(2)少年と処刑人 (巣立ち、冒険の始まり)
閲覧いただきありがとうございます。水瀬 宏と申します。
私の頭の中にある物語を、一緒に楽しんでいただけると嬉しいです。
さて、以下本文につきまして、注意事項がございます。
○一部、残酷な場面を含みます。また、物語が進むにつれて過激になって行く予定です(念の為、R15をつけております)。苦手な方は、閲覧をご遠慮ください。
○本文中の人名・地名・言語は、実在のものとは関係ありません。
○文字数が少々多めかも知れません。耐えてください。
○閲覧後の苦情は受け付けておりません。ご遠慮ください。
感想等はいただけると大変励みになります。
私自身はふざけた人間なので、気軽にしていただけると嬉しいです。
ケルト音楽聴きながら読むのが個人的にはおすすめです。
それでは、【アルムの宿し子】⑵少年と処刑人 お楽しみください。
⒉【 少年と処刑人 】
⑴
夜の闇に包まれた森の中を、馬車が進んでゆく。
木々の間を満点の星が彩る、美しい夜である。
4頭の逞しい馬の手綱を引くオヤジは、今夜乗せているお客様たちに、ただならぬ気配を感じていた。馬車の手綱引きを始めてもう三十余年になるが、こんな客は初めてである。隣国への出張という大きな仕事を引き受けたはいいが、待ち合わせの場所はあの孤児院であったし、行き先もまた異色の場所であった。
「ムッシュ、申し訳ありませんでした。急に隣国まで乗せて欲しいなど」
「アア、いいんですよぉ。これも仕事なんですから、馬たちもたくさん走れて喜びまさぁ」
「それは結構。イヤなに、こちらが用意していた馬車に、少々トラブルがありましてね。助かりました」
「アハハ。そうざんすか」
テントの中から話しかけられ、オヤジは勤めて朗らかに返答した。なんのトラブルなのか、という疑問は飲み込んだ。きっと、聞くと厄介なことに巻き込まれると思ったのだ。話しかけてきた客の男はというと、声色こそ穏やかに繕っているが、冷たい響きが隠しきれていなかった。きっと、心の底から冷徹な人間なのだ、とオヤジは思う。
そもそも、今乗せている3人のお客様は。
ひとりは、今話しかけてきた黒髪の男。近所の野郎どもの中では最も体躯の良いオヤジの、さらに拳一つ分背の高い美青年である。カラス色の髪には艶があり、真っ白な肌と漆黒の右目が眩しい男であった。ただ、その美しい顔の左半分は巨大な眼帯で覆われており、異様な雰囲気を醸し出していた。
もうひとりは、黒髪の男よりもさらに体の大きい、大男だ。彼は乗車の時に、にこやかに挨拶をしてくれた。よく日に焼けた健康的な体と、顔いっぱいに広がっているそばかすが特徴的な好青年である。この爽やかな青年が、陰湿そうな黒髪の男と一緒にいることをオヤジは不思議に思った。
最後のひとりは、まだ未熟な少年だった。この少年が孤児院から飛び出してきた時、オヤジは息を呑んだ。総てが宝石で作られた人形のような、少女とも見違える可憐な子供だったからである。オヤジが子供のことを男だと確信したのは、彼が孤児院に向かって叫んでいる声を聞いたからだ。変声期に差し掛かる掠れた声色は、確かに少年のものだった。
逞しい馬たちは、お客様のことなんて関係なしに、いつも通り山道を駆けてゆく。
いつも通りの日常を過ごしていたはずが、非日常的な客を乗せることになり、オヤジは人知れずにため息を吐いたのであった。
「よう、少年。もう泣き止んだか?」
「…………返事くらいしておくれよ」
ガタガタ揺れるテントの上で、孤児院の少年は何も言わずに膝を抱えて丸くなっていた。
「堪忍してくれよ。おれたち、これから一緒に過ごすんだぜ?」
「…………ぼくは、連れて来られただけです」
「まア、きみにとってはそうなんだろうけどサ」
テントの中から這い出てきた大男は、屋根の縁に座っていた少年の横にどっかりと腰を下ろした。
「おれ、テオドール=リュウードレってんだ。自己紹介してなかったからな。テオでいい」
「…………セル」
「セルって言うのか。いい名前だ」
