開ける。
ドアの鍵が開くや否や、12歳前後の、喪服姿の美少年がライ・カーンに抱き付く。
ライ・カーンの強力な武器であり、同時に一番の弱点。
この国の皇太子であり、イリーナの弟……
「ルイ皇太子、一体どうされたのですか?」
抱き付かれた衝撃でライ・カーンは後方へふらつき、ルイを部屋に入れてしまう形となる。
ルイは走ってきたのか、肩を上下させている。
短く切り揃えられたプラチナブロンドの髪に、大きく丸みを帯びたアクアマリン色の瞳。
その顔立ちはイリーナによく似ているが、イリーナよりも顔立ちの印象が柔らかく、どこか自信なさげな弱々しい態度と雰囲気から、彼がどのような人間なのかはすぐに伺い知れた。
ルイは泣きそうな声でライ・カーンに懇願する。
「そこの男と……二人で話をさせてくれないか」
ルイが指差したのはジル。
ライ・カーンはすぐに二人の間に割って入る。
「皇太子、恐れ多きことですが、この男は皇太子と会話するに値しない者でございます。
何かお申し付けすることがあるなら、私にお伝えください」
ルイはその言葉に肩を震わせるが、それでも怯えた声音を張り上げ、
「それを決めるのは僕だ! 次期皇帝の命令が聞けないのか!?」
気弱そうに見えた少年から出た言葉に驚いたのは、ジルだけではなかった。
ライ・カーンも同様に、その言葉と態度に驚き、言葉を失っている様子だった。
ルイはジルの手を引き、逃げるようにその場を走り去った。
哀れにも、それを見送るしかできなかったライ・カーンは、一口も手のつけられていないお茶を見て顔を歪ませる。
「クソがっ!!!!!!」
大男はテーブルを蹴飛ばす。
テーブルの上の陶器の食器は砕け散り、部屋中に散乱する。
「計画を変更するか……」
ライ・カーンは息をあげながら、そう呟いた。
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