巫女のかたち、ヒトのかたち
<DAY-1>
「これが巫女姫の姿なのか」
台座に横たわる巫女姫イリスの姿を見て、掌砲長は無意識にえずく口元を押える。
古代戦艦イリスヨナ機関室。
無人のモルグのように暗い冷暗所の部屋に、オレンジ色の小さな照明で仄かに照らされたイリスの身体は、下半身が解けた紐の束になっている。
漏れ出る組織液で髪が濡れないよう、傾斜掛かった台座に安置されていた。
瞳は閉じ、乱れた髪も、薄い胸も彫刻のように動かない。
掌砲長が呻くように絞り出した言葉に、フーカはイリス嬢を見下ろしながら答える。
「でも生きているわ」
「生きているヒトはこんな形をしていない! それに、息をしてないんだぞ! 石像みたいに冷たい!」
掌砲長は掴みかからんばかりの様子で、結構イリス嬢のことを気に入ってたらしい。
「呼吸、脈拍がなくとも、ヨナなら侵食痕に残る神経軸索から脳に直接酸素を送り込むことができるわ。低体温に移行したのが自己フォーメーションが崩壊する前なら、さらに生命維持に必要な代謝を抑えることができる」
「言ってることの意味が半分もわからんのだが?!」
「ましてやいま、イリス嬢には負担となる下半身がまるまる無いのよ」
わざとらしいほど大きな舌打ちの音。
「なぜなら特別だから。飛び抜けて恵まれた才能を持つ古代戦艦の巫女が示す極限だわ」
「崩壊した肉体が祝福だと?」
「古代戦艦イリスヨナに喰い付くされて、下半身を失っても生きているのは正しく巫女の生命力の賜物よ」
「そのヨナはどうなっているんだ」
一匹の大きな狐が、イリス嬢の失われた足元に絡みつき眠っている。
瞳を閉じたその表情はどこかヒトらしさを遺している。
「疑似獣化形態のまま緘黙。当然よね。イリス嬢をこんな状態にしたのだから。意識もあるのかどうか」
「このままってことはないだろうな」
「ヨナ次第ね。
掌砲長、あなた錬金術師なんだからこういうの見慣れてるでしょ」
「私は鉱物専門だ。人体を弄くる趣味はない。
あんな自分と神様の区別もついてない自我境界の曖昧な連中と一緒にするな。
ヒトの腹の中と頭の中は、そうそう簡単に開かれるべきじゃあないんだ。
たとえ、ヒトの命に市場価値が認められていなくとも、な」
<DAY-2>
「昨日までに、重傷者3名の死亡と新たに1名が遺体発見されたため、本作戦における死者及行方不明者数は233名となりました」
スイ海防艦長兼提督以下幹部候補生の前で、士官がまとめられた損害報告を読み上げる。
旗艦『択捉<えとろふ>』の狭い会議室。
元より遠征艦隊の旗艦は海防艦『択捉<えとろふ>』だが、集まった人数が廊下まで溢れているあたり、空母まで失った混乱状態から脱しきっていない遠征艦隊の組織状況を表していた。
各担当から、損害報告の続きが読み上げられる。
「『前龍驤<ぜんりゅうじょう>』は大破撃沈。航行不能。
艦載機は稼働機18機に予備を含め全24機を全機が大破」
「うち水没2機を除く16機は機密保持のため焼却処置済みです」
「水没機体については爆雷による処理をフーカ作戦部長より提唱中」
「航空戦力は完全に喪失しました」
「空母乗員463名のうち72名死亡」
「内訳としては操縦士は29人、うち8名が死亡」
「以上です」
惨状に無言となる面々の中で、フーカだけが平然として口火を切る。
「ロイヤル、いくら眉間にシワを寄せても、補充要員は自然発生しないし死人は蘇らないわよ」
「フーカ、あなたに死者を悼む気持ちはありませんの」
「死者を悼む気持ちに欠けるなんていかにも人格破綻者よね。でも、あたし達全員が死者名簿に片足突っ込んだままであることを忘れないほうがいいわよ」
フーカは鼻を鳴らした。
「この程度、全滅に比べたら軽微というものだわ。ロイヤルからしたら責任を感じてるのかもしれないけれど、現有の非力な戦力でここまで残せたのは大健闘というものよ」
「フーカとしては褒めているつもりなのでしょうが、嬉しくはありませんわね」
「我々は総帥と御召艦を失っていない。あなたたちが、敵国の首都で戦闘をやったあとで、これはすごいことよ。
稼働人員には余裕ないけれど、常に明日には幌を捲って母港に引き揚げることができるように準備しておく必要があるから、総員備えるように」
それまで黙っていたスイ提督が、小さく漏らす。
「出発はいつになるのでしょうかね」
「ヨナ次第だわ」
<DAY-3>
「イリス嬢が目を覚ましたそうよ」
「それは何よりですわ」
「面会謝絶だけれどね」
「フーカは寝てくださいね」
「これくらい、寝てないうちに入らないわ」
