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(3)黒ヤギの息子・上

閲覧いただきありがとうございます。水瀬 宏と申します。

 私の頭の中にある物語を、一緒に楽しんでいただけると嬉しいです。

 さて、以下本文につきまして、注意事項がございます。


 ○一部、残酷な場面を含みます。また、物語が進むにつれて過激になって行く予定です(念の為、R15をつけております)。苦手な方は、閲覧をご遠慮ください。

 ○本文中の人名・地名・言語は、実在のものとは関係ありません。

 ○文字数が少々多めかも知れません。耐えてください。

 ○閲覧後の苦情は受け付けておりません。ご遠慮ください。


 感想等はいただけると大変励みになります。

 私自身はふざけた人間なので、気軽にしていただけると嬉しいです。



 それでは、【アルムの宿し子】⑶黒ヤギの息子・上 お楽しみください。


 ⒊【 黒ヤギの息子・上 】



『ねえ、おとうさん。どうして、おとうさんの()()()()はここだけちがうの?』

『これはね、“一族の証”だよ』

『あかし?』

『そう。まだ難しいかも知れないけれど、わかるようになる』

『ぼくも、そうなるの?』

『ああ。いずれ、お前も成人(おとな)になったら儀式をするんだ』

『おとうさんといっしょ?』

『ウン。お父さんと一緒』

『やった!ぼく、おとうさんみたいにかっこよくなりたい!』

『アハハ。楽しみだなあ』




 ⑴



 セルは、知らない部屋で目を覚ました。

 目の前には、黒ずんだ()()のある木目の天井。日の光で満たされたここは明らかに()()ではない。

 寝起きの頭は少々混乱していて、少年は起き上がり、あたりを見渡した。

 清潔な白いシーツに、フカフカの布団。どうやら、木造の小さな部屋で寝かされているらしい。家具はほとんどなく、小さなテーブルと背の低い椅子が2つあるくらい。壁には細長い柱時計がかけられていて、その針は12で重なっていた。ベッドのすぐ横の窓から見える空はカラリと青く、日は真上に登っている。

「ここは……」

 窓から空を見上げて、セルは呟いた。

 昨晩の記憶が曖昧だ。少し考えてやっと“「ひだまりの家」から連れ出されて馬車(キャリッジ)に乗っていたこと”は思い出したが、いつの間に眠ってしまっていたのだろう。しかも、随分と長い間。“家”にいるときでさえ、こんな時間まで眠っていたことはなかったのに。

 ふと、目の下で何か動いた気がした。

 セルは目線を下げ、窓の下を見てみる。……何もいない。

 不思議に思い、窓を開けた。涼やかな風とともに、青い芝生のいい匂いが部屋に入ってくる。

 身を乗り出して、窓の真下を覗いてみると。

「アッ」

 紅鉱石(ルビィ)の瞳と目があった。

 白い毛の、小さなかたまり。

 幼い子供が、窓の真下に隠れていたのである。その子供は“珍妙”な被り物をして、小さな体躯を丸め込んでしゃがんでいた。

「やあ、こんにちは……」

 セルが遠慮がちに声をかけた瞬間、その子供は顔を真っ赤にして飛び上がった。それにセルもびっくりして、顔を引っ込める。子供はその勢いのまま、目前に広がる原っぱへ駆けて行ってしまった。随分と足が早く、瞬く間にその姿は小さくなってゆく。セルは驚いて速く鳴る心臓のまま、子供の後ろ姿を眺めていた。

 ……一体、なんだったのだろ。


「おっ。よかった。目が覚めたのか」

 セルが窓を眺めて惚けていると、ベッドの向かいにある小さなドアが開いて()()()()()顔が入ってきた。

「あ、えっと……」

「テオドール=リュウードレだよ」

「ああ、……“テオ”さん」

「ン」

 男は愛称で呼ばれて、満足そうな顔をした。大男・テオドールはベッドの横まで来て、テーブルの上に持ってきた水差しとコップを置いた。

「どうだ?具合は」

「……元気、です。少し、眠たいけれど」

「そりゃ結構。水飲むか?」

「ア、はい。……あの」

「ン?」

「昨晩、なにがあったんでしょうか……。ぼく、何も思い出せなくて……」

 セルが尋ねると、テオドールはコップに水を注ぐ格好のまま()()()()という顔をした。数秒沈黙すると、今度はアハアハ笑い出した。

「え、なに」

「仕方ないさ!セル、お前、()()じゃなくて、()()()だよ!」

「一昨……?」

「丸一日寝てたってこと!まあ、気がついてホントによかったよ。明日にでも目が覚めなけりゃ、ニコラが叩き起こすところだったしな!」

 青年は豪快に笑って、セルにコップを寄越した。

 セルはなぜ青年が笑っているのかもよくわからないし、知らぬ間に1日が過ぎていたことに混乱した。言われてみれば、なるほど、確かに喉がカラカラだ。そのことに気がつくと、セルは受け取った水を一気に飲み干した。