大男・テオドールは、清潔な白い歯を見せてにかりと笑った。一重の目尻が、シワで長くなる。そばかすのよく似合う青年は、屋根の外に足を投げ出して、ゴロリと仰向けになった。
しばらく沈黙していると、テオドールは陽気に鼻歌を歌い出した。独特な節のある、少し音の外れた歌だ。
「……なぜ、ぼくを連れ出したのですか」
「そりゃあ、そういう契約だったんだよ。きみが孤児院に入る前から決まっていた」
「オンジは、そんなこと一言も言っていませんでした」
「あのジイさんのことだ。言うつもりなんてなかったんじゃないの?」
そこまで聞いて、セルは黙った。俯いたセルを見て、テオドールも困った顔をして口を閉じる。
また、馬車の駆ける音しかしなくなった。時々、手綱引きのオヤジの(痰の絡んだ)咳が聞こえてくるくらいだった。
「……セル、ニコラが憎いか?」
「…………いいえ。でも、嫌いです」
「ハハ。そうか、嫌いか。まア、そうだろうな」
「……怖いです。あの人は、人間じゃないみたい」
「人間じゃない、か。おれには、あいつが一番人間臭く見えるけどな」
「どうして?」
「アハハ。きみはまだ知らない方がいいかもな」
曖昧にはぐらかして、テオドールは笑った。屈託のない、爽やかな笑い方である。
セルは少々きょとんとした顔になったが、また元の無表情に戻った。
セルがこの馬車に乗せられたのは、数時間前のことだった。
⑵
きみを、迎えにきた。
そう告げた“処刑人を名乗る”美青年は、大きな手でセルの(手袋をはめた)両手をとった。
革の手袋の下には、赤黒く変色した薄い皮膚がある。セルは両手の感覚で我に返って、青年の手から自分の両手を引き抜いた。
「ブロー……?迎えにきたって……」
「5年も待った。ようやくだ。きみを、私の部隊に迎え入れる」
にこりと冷たい笑みを浮かべて、美青年は言った。
突然の出来事に、セルの頭は混乱していた。
この青年の言うブローが処刑人のことなら、レオに追いつくチャンスかもしれない。
でも、急に迎えに来たなんて、素直についていくことなんてできない。
まだ「14の春」にもなっていない。
それに、ローラはどうなるんだ。あの心優しい少女は、自分が今すぐいなくなっても大丈夫なんだろうか。
「考える必要はない。決定事項だ。きみは、従う他ない」
「…………それって、どういう」
美青年はゆらりと淀みなく動いて、セルの耳に口元を寄せた。冷たい薬草の匂いがした。
「きみが共に来なければ、この孤児院は解体されることになっている。もちろん、ボック殿……ここでは“オンジ”と呼ばれているらしいな。彼も、解雇される。ここに棲んでいる子供達も、行く宛もなく彷徨うことになるだろう。この建物は取り壊されて、処刑人の訓練場にされる。これは、契約されていたことだ」
美青年は、低い声で、ゆっくりとセルの耳に言葉を流し込んだ。
セルは凍えた身体が、さらに冷えてゆくのを感じた。“凍え”を越えた少年の体は、固まって動かなくなった。
美青年はセルの耳元から顔を離し、穏やかな笑みを浮かべて蒼白い少年の顔を見た。
「セシル。きみは賢い子だ。何をすべきか、わかるね?」
夜の闇を嵌め込んだ瞳に見つめられて、セルは泣きそうになった。
呼吸を忘れた形の良い口が、はくはく動いた。
自分の答えに、孤児院の総てがかかっている。
その選択は、目標を遂げる近道で、少年を殺す決定だけれど。
みんなを守れる答えは、ひとつしかなかった。
「……あなたに、ついて、いきます」
震えた声を聞いて、青年は満足そうに微笑んだ。
氷のような微笑みだった。
「いい子だ」
美青年は立ち上がり、ゆっくりと玄関の方を振り返った。
「彼は了承しました。ボック殿、あなたに止める権利はない」
セルはハッとして、オンジを見た。
いつの間にか、老人は怒鳴るのをやめていた。その口元は薄く開いていて、セルには、彼の身体が空洞になってしまったように見えた。
オンジは黒髪の青年に近づいて、何か言った。老人の静かな声に、青年は頷いた。
少年は泣いた。
「テオドール!すぐに支度をするぞ。お二人は、最後のお別れを。我々は、外で待ちます」