「またそんなことを言って。いくらフーカだって疲れないわけではないんですから。イリスちゃんも、疲れて寝ていただけなのかもしれませんよ」
「何言ってるのよ」
「スイ提督、それはないですわ」
<DAY-4>
「帰港日未定の不安は抑え込んでもらうしかないわね」
「わかっておりますわ」
「ヨナさんは動かないんですよね」
「現行我々が持つ現代艦船では、古代戦艦イリスヨナを牽引することはできないわ」
「そもそもヨナさまを経由せずとも、既存の方法で巫女は古代戦艦を操艦できるはずではありませんの」
「『最も憂慮すべき事態』を招くリスクはとれないわよ」
「ああ、イリスちゃんに無理をさせない」
「海防艦でも定員では最低45名から、主要発令部乗員だけで14名を要するわ。イリスヨナと同規模の戦艦となれば推定総員4000名に上る。理論上、古代戦艦の巫女はその負担をひとりで引き受けることになる。そもそも巫女ひとりであれだけの巨大構造物が機動することに無理があるから、生命を削るのね」
「わたくし、イリス様の命を危険に晒すつもりで言ったわけではありませんわよ」
「わかっているわ。その程度で失言にはしないわよ」
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「牽引ロープの回収はできましたわ。長さは十分。取り付け箇所の調査も済んで、あとは『前龍驤<ぜんりゅうじょう>』の残骸と古代戦艦イリスヨナの接続作業を行うまででしてよ」
「仕事がなくなれば、乗員たちは今より不安になるでしょうね。接続準備を進めてちょうだい」
「肝心のイリスヨナが動かなくとも、ですわね」
「スイ、命令書」
「スイは命令書じゃありませんよう」
「はいはい提督。承認のサインだけよろしく。実施の詳細は、ロイヤル、任せるわ。ロイヤルの仕事は信頼してる」
「そう言いながら、牽引出来なかった場合のことも考えてはいるのでしょう」
「別にロイヤルの仕事をあてにしてないわけじゃないわ」
フーカは投げやりな口調でこともなげに言った。
「あてにならないのは我らが殿艦よ」
<DAY-5>
「『明石<あかし>』だ!」
「接舷の準備をしろ。ありゃあ甲板まで食料と物資を山積みだぞ」
曳舟の上で難民のように暮らす元空母乗員たちが、胴太の巨大な丸太のように見える船を指して言う。
「『択捉<えとろふ>』型2隻の胴体を横つなぎにした低速の双胴船。近隣国に待機させていたなんて、あんなものを伏せっていましたのね」
「べつに戦力としてじゃないわ。艦隊と帰路で合流のつもりだったのよ。前回は船底に穴が空いた状態で帰港したでしょ、その反省」
工作船などという艦種名はいかにも不穏だが、やれることは艦船の維持・修理だ。
「あの山ほど積んである食料はなんですの!? 平時でも見たことない量で、わたくしたちの艦隊では早々に食べきりませんわよ」
「さすが掌砲長の育てた交易商社マンがした手配。近隣国で災害が起きて食料と物価が高騰しているでしょうに、よくかき集めたものだわ」
フーカは感心してから説明する。
「いまの餓えている皇国民たちの前に置いといたら、それだけでも暴動か軍隊による奪取を招くだろう量があるわ。『見せ金』みたいなものね。あたしたちが欠食せずに済む量を残して、ほとんど皇都の焼け出された住民へ配ってしまうためのものよ」
「そうやって安全を稼ぐつもりですのね」
「それもあるわ。ロイヤル、念押ししておくけれど、住民への支援はプロトコル通りにね」
「わかっておりますわ。でもフーカが気を張るほどのことですの?」
「食べ物の恨みは、日本でなくとも怖いからよ」
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「プロトコルが指摘する通りになりましたわね」
伊魚連の職員は食事、特に温かい食事を艦内に限定し、艦外ではあえて干しパンしか食べないように、持ち出し物資を調整したり、また命令を守らせている。
「噂では、聖竜皇国の倉庫番たちが石を投げられる事態になっていると聞きましたわ」
伊魚連から市民にタダで配っている温かいスープを自分たちは口にしない、というレベルで徹底していた。
だが聖竜皇国が国庫の食料を開放したとき、兵士に優先して食料を渡し、薪で白湯を振る舞ったために、あわや暴動という騒ぎになったという。
兵士の中には、瓦礫の下から住民を救助したあとでパンを受け取って石を投げられた者もいるというのだから、ロイヤルからすればその理屈の通らなさは不条理を通り越して恐怖だとすら感じた。
「恐ろしい話ですわね。まさか、救いの手を差し伸べて、感謝ではなく恨まれるなんて」