「オウオウ、いい飲みっぷりだ。腹減ってるだろ?女将(おカミ)さんに、なにか頼んでくるよ」

「……ここ、どこですか」

「ユタ村だ。国境の近くにある農村。再出発まで、置いてもらっている」

「再出発?ここ、“未来社”の本部じゃないんですか」

「本部がこんな原っぱの真ん中にあるわけないだろ?お前も起きないし、馬も怪我したしで泊めてもらったんだ。(かゆ)でいいか?」

「ア、はい」

「ン」

 言って、青年は立ち上がった。小さいドアを身をかがめて潜ろうとして、「そういえば」と振り返った。


「ニコラ、相当怒ってるぞ」


 茶髪の爽やかな青年は、()()()()がいっぱいの顔でニンマリ笑った。

 少年は黒髪の美青年を思い出して、背筋が凍った。




 ⑵



「あら!随分キレイな子だと思ってたけど、素敵なお嬢さんじゃない!」

「あの……男です」

「アラ!ごめんなさい、キレイな顔だから!」

「アハハ……」

 キッチンに立つ陽気な女性は、愉快そうに笑った。

 彼女はこの家の女将(おカミ)さんで、ドレアさん、というらしい。焦げ茶色の長い髪を後ろで一本の()()()にした、ふくよかな女性である。テオドールはセルが目覚めたことを伝えてくれたらしく、小部屋でしばらく待っていると、食卓のある居間に通されたのだ。テオドールは入ってきた扉から遠い方の席に座り、セルは青年の向かいに腰掛けた。

 通された居間は、先ほどまでいた部屋とは打って変わって、さまざまな物が()()()()()()置かれた空間だった。部屋の真ん中にある食卓テーブルの上には細かい刺繍が施されたテーブル掛けが敷かれており、調味料や食器|(匙など)の入った箱が並べられている(テーブルに用意されていた椅子は3脚だった)。そのテーブルをぐるりと囲むように、奇妙な形の置き物や、独創的な絵画、干された稲の束、取り込まれた洗濯物、年季の入った腰掛け椅子(ソファ)などが置かれている。

 居間はキッチンと繋がっていて、堺に掛けられた暖簾(ノレン)から、両手に()を持った女将(おカミ)さんが現れた。

「病み上がりなんでしょう?これ食べたら元気になるわ!」

「……ありがとうございます」

「いっぱい食べなさいねえ」

 ドレアはニコニコ笑いながら、セルの前に器を置いた。木製の器によそわれていたのは、薬草や溶き卵の入ったこの村の伝統的な(かゆ)である。彼女は、随分とこの粥に愛着があるらしい。セルはそんな女将(おカミ)さんの勢いに押され気味に、粥を口に運んだ。卵の柔らかい味と、薬草の苦味がほんのり香る。ドレアはついでに、とテオドールにも同じものを用意していた。

「いやあ、ホントにありがたいです。ここまでよくしてもらって」

「いいのよ!ウチは子供ふたりだけだから、賑やかになって嬉しいわ!」

「そういや、お子さんたちは?」

「上の子は、裏の畑で野菜を採ってくれてるわ。下の子はうちにいるはずよ」

 テオドールが尋ねると、ドレアはにこやかに答えた。彼女のいる台所では、洗い物の音がガチャガチャ聞こえる。

「上は娘なんだけれど、セルさんのこと心配してたわ。戻ってきたら、会ってやってちょうだいな」

「ア、はい……」

 セルは、不思議そうな顔でテオドールを見る。彼はセルの考えていることに気がついたのか、「おれが教えた」と小声で言って、ウインクしてきた。どうやら、ドレアにセルの名前を教えたのは彼らしい。