言いながら、背の高い美青年は玄関を出て行った。「テオドール」と呼ばれた体躯の良い青年は、何か文句を言いながら、彼に続いて出て行った。
静かになった玄関には、少年と老人のふたりきりになった。
「…………出ていくのか」
先に口を開いたのは、オンジだった。
あの日と同じ嗄れた声には、地獄のような恐ろしさは無くなっていた。
セルは嗚咽しか出せなくて、何度も袖で目を擦った。
「男が泣くな。みっともない」
「……ごめん、なさい。……ぼく、ぼく……!」
オンジは何も言わずに、言葉の続きを待った。
セルは嗚咽を繰り返しながら、言葉を紡ぐのに必死になった。
「ローラを……あの子を、見守って、ください。あの子は、優しい子、だから」
「……莫迦な子だよ」
「あの子を、守って……。きっと、絶望してしまう」
「本当に、莫迦な子だ」
そう言って、老人は少年の体を抱きしめた。
突然のことに、セルは息を忘れた。
オンジは強すぎるくらいにセルを抱きしめて、薄い背中を優しく撫ぜた。
老人の体は暖かく、鉄と木材の混じった匂いがした。
しばらくして、オンジはセルの体を離した。抱きしめられている間、セルは息ができなかった。
オンジはセルの肩を掴み、そのエメラルドの瞳を見据えた。
「行ってきなさい」
老人から出た言葉は、信じられないほど優しい音をしていた。
柔らかく微笑んだ目元が、皺でくしゃくしゃになっていた。
その声に、その表情に、セルは得体の知れない恐怖を感じた。
感情が膨れ上がって、一番大切な部分が壊れてしまうような。
それは全身に広がって、弾かれたように玄関を飛び出した。
飛び出した外は、灰色の空から降り注ぐ黄金の光がカーテンのように田舎の町を覆っていた。
広い庭の先、白い柵の向こうには、4頭の馬が引く馬車が待機していた。そのテントの中に、先程の青年たちが乗り込んでいた。
セルは広い庭を全速力で駆け抜けた。涙で視界が霞んで、何度も転びそうになった。
猛スピードで駆けて柵の手前までくると、転がり込むように馬車へ乗り込んだ。
「おや。随分急いで来たな。お別れはもういいのかい?」
黒髪の青年が問うたが、セルは息が上がって答えられなかった。
青年はセルを一瞥し、離れたところで葉巻を吸っていた手綱引きのオヤジに声をかけた。オヤジがやってきて、出発の準備を始めた。
「……おい、おい。少年。誰か呼んでるぞ」
窓から外を見ていたもう一人の青年が、セルに声をかける。
確かにセルの名を呼ぶ声がして、セルは窓の外を見た。
「……ローラッ」
広い庭には、小さな少女がいた。
少女はまだ短い脚で懸命に走りながら、少年の名を叫んでいた。
細い足が絡まって、小さな体躯が芝生に沈む。それでも起き上がって、泣きそうになりながら、ローラはセルの名を叫んでいた。
「セル!セル!行かないで!戻ってきて!」
「ローラッ。ローラ!」
馬車が動き始めた。
セルは窓から身を乗り出して、少女の名を叫んだ。
「ローラ!必ず迎えにくる!待ってて、ローラ!」
少年は、己の無力さに絶望した。
馬車は速度を上げて、「ひだまりの家」から離れてゆく。
あの心優しい子を、幼い少女を、自分の手で守ってやれない。
少女はまだ叫んでいて、悲鳴に似た声が響いていた。
セルは涙が溢れて、彼女の姿も見えなくなった。
「迎えにくるから!“14の春”に、ローラッ、迎えにくるから!」
とうとう家が見えなくなって、セルは泣き崩れた。
後悔と絶望が、彼の中で渦巻いていた。
⑶
ニコラ=カールマン青年は、テントの中でひとり本を読んでいた。ガタガタ揺れる夜の馬車の屋内は読書をするには最悪の環境だったが、青年は涼しい顔で文字を追っていた。
上から、テオドールと少年の話し声が聞こえる。テオドールはその陽気な性格で、初対面の相手にでも慣れたように接する男であった。きっと、連れてきた少年も彼のペースに呑まれているのだろう。少し掠れた声が、ぽつぽつと聞こえていた。
ニコラは、孤児院で少年を見た瞬間、心臓が飛び上がった。表には出さなかったが、内心はひどく動揺したのである。