「相手は救いが必要で、余裕がないのだから、仕方ないのよ。そこを糾弾して得られるものは何もないわ」
「伊魚連が何も考えず良いことをしようとしたとしても、たったこれだけのことを見落とせば石を投げられるということですのね」
「そう。救援している側が憤懣を持たれない、大事な注意事項。知識の重要性がわかるというものだわ」
「これもヨナ様の知恵ということですの?」
「語弊があるけれど、まあそういうことね」
正確には、自衛隊の災害派遣時の教訓とされているものだが。
実際そうなのかどうかは知らないが、ともかく今回はうまく機能したらしい。
「でもね、聖竜皇国だって馬鹿じゃないわ」
「わかっていてもどうにもなりませんの?」
「兵士は国を守って戦うのよ。その食料を最優先にしなければ、忠誠を保てるものではないわ。こんな場合だからって、わかっていても簡単に変えられるものじゃない」
「さて、とはいえ目くらましはこの程度にして、本題ね」
「フーカあなた、聖竜皇国の内側での離間を作っておいて、これが目的だったのではありませんの?」
「まさか。投入する資本に効果が見合わないわ。目的はこれ『だけ』じゃないわよ」
現状はおまけに過ぎず、本題は別にある。
「『明石<あかし>』が来たことで、挫傷し放棄した『前龍驤<ぜんりゅうじょう>』のちょっとした補修ができるわ」
<DAY-6>
「イリス嬢、ヨナは目覚めるかしら」
「ヨナがこれまで考えていたことはすべてわかっているのに、ヨナが何を考えるかわからないの」
「なに、あなた、そんなことを悩んでいたの? 簡単なことなのに、何もわかっていないのね」
「フーカは、ヨナが何を考えているかわかるの?」
「ヨナは自分の手であなたを幸せにしたいのよ」
「フーカがヨナの考えていることがわかるのは、フーカがヨナと同じだから?」
「私は逆よ。幸せにして欲しいほうが自然なのに。ヨナは欲張りだわ」
<DAY-8>
廃艦された『前龍驤<ぜんりゅうじょう>』だった残骸の片割れの甲板上で、作業員たちが巨大な古代戦艦の進む横腹を遠目に見ている。
「御召艦が動いてる」
「これで母港に帰れるな」
「牽引索の溶接箇所、もうチェック終わってたか?」
「でも後ろ半分がないんですよ。操舵もできない」
「あらぬ方向に行かなければいい。『択捉<えとろふ>』の予備の舵がこっちに回されてきてる」
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『前龍驤<ぜんりゅうじょう>』発令所跡では、発令所要員が壊れた機器の棚卸しをしている。
「しかし本当に廃艦した船を持ち帰るとは」
「前半分だけだが、母港に戻してやることができるな」
「『明石<あかし>』が積んでいた発泡フォームを船体に充填して、水面に浮かせることはできたからな」
見回っていたフーカが、艤装担当に念を押す。
「六分儀系統は全て処分したとはいえ、『前龍驤<ぜんりゅうじょう>』の中枢神経系は概要さえも知られたくないわ」
「了解です」
「正副電装系統は配線まで処分できませんでしたからね」
「火災に強く不燃に作れば焼却処分が利かない、というのは避けようのないジレンマだわ。水没処分してもせいぜい時間稼ぎにしかならない。完全破壊もできない以上は、前半分だけでも回収して帰るしかないわ」
「帰れるならもうなんでもいいですけれどね。後ろ半分は残していくことになりますし」
時間や資材の関係上、浅瀬に座礁した後ろ側は置いていく。
喫水線上の艤装はすべて焼失して構造材しか残っていないが、構造上の弱点を探られる可能性はある。
だから本当は竜骨や肋骨といった構造基礎から残しておきたくない。
そのうえ舵などの操縦系統は水没しておそらくそのまま残っており、処分したいのだが、泥の中に埋まっており爆雷での処理も難しい。
「何より、聖域みたいに扱われて手出しできないし」
聖竜皇国において、仮にも竜王の血統が婚姻したことになってしまった『前龍驤<ぜんりゅうじょう>』後部甲板を、聖竜皇国が教会のように見ている。
休戦も何もない情勢不安の現状で、偶発的戦闘を避けるためにも、首都の真ん中で爆破など出来ようがない。
『前龍驤<ぜんりゅうじょう>』が未だに伊魚連の所有物であり、機密処理したくとも、手出しのしようがなかった。
「まあ、処分できないなりに使い道を考えることにするわ」
<DAY-12>
「ロイヤル、これ、読んでおいて」
「なんですのこの文章の束は! って、押印までされた『機密文章』をぽんと渡さないでくださいまし!!