 ドレアは洗い物が終わったようで、マグカップにお茶を入れて運んできた。セルとテオドールの前にマグカップを置くと、彼女も(セルの隣の)席に着いた。

「飯もいただいたし、何か手伝うことはありませんか?薪割りくらいならできますよ」

「アラ、お客様なのに悪いわよ」

「いやいや、置いてもらっている身なので。食後の運動もしたいし、力仕事なら自信ありますよ」

「そう?じゃあ、お願いしようかしら」

「はい、喜んで!」

 爽やかに返事をした彼は、いつの間にか用意された粥を平らげていた。大柄な彼は、その分()も大きいらしい。

「それじゃあ、息子に案内させるわ。相手をしてやってくださいな。あの子、ずっとソワソワしてるんだから」

「ああ、あの子」

「恥ずかしがり屋なのよ。昨日も、テオドールさんの後ろを黙ってついて回ってたんでしょ?」

「そうだったんですか。ずっと監視されてるんだと」

「アラやだ!そんなことしませんよ!」

「アハハ、冗談ですよ。任せてください。弟がいるので、小さい子の相手は慣れてます」

「よかった!じゃあ、連れてきますわね」

 女将さんはそう言って、薄橙のエプロンを脱いだ。そのまま座っていた椅子の背に掛けて、一旦キッチンへ戻って行った。

「お鍋ここに置いておくから、好きに食べなさいね!」

 キッチンから出てきたドレアは、粥の入った鍋をセルの前に()()と置いた。まだ、中身が半分ほど残っている。セルは小さい声で返事をして、鍋の中身に目を落とす。ドレアはセルの様子を見て、優しく微笑んだ。そして、息子の名前を呼びながら、居間を出て行った。


 ドレアが席を外し、セルは()()と息を吐いた。

 そんなセルを見て、テオドールは()()ニマニマした笑みを浮かべ、少年の顔を覗き込んだ。

「お前、()()()()()苦手なの?」

「……苦手っていうか、……身の回りにいなくて」

「ああ、()()()、ボックさんと子供達だけだったもんなあ」

「ボックさん?」

「ああ、お前らは“オンジ”って呼んでるんだったっけか、あのジイさん」

 納得したように、テオドールは鼻を鳴らす。

「ひだまりの家」では、全くと言っていいほど地域の人々との交流がなかったのだ。それは、()教会が人里離れた丘の上にあったためでもある。よって、孤児院で育ってきた少年は、“子供”と“老人”しか知らなかった(オンジの客であった魔導師の男は何人か見かけはしたが、話をしたことはなかった)。

「マ、これから()へ出るんだから、今のうちに慣れときな。街のおばちゃんは怖いぞぉ。おしゃべり妖怪だ」

「街、ですか?」

「ああ。目的地が“未来社の本部”ってことは伝えてるよな?本部は、アジスタの王都にある。世界屈指の大都会だよ」

 お前、きっと()()()するぞ。

 テオドールは、またニマニマ笑った。

 その笑い方にセルはムッとして、粥を乱暴にかき込んだ(()鹿()()()()()()()と思ったのである)。空になった器に、鍋から“おかわり”をよそった。

「怒るなって!そういや、お前、今日はやけに喋るなあ。ヤ、嬉しいんだけどさ」

「……“これから一緒に過ごす”、んでしょ?」

 セルがムッとした顔のままそう告げると、テオドールは()()()()とした顔をして、アハアハ笑い出した。爽やかな容姿の青年に似合った、屈託のない笑い方である。セルは、こっちの方がいいと思った。