5年前、ニコラが少年を初めて見た時、彼は泥に塗れた見窄らしい子供だったのだ。戦場から保護し、未来社の本部へ向かう道中に意識を取り戻したその子供は、虚ろな眼でニコラを見て、「かみさま」と呟いた。その薄く開いた瞳のエメラルドは、確かに、孤児院の少年と同じだった。しかし、先刻再会した少年・セルは、あの子供かを疑うほど美しく、可憐に成長していたのである。夕陽色の髪は柔らかく頭を彩り、つるりとした白い額がその色を際立たせる。形の良い鼻と口がバランスよく並び、男子にしては少々大きい眼がその上に並んでいた。古い建物の中で、彼のいる空間だけが異様に眩しく見えた。
だから、ニコラは彼の両手を確かめたのだ。革の手袋をはめた少年の手は、確かに巨大な魔力を宿していた。これが、「あの子ども=少年」というニコラの確証となったのである。
ニコラは、ほうとため息を吐いた。
さて、これからどうやって少年を扱うべきか、考えたのである。
少年・セルは、「経過観察」としてあの孤児院に預けられたのは確かである。その時、「契約」をしたのも確かだ。しかし、彼はそのことを知らなかった。ニコラは少年が「契約」のとこを知っているつもりで孤児院に来ていたので、玄関先でボック氏(オンジ)と言い争いになったのである。そして、半ば強引に少年を説得し、連れてきてしまった。きっと、彼は傷ついて、自分の顔なんて見たくないのだろう。現に、テントの屋根へ登って行ってしまった。
ニコラ=カールマンは健全な青年であるので、人並みには落ち込んでいた。
せっかく迎えられた彼は、固く心を閉ざしてしまったのだ。
聡明な美青年は、その美しい瞳を伏せて、本に目を落とした。魔力を込めた義眼で夜の闇でも文字は読めるが、思考が巡って内容が入ってこない。ニコラは諦めて本を閉じた。上ではまだ、二人が話をしている声が聞こえていた。
(おれは、なにがしたいのだろ)
ニコラは、家族を奪われたあの日から、強い人間になろうとした。感情を押し殺して、他人に隙を見せないようにしてきた。冷徹の仮面をつけて、表情に蓋をした。その結果が、現在の彼である。ニコラ少年は、「感情の表し方を忘れた」美青年になった。その美しい容姿も相まって、他人から「人離れした人間」と称されるようになってしまった。
そのことを、彼は気にしていないふうに取り繕うのだけれど。
人の知れない(彼自身も知れない)場所で、彼の心は傷ついていた。
美青年は側面の窓際に寄りかかり、馬車の振動に合わせて震える己の足をぼんやりと眺めていた。
外の空気は、ひんやりと肌寒い。まだ冬の名残が抜けていないような雰囲気があった。屋根の上にいるふたりはお喋りをやめたのか、テオドールの(音の外れた)鼻歌が聞こえきた。
ニコラがテオドールに「そろそろ中へ戻れ」と伝えようとした、その時である。
突然、馬車は減速した。
「おい!ニコラ!厄介だ!」
「どうした!ムッシュ、なにが」
「“予備軍”だ!6体、馬車を取り囲んでる!」
テントの上で、テオドールが叫んだ。
その声を聞いて、ニコラは素早く眼帯を外す。青い義眼は、テントの壁を通り越してその正体を捉えた。
「ムッシュ!テントの中へ!テオ、その子を中へ入れろ!」
「あいヨ!」
言ったそばから、セルが正面の窓から投げ込まれてきた。少年は受け身も取れずに、床に強かに頭をぶつけた。
「大丈夫か」
「……な、なにごと、ですか」
「兇器の“予備軍”だ。きみは、彼とここにいなさい。決して外へ出るな。いいね?」
「は、はい」
「ヨー・フィゥ」
ニコラはふたりをテントへ入れて、外へ出た。馬たちはみんな傷ついて、動けなくなっているようである。
テオドールはすでに屋根から降りていて、テントを挟んだ向こう側にいた。
ニコラは懐から黒い手袋を取り出した。掌に“特殊な刺繍”が施された、革の手袋である。それを両手にはめ、義眼でザッと周りを見渡した。
馬車を取り囲んでいたのは、6人の屈強な男たちだった。身なりは見窄らしく、彼らが盗賊であることが伺えた。しかし、男たちはただの盗賊ではない。虚ろな眼は焦点があっておらず、体を不自然に揺すりながら何か呻いている。額の変形が見られる者も、中にはいた。
