終電に乗り損ねただけなのに……
会社員・佐藤梨奈はどこにでもいる一般人だった。
その日も、どこにでもあるようなブラック企業で深夜まで働き、終電に乗り遅れまいと駅までの道を駆けていた。
目の前の横断報道は点滅する青の信号。
梨奈の意識はそこだけに集中していた。
横断歩道を突っ切ろうとする大型トラックには目もくれず、飛び出した。
気付いた時にはもう間に合わない。
トラックのフロントライトで目の前が真っ白になる。
連日に及ぶ過重労働により疲れ果てた梨奈の脳は「終電、乗り損ねたな……」と的外れなことを考えていた。
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羽毛の詰められた寝心地の良い柔らかなベッド。うちにあるネット通販のタイムセールで買った薄くて硬いマットレスを敷いただけのベッドとは大違いだ。
天井には繊細な装飾と、華奢なデザインのシャンデリアが吊るされている。
窓からはやわらかい朝日が差し込んでいるが、鉄格子が嵌められ閉め切られている。
メイド服を着た少女が、心配そうな顔でこちらを覗き込む。
「イリーナ様、お加減はいかがでしょうか?
昨晩から体調が優れないご様子でしたので……」
「イリーナ様?」
梨奈は思わず目の前の少女におうむ返しをする。
メイド服の少女は怯えたような表情でこちらを見つめながら硬直している。
どう返したら良いかわからない、といった様子だった。
イリーナ様、と目の前の少女は私に向かって呼びかけていたが、一体何を言っているのだろうか。
梨奈はゆっくりと起き上がり、部屋の中を見回す。
装飾性の高い家具や美しい調度品の数々……病院ではないということは確かだ。
よくよく見たら自分の身に着けている衣服も、レースとフリルがふんだんにあしらわれた、肌触りの良いシルクのネグリジェだった。
何がどういうことなのかわからず、一周回って冷静だった。
だがドレッサーに写っている自分の姿を見て、ぎょっとした。
太陽の光に照らされてキラキラと輝く長いブロンドの巻き髪に、二つの大きなルビーの宝石のような美しい瞳。
真珠を砕いたかのような白くきめ細やかな肌、理想的な卵型の輪郭の中には、アーモンド型の大きな目と、鼻筋が通りツンと尖った小ぶりな鼻、薔薇色の唇が奇跡のようなバランスで配置され、まるで精巧に作られたビスク・ドールか、絵画から飛び出してきたかのような美しい少女がそこに佇んでいた。
「これは……だ、誰なの……?
ていうかここはどこ……?一体どういうことなの……?」
「何も、覚えていないのですか……?」
メイドが意を決したように口を開く。
「ここはホロミア塔の最上階でございます……」
「あなた様は……あなた様はプロメシア皇国の皇女、イリーナ・アリフレート・トランド様でございます……!
弟君であるルイ皇太子殿下への反逆罪で……この塔から二度と出られないように、閉じ込められているのです……」
そう言い終えると、メイド服の少女は堰を切ったようにわっと泣き出した。
会社員・佐藤梨奈はプロメシア皇女、イリーナ・アリフレート・トランドとして転生を果たした。
しかもそれは二度と悪事を働かぬように塔に幽閉をされた、断罪済みの極悪皇女だった……
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