「……あの人は?」

「ン?ああ、ニコラなら、本部に戻ってるよ」

「本部に?」

「“お前のこと”と“あの晩のこと”で、会長に呼び出されたらしい。マ、そのうち戻ってくるさ」

「会長、ですか」

「ソ。あいつは、あんなでも“第一部隊の部隊長”サマだからな。色々大変なのよ、()との兼ね合いとかサ。あいつがどうした?」

「……相当怒ってるって」

 セルが言うと、テオドールはまたアハアハ笑った。この男は、先刻(さっき)から笑ってばかりである。

「ああ、怒ってる、もうカンカンさ!ゲンコツ10発くらいは覚悟しておいた方がいいぜ!」

「オンジにも()たれたことないのに……」

「あのジイさんは、そんなことしないだろうな。あの人、“無言で圧をかけてくる”タイプだから。でも、ニコラはすぐに手が出るぞ。“武力行使”ってヤツだ」

「……覚悟しておきます」

「アハハ!冗談だよ!すぐに手が出るのはホントだが、子供を殴ったりはしないだろうさ!マ、“お説教”くらいはされるだろうけどな!」

 テオドールの言葉に、セルは安心した。殴られることはないらしい。

 安心したと同時に、はて、と首を傾げる。

 なぜ、()()()は自分に気をかけているのだろう。それに、怒られるようなことしたのかしら。

「……あの、ぼくって、なんであの人に()()()()()()んですか?ただの孤児(みなしご)なのに」

 セルの質問に、テオドールは笑うのをやめた。少し難しい顔をして、フンと唸る。そんな彼の様子を見て、セルは「いけないことを聞いたのかしら」と緊張した。

「……ヤ、おれもさ、その辺は詳しくないんだよな」

「どういうことです?」

 セルが尋ねると、テオドールはさらに難しそうな顔になった。

「“お前が未来社にとって重要な存在”ってことはニコラから聞いてるんだが、あいつ、詳しいことを教えてくれないんだよ。『お前は馬鹿だから聞いても無駄だ』とかなんとか言って。ヤ、おれ、ホントに頭はよくないんだけどサ。でも確か、“巨大な(うつわ)”がどうとかって……」

「器……?」

「ンン。何かの例えだろうとは思うんだけど……。あいつが帰ってきたら、直接聞いてみな。きっと、お前にだったら教えてくれるんじゃないか?お前、相当賢いらしいし」

「……あの人は嫌いです」

「アハハ!そんなこと言ってやるなよ!……というかセルよ。お前、いつまで食ってるつもりだ?そんなに大喰らいだったのか?」

「え?」

 言われて、セルは匙を持っている手を止めた。そして、仰天する。

 大きな鍋の中身が空になっていたのだ。

「テオさんも、食べてましたよね?」

「いや、おれは見てただけだ。止めなかったのは悪かったけど……お前、空きっ腹にそんな量食ったら毒だぞ?」

 テオドールは困ったように眉尻を下げた。

 しかし、一番衝撃を受けているのはセル本人であった。なんせ、セルはオンジに睨まれながら食事をするほど()()()()()()のである。それなのに、大鍋の半分はあった粥が自分の胃袋に収まっているのだ。少年は、エメラルドの眼をまん丸にした。