「第2だ。“初期”も混じっているな」
「“相殺”か?」
「いや、“浄化”だ。黒は使うな。もし取り込まれたら厄介だ」
「了解」
指示して、ニコラは両手を打った。掌の間から、眩い光が生まれる。その白い光は二つに分かれて、両の掌を覆い込んだ。
「“予備軍”3体、任せるぞ」
「あいヨ!」
掌の魔力を高める。
光は一際大きくなって、真昼のような明るさが生まれた。
正気を失っている男のひとりが、ニコラに飛びかかってくる。
ニコラはそれをかわし、その鳩尾に掌を撃ち込んだ。
「ぎゃっ」と鳴いて、男は吹き飛ばされる。その衝撃で木の幹に体が打ちつけられ、沈黙した。
それを見た他の二人が、唸りながらニコラを睨む。
「……そんな目で見るな。気分が悪い」
美青年は掌を打って、光を生み出す。その光に男たちは咆哮して、いっぺんに襲いかかってきた。
「……おいおい、こりゃあどうなってやがんだぁ」
側面の窓から外の様子を伺っているオヤジは、異様な光景に目を丸くした。
なんたって、お客様が“人型の獣”と格闘しているのだ。
「おい、兄ちゃん。あんた、彼らの連れだろ?こりゃ、なんだい」
「……アルム、という怪物です。元は人間で……。ぼくも、初めて見たけれど」
「あれが人間なもんかい!あの兄ちゃんたち、殺されやしないだろうな⁉︎」
「大丈夫だと思います。たぶん……」
一緒にテントの中へ押し込まれた少年は、曖昧に笑った。白い頬が引き攣っている。
オヤジはそれを見て、「平気な風をしているけれど、この子も怖いんだなあ」と暢気に思った。
このオヤジは、兇器とは無縁の生活をしていたらしい。それもそのはず、このオヤジは義務教育の後にすぐに家業を継いだのだ。「災害の歴史」や「魔導術」のことでさえ、知識が朧げであった。
オヤジは、青年たちの戦いにヒイヒイ言いながら窓の外を眺めていたが、ふと、重大なことに気がついた。
「アッ。馬たちが!あいつら、殺されちまう!」
「え、馬」
「あいつら、みんな臆病なんだ!特にブルゾンのやつ!ああ、かわいそうに!」
「え、ちょっと、危険です!」
オヤジは飛び上がって、正面の窓から出ようとした。少年はそんなオヤジにギョッとして、大きな体躯を必死に引き戻そうとする。
「ダメです!外に出ちゃ」
「馬が殺されそうなんだ!離してくれ!」
「だからッ、アッ!」
なんとか止めようとする少年を振り払い、オヤジは正面の窓から外へ飛び出した。
目の前では、怪我をした馬たちが弱々しくもがいていた。
「アア、お前たち!かわいそうに!もう大丈夫だぞ、おれがいるからなあ!」
オヤジは馬たちに駆け寄り、怪我の具合をみた。どれも致命傷ではないものの、数日間はまともに走れそうにない。特に、ブルゾンと名付けられている茶色の雄馬は、右前脚の出血がひどかった。
「ブルゾン!かわいそうに……。待ってろ、血を止めてやるからな」
言って、オヤジは着ていた服の袖を破き、雄馬の脚にきつく巻いてやった。
雄馬は主人の声と匂いに安心したのか、ブルブル鳴いた。
しかし、馬はすぐに鳴くのをやめた。
臓の腑がひっくり返るような悪寒に、オヤジは顔を上げた。
一瞬で喉がカラカラになって、引き攣った音が出る。
血流が止まったみたいに体が冷たくなって、心臓が止まるような感覚がした。
オヤジの目の前には、頭部が化け物のように変化した“獣”が立っていたのだ。
体毛を失った頭部は鋼のような光沢を放ち、左右に裂けた口には短剣のような牙が溢れている。眼は潰れ跡形もなく、変形した指先は刃物のように尖っていた。
“獣”は唸り、オヤジに向かってその腕を振り上げた。
ニコラは、その目を疑った。
オヤジが外へ出ていたからではない。
オヤジに襲いかかった最後の一体を仕留めようと魔力を掌に集めたその時。
目の前から、兇器が消えたのだ。
(いや、潰された)
ニコラは、薄く開いた形の良い口から、細い息を吐き出した。
確かに、見た。
“初期”から兇器に変化してしまった男が、オヤジに鋭い指先を振り下ろす瞬間。
兇器の体は、“巨大な黒い手”によって握り潰された。