そもそもフーカ、あなたならこれだけの分量を書けるんでしょうけれどね、もうちょっと要約とかできませんの!?」
「書いたのはロイヤルが着任する前よ。すくなくとも原案の提唱はその頃。短くって言うけれど、簡潔に書くほうが面倒なのよ」
「フーカあなた、忙しいほうが文量が増えるだなんて」
「仮称地中海事案への対応、全部ではないけれどね。ほら、艦隊のことで秘密にはしないってこの前言ったでしょ」
フーカがロイヤルに渡したいくつもの紙の束のうち、特に厚い3束はそれぞれ次を主とした内容となっている。
- 新型誘導艤装研究用テストベッド『MXY-7(-1)』実験装置の試験開始許可と命令書。
- 平和交渉原案『ポツダム文章(第2版)作文委員会』の推奨提案書。
- 『マツシロ・プロトコル』第2種配置の発令書。
「すべて秘匿名称では秘密のままとあまり変わりませんわよ」
「敵地なんだから、機密保持は必要でしょ。戻ったら話すわよ。みんな忙しいし」
「ヨナ様がいないと思い通りに勝手に動けて良いですわね」
「私はヨナがいたって勝手にやってるわよ。
それでも何も思惑通りになどなってはいないし、そもそも相手があって対抗をするのが作戦部。
思い通りなんて職務怠慢も甚だしいわ」
そこまで気性荒く言い切った。
「フーカ?」
「それでもきっと、知ったらヨナは怒るだけは怒るんでしょうね」
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「フーカ、受け取った資料の内容について話しておきたいことがありますわ。あなた時間があるなら、このあと紅茶でも一杯いかが?」
「ん、いや、スイのところに、ちょっとね」
「スイは非番ですわよ」
「知ってるわ。あたしがスケジュールを引いているんだから」
「こういう言い方はしたくありませんが、わたくしたちとスイは違いましてよ。スイには休息が必要ですわ」
フーカは開いた手をひらひらと動かした。
「わかっているわ」
<DAY-13>
「ロイヤルは今ごろあたしを軽蔑してるんでしょうね」
「軽蔑ですか」
「そ。あたしが、ばかで無力で自分勝手で気弱で可哀想な、寂しがりやの女の子だから」
「寂しがりやですか」
「そうなの。犬だって猫だって、有史以来ヒトより甘えたがりな生き物はいないわ。だからあたしは特別に寂しがりやでしょ」
フーカが頭を動かす仕草で求めたまま、スイはフーカの頭を撫でた。
「フーカはがんばりやさんですね」
「あたしは怠け者よ。ほら、お尻を叩きたくなったでしょ」
身じろぎするフーカに、スイは首を振ってから頭を優しく何度も叩く。
「なりませんよ。ヨナさんに甘えればいいのに」
「ヨナはあたしのねえさんじゃない」
「そこは普通お母さんでは。フーカは、ヨナさんが怖いんですか?」
「ヨナが何やらかすかわかったものじゃないけれど、それだけだわ。
それに、ヨナの願いにはあたしが必要だし、ヨナが自分の願いに実直であることは信頼してる」
「そうですか」
「ヨナは、なりたいそのままの自分になって、願いたいことをそのまま願ってる」
「フーカは違うんですか」
「願うことと願いを叶えることは違うのよ。だから望んだ通りに振る舞ったりはしないわ」
「フーカが欲しいもの、ですか?」
「そうよ。あたしのために、艦隊が必要だから」
フーカの吐息は、消えて無くなりそうな儚い声になった。
「ねえさん」