 唖然としているセルが、匙をテーブルに置いたその時である。


 頭の内側を鈍器で殴られたような激痛が、少年を襲った。


「エ、おい!大丈夫か⁉︎」

 突然うずくまった少年に、テオドールは驚いて駆け寄った。

 少年の顔色は真っ青で、だくだくと冷や汗を掻いていた。堅く瞼を閉じて、何かに耐えようとしている。

「アア、アア。言わんこっちゃない!お前、食い過ぎだよ。吐きそうか?」

 テオドールは、セルの背中をさすった。その薄い背も、汗でびっしょりだ。

 セルはかろうじて首を横に振るが、テオドールは気づいていないようであった。少年が胃の中身を吐き出してもいいように、自分の上着を少年の膝に掛ける。

「吐きそうなら、ここに吐いちまえ。な?我慢しなくていいからな」

 優しく声をかけられる。テオドールの優しさは素直に嬉しいが、セルは自分の伝えたいことが伝わらなくてもどかしかった。

 “(はら)”ではなくて、“頭”が痛いのだ。

 何かが頭の中で喚いていて、それが気持ち悪いのだ。

 少年には、何かの“声”が聞こえていた。明らかに人間のものではない、ひび割れた耳鳴りのような叫び声が。

「ごめんなさいねえ。あの子、どこかへ行っているみたい……アラやだ!どうしたの!」

「アッ!ドレアさん!すんません、こいつ、食い過ぎちゃったみたいで……」

「大変!洗面器!洗面器持ってくるわ!」

 息子が見つからずに戻ってきたドレアは、うずくまっている少年のただならぬ様子に、慌てて居間を飛び出して行った。

 テオドールは懸命に呼びかけてくれていたが、セルはその声も聞こえないくらいの耳鳴りに侵されていた。

 体が浮遊しているような感覚に、目眩がする。

 誰かの叫び声が、近づいてくる。

 一際大きい叫び声と激痛が頭を駆け巡り、少年は意識を手放した。




 ⑶



 目が覚めると、また同じ木造の小部屋に寝かされていた。

 部屋の中は薄暗かったが、窓から見える空はまだ青い。壁に掛けられた細長い柱時計を見ると、太い針は4、細い針は8を指していた。

 少年は、ぼやけた頭で思考した。 

 まだ、頭が痛いような気がする。意識がぼんやりとして、起き上がるのが億劫だった。

「……おはようございます。よかった、気がついて」

 真横から声がして、セルは微睡(まどろみ)の中から覚醒した。

 ギョッとして飛び起きる。声のした方を見ると、ベッドの横に置かれていた椅子に一人の少女が腰掛けていた。

「あ、だめです!急に起き上がったら。熱があるんです。しばらくは横になっていてください」

 少女は少し強い口調で言うと、少年の体をベッドに戻させた。セルはまだ心臓が跳ね上がっていて、言われるがままに従った。セルが元の体勢に戻ると、少女は安心したように微笑んだ。

 その少女は、焦茶色の長い髪を後ろで一つに束ねていた。顔がドレアによく似ているので、彼女の娘であることがわかった。歳の頃はセルの少し上といった具合で、ゆったりとした白いワンピースを着ているその華奢な体躯は、女性特有の柔らかさを感じさせた。

「びっくりしました。母に言われて来たのだけれど、お人形さんが寝ているのかと思って」

 少女は優しく笑って、手元にある裁縫を続ける。隣に置かれた小さなテーブルの上には手持ちのランプがあった。どうやら、部屋に(あかり)をつけてセルを起こさないように配慮してくれていたらしい。

 セルは声を出そうとしたが、喉が渇いていてうまくいかず、()()と口を動かしただけだった。

「セルさん、ですよね。お若いのに、未来社のお役人だなんてすごいわね。私、生まれてからずっと、この村から出たことがないから」

 少女はゆっくり喋って、()()()()布に糸を縫い付けてゆく。セルはその手元を眺めながら、なんだか懐かしい気分になっていた。エメラルドには涙の膜が張っていて、白目が少し充血していた。