奇妙な音を出して潰された塊はその場に落ち、原型のわからない無惨な形になっていた。
胎の底に、冷たいものが溜まる。
ニコラはハッとして、長い脚を動かした。
「無事か⁉︎」
ニコラがオヤジに駆け寄ると、オヤジは顔を真っ青にして何度も頷いた。まだ、状況が理解できていないらしい。
ニコラはオヤジの目の前に落とされた惨たらしい塊を見て、魔導術で消し去った。塊は姿を消し、黒い液溜まりだけが残った。
「いッ、今のは、一体……」
「……あなたはお気になさらずに。お忘れください」
「ヤ、しかし」
「おい!ニコラ!セルが!」
テントの中から声がして、ニコラは弾かれたように正面の窓を覗き込んだ。
「呼んでも起きない!ひどい顔色だ……。見てやってくれ!」
テントの中では、床に倒れ込んだ少年の体をテオドールが抱き起していた。少年はぐったりとテオドールの腕に体を預け、少しも動かない。顔は青白く、薄い唇に色がなかった。
「テオ、落ち着け。死なない。床に置いて、見せてみろ」
ニコラは、丁寧に区切るよう、ゆっくり告げた。
冷静さを欠いているテオドールは、ニコラの言葉に息を詰まらせて、指示通り少年をそっと床へ仰向けに寝かせた。ニコラは正面の窓から中に入り、少年の横に跪く。
薄い胸が上下している。呼吸に問題はない。
「……魔力の暴出だ。やはり、この子だったか」
ニコラは少年の両手をとる。その細い手は、異様な熱を帯びていた。手袋のない腕の部分にまで、赤黒い変色が広がっていた。
「テオドール。近くに水源がある。水を汲んで、固めてくれ。手を冷やさなくては」
「あ……ああ。わかった」
言われて、テオドールはテントの中にあったバケツを引っ掴み、足早に出て行った。
「ムッシュ。外に転がっている男たちも積んでもらいたいのですが。このまま、道の先を行けそうですか」
ニコラは、テントの外で突っ立ったままのオヤジに声を掛ける。
オヤジはその声に気がついて、頭を掻いた。
「いやあ、悪いが、馬がやられてしまって……。歩けるには歩けるんだが、走るのは……。でも、あんた方は命の恩人様だ。どうにかしたいんだが……」
オヤジはしばらくウンウン考えて、パチンと手を打った。
「この先少しゆけば、小さな村があるんでさぁ。牛や馬を育てている村です。そこへ行って馬を交換してもらえりゃぁ、明日の日没までには目的地に到着します」
「そうしましょう。この子も、一晩休んだ方がいい」
「旦那、その兄ちゃんは大丈夫なんです?とても具合が悪そうだが……」
「ええ。疲れて眠っているだけです」
ニコラは穏やかに告げると、オヤジにセルを任せて、馬車の周りに散らばっている男たちを回収し始めた。どの男も、“普通の”人間の姿に戻っている。ニコラは男たちを荷物用のロープで縛り上げ、テントの屋根に括り付けた。
「……うわぁ。なんか、かわいそうだな」
「テオドール、ご苦労」
「お前、もっと丁寧に扱えよ。貴重な参考になるかも知れないんだから」
「“道具”だろ。ものに情をつけてどうする」
「お前……そういうところだぞ」
水汲みから帰ってきたテオドールは、冷静さを取り戻していた。手に持ったバケツの中は、水が固まって氷ができている。
「近くの村へ行くことになった。馬が走れないらしい」
「ああ。そういうことじゃ、仕方ないな。セルも休ませた方がいいだろうし」
“来た時の方法”では、移動できないもんなあ、とテオドールは笑った。
「……歩くか」
「そうだな。馬、走れないんじゃあ、乗ってたってかわいそうだもんな」
そんな会話をして、ふたりの青年はオヤジと一緒に馬の手綱を引いて歩いた。
馬車は、静かな夜の森をゆく。
少年は、深い眠りの海に沈んでいった。
<続>
閲覧ありがとうございました。
一人で盛り上がってるのってなんか恥ずかしいですね……笑。
描きながら知らない間に伏線はってたり、回収してたりするので自分でもびっくりします笑。
感想等、いただけると嬉しいです!
物語は始まったばかりなので、これからも私の頭の中の物語を一緒に楽しんでいただければ幸いです。
今後とも、よろしくお願いいたします。
2020年11月23日 水瀬 宏