「でも、殿方たちと旅だなんて、大変じゃないかしら?ほら、セルさん、すごく綺麗なお顔をしているし……」

「……あ、の」

 掠れた声が出た。 

 その声を聞いて、少女は形の良い目を丸くした。

「あ……ごめんなさい!その、私、勘違いを……」

 少女は顔を赤くして狼狽(うろた)えた。そんな姿をみて、セルは柔らかく微笑んだ。熱に浮かされて、白い頬が上気している。

「……。あなたは……?」

 セルが掠れた声で尋ねると、少女は裁縫の道具をテーブルに置いて、少し居住まいを正した。

「このうちの娘の、カトレアと言います。ごめんなさい、私……」

「……気にしません。あなたのお母さんにも、同じことを言われました」

 そう告げると、少女は肩の力を抜いた。その様子が可笑しくて、セルは少しだけ笑った。

「……少し、お話をしても?」

「ええ、私は構いませんけど……。お体は?」

「寝て、よくなりました。ありがとうございます」

 話すと、少し息が上がる。かなり熱が高いらしい。

 それでも眠る気にはなれなかったので、セルは低い声で続けた。

「ここは、綺麗な場所ですね。……芝が青くて」

「農村なんです。放牧したり、稲や野菜を育てたり……。ここにいる人たちは、みんなそうして暮らしています」

「カトレアさんの、うちも……?」

「……うちは、裏の畑で野菜を育てています。収穫した野菜を、村の若い(ひと)たちに頼んで、街へ行って売ってもらうんです」

「そうなんですか」

「夏は、美味しい野菜がたくさん採れます。秋には、稲が」

「……素敵ですね」

「ウフフ。ありがとう。ここを出ても、またいらしてね。夏の終わりには、豊作祈願のお祭りがあるんです」

「お祭り、ですか?」

「ええ。秋に稲や穀物がたくさん採れるように、村のみんなでお祈りをするの。村の中心に広間があって、そこで“舞踏”をするんです。……ああ、そういえば」

 言って、カトレアはワンピースのポケットから小さな笛を取り出した。

「これは、『月の笛』と呼ばれる楽器です。木を削ってできていて、“舞踏”の音楽を奏でるんです」

 カトレアが、ピィと笛を吹く。柔らかい、不思議な音色である。

「それと、“舞踏”の音楽には歌もあって。この地方では有名なのだけれど、『月の調べ』ってご存知?」

「……聞いたことがありません」

「古くから伝わる唄で、地域によって歌詞が微妙に違うの」


 『月は太陽を追う

 母の大地の上で 明日を探す

 風の運びに雨が集い

 みどりがざわめく

 めぐみの宝を この地にもたらすよう』


「綺麗な唄……」

「気に入ってくださってよかったわ」

 柔らかに歌った彼女は、セルの様子を見て嬉しそうに微笑んだ。

 セルは身じろぎをして、彼女の方へ体を向ける。

「テオさんは……」

「テオドールさん?あの方なら、裏庭にいらっしゃるわ。弟と一緒に、薪を割って下さっているの」

「……そうですか」

「テオドールさん、力持ちね。うちで使う5日分くらいは割ってくださってるわ」

 カトレアは、可愛らしい声でクスクス笑った。つられて、セルも笑った。

「……弟さんが」

「ええ。今年で7つになるんです。体が弱くて、近所の子達とはあまり遊べなくて……。だから、テオドールさんが相手をしてくださって、はしゃいでると思います」

 カトレアは、きっと弟がいるであろう裏庭の方を向いて言った。彼女の言葉を聞いて、セルは孤児院の子供達を思い出した。あの子供たちは体が弱いわけではなかったけれど、()()()()と遊べない子たちだった。

「カシスというんです。体が白くなる病気で……。お日様に当たると、すぐに火傷をするの」

 あの子、本当はかけっこが大好きなのに。

 カトレアの表情が曇る。悲しそうな、悔しそうな彼女の顔を、セルは眺めるしかできない。

 はく、と息を呑んで、セルは言葉を吐き出した。

「……ぼくにも、弟や妹がいました」

「そうなんですか」

「孤児院で、共に過ごした、子供達です。かわいい子たち……」

「……そう」

「ぼくは、家族がいないから……、本当は、家族みたいに……オンジも……」

 思い出して、涙が溢れてきた。

 心を開かない子供達と、無口で無愛想な老人。

 本当は、家族になりたかった。

 みんなとたくさん話して、笑い合いたかった。

 こんな顔を見られると、またオンジに「みっともない」と言われる気がして、セルは鼻を啜った。

 静かに涙を流す少年を見て、少女はその額を優しく撫ぜた。

「……私たちもね、父がいないんです」

 悲しい顔をした彼女が言う。

「2年前に、他界しました。森の中で、獣に襲われたんです。力持ちで、優しくて、自慢の父でした。弟も、大好きな……」

「父は、立派な山羊(ヤギ)飼いでした。村の人たちからも、随分慕われていました。でも、ある晩、夕食の時間になっても帰ってこなかったんです」

「村中で探しました。松明を持って、森まで行って。それで、『父に助けられた』という村の人が、森から出て来たんです。『父は、獣に襲われた』って……」

「それから、父が帰ってくることはありませんでした。半年待って、死んだことになりました。遺体すら、見つからなかったのに……」

「……泣かないで」

「すみません……。本当に、大好きだったんです。私も、あの子も……」

 少女は少年の額から手を離し、涙を拭った。“父の死”を思い出すと、悲しくて、悔しくて、仕方がなかった。

 溢れる涙を拭っていると、そっと、熱い体に抱きしめられた。

 薄く骨張った体に、ハッとする。

 少年が、熱に浮かされたまま少女を抱きしめていたのだ。

「大丈夫……、泣かないで……」

 そう譫言(うわごと)のように繰り返す少年の目にも、涙が溢れていた。

 少年は、抱え込んだ少女の頭を優しく撫ぜる。まるで、幼い子供にしてやるように。

 この少年は、確かに、孤児(みなしご)たちの“兄”だったのだ。


 少女はその感覚に幼い日の父を思い出して、涙が止まらなくなった。

 少年は、熱い体で苦しそうに息をする。きっと、熱が上がっているのだ。

 少女もまた、自分よりも年下の“兄”を細い腕で抱きしめた。


 ふたりは少年の意識が熱に溶けるまで、静かに泣いていた。






<続>



ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

まだまだ続きます……。


これからもよろしくお願いいたします!


2021.3.7 水瀬宏

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