幕間:『帰ろう。帰ればまた来られるから』(あるいは、帰ってきたら、続きをしましょう)
第1航空戦隊『黄奈子<きなこ>』の操縦士ユエルは、飛行禁止エリアの真中心を飛びながら、白亜の建屋を眼下に見やる。
藍竜講堂。
ユエルはここで竜騎士学校の卒業証書を受け取り、竜騎士に任官された。
厳しい訓練と選別を突破して憧れた竜騎士になり、明るい未来に人生が最も輝いていたあの日。
植民国の分校で騎乗を学んだ彼が『2等の』竜騎士として、本校と皇都へ踏み入れることを許されたのは、卒業任官式の一度だけだった。
その建屋の残骸。
空軍本庁および併設施設はすべて倒壊し、整然と並んでいた屋根は配置をそのままで奇妙に歪み、壁だったものが周辺に散らばっていた。
見下ろしていれば、作戦中に雑念は厳禁とわかっていても、人生最大の栄光とその後の転落をどうしても思い遣ってしまうのだった。
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第1航空戦隊は神話生物2柱が消滅したあと、作戦可能状態だった残存5機にて空中から地上偵察を命令された。
高度を取ると土煙の砂漠に見える薄灰色の大地は、近づけばひとつひとつの砂粒が倒壊した家、商家、官庁。
そして、燃え尽きて灰かぶりになった膨大な死体の山だった。
今回の戦闘が終わってはじめて、『桃音』は本来の観測機としての仕事をした。
燃える死体に立ち昇る煙を突き抜け、荘厳だった建物の残骸の上をフライパスしながら、予め用意してあった地上施設のチェックリストを舐めていく。
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『聖竜皇国遠征 防衛出動B号計画 爆弾<運搬投棄>予定施設一覧』
『王居本殿』倒壊。
『近衛師団平屋』地盤沈下により水没。
『議事堂本館』および『最高神前裁判所』炎上中。
『外務省宮殿』流失。
『防空指揮所および防空6方角騎乗竜舎』騎乗竜が錯乱しており機能せず。
『陸軍衛府軍団詰所および軍警本部』民衆が詰めかけ混乱中。
『内務省本省神殿』および『聖竜聖堂』道路寸断により連絡不能。
『農産省本館』全焼。
『竜騎士学園省』半壊。
『国土交通庁舎兼鉄道基地』寸断。
ほかリスト記載の防空施設13箇所および警察機関22箇所。
何処も被害甚大。
市街地の状況としては、現地行政による市街地の救援と避難誘導は全く機能していない。
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各機は一旦別れて、地上施設の状況をを目視確認し、無線で報告をする。
地上損害報告の声は、後になるほど悲痛な声色になっていく。
竜のいない聖竜皇国の空を飛行機で自由に飛び回れるという願ってもない状況でありながら、さすがに飛行士たちの誰も我が物顔をする気にはなれなかった。
彼自身、故国に捨てられ、自分自身も故国への未練を断ち切っていまや敵側の戦闘機操縦士として皇都上空を飛んでいるわけだが。
若い頃に憧れた聖地が無残な姿となっているのを俯瞰で見下ろす光景を目の当たりにすると、滅入るを通り越して気が遠くなる感覚さえあった。
こんな惨劇を――伊魚連が関与していないわけではないにせよ――自国で起こすような危険な魔術を行使するという国の有り様に、ユエルは憤る。
(捨てた祖国、敵にまわり、友人も親愛も振り切ったと思っていたが、それでも国の運営をここまで杜撰にされると、さすがに怒りが湧くぞ!)
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無線から声がした。
『総員傾注』
フーカの声は『耳元で叫んでも騒音に掻き消される最大戦速の機関室の中でも明瞭に聞こえる』とまで噂される。
無線の聞き取りやすさは電波状況如何なのだから声色など関係ないはず。
そもそも試製の無線受信機は品質が低く、会話はできれば御の字、飛行士同士でも誰が喋っているのか声ではわからないほど。
音量が高くなったり、無線環境が良くなって無線のノイズが減って音質が改善したわけではない。
にもかからわず『フーカ作戦部長』の声だけは明瞭で、一言一句確かに聞き取ることが出来た。
『母港空襲で失った犠牲者、聖竜皇国の長きに渡る蛮行。怒りと復讐心を糧に飛んでいるであろう、飛行士の全員に告げるわ。
たとえ伊魚連司令部であっても、一旦飛び上がってしまえば飛行中のあなたたちの独断先行を咎める方法はない。
だからこそ言わせてもらう』
一区切り待って、フーカは言う。
『「帰ろう。帰ればまた来られるから」』
フーカが引用した大日本帝国海軍軍人の言葉の出典を知るものは、第一航空戦隊にひとりもいない。
『<昔の人>は良いコト言ったわ』
だからキスカの救出作戦の出典を都市爆撃の殺戮の誘いへ換骨奪胎しても、咎める者など居ようもなかった。
『いまあなたたちは、深い国土と竜騎士の厚い防空網に阻まれた皇都上空を飛んでいる。
まさに千載一遇、ありえなかった奇跡のチャンスだと思っているんでしょうね。
確かに機体を捨てて体当たりでもすれば、小さな建屋の壁を崩して、ちょっとした火事くらいは起こせる。
でもね、しょせん『桃音<ももね>』は軽量な戦闘機。
爆弾なんて釣ってないし、弾もなければ燃料も切れかけ。
そして、あなたたちにその目で確認してもらったとおり、足元には廃墟と死体と難民ばかり。
私たちが焼くはずだった聖竜皇国首都、あなたたちが渇望していた爆撃標的は存在しない。
いま命を捨てて一撃かけたところで、聖竜皇国の誰も気づかないわ。
すでにある瓦礫の山に、見分けもつかない小さな瓦礫の丘が混じって終わり』
フーカは言葉だけで飛行士たちから命令違反の選択肢を奪い。
『あなたが大事に抱えている恨みは、こんなちっぽけな復讐で満足?』
その上で今度は与える。
『足りない。
満足できるわけがない。
――瓦礫に押しつぶされた恋人の死骸を思い出せ。
――屈服と屈辱の記憶を忘れるな。
――生きながら喰われた家族の苦痛と無念を想え。
あなたの復讐に相応しい、もっと素敵で悲惨な方法がある。
伊魚連は用意できる。
神話生物による災害などではなく、今度は、今度こそヒトの手で、この皇都を焼き尽くす』
復讐に猛る被害者も、戦果に餓える元騎士も。
ひとりずつ飛ぶ理由は違うにもかかわらず、フーカの示す道、甘美な地獄への誘惑に、誰もが抗えない。
地獄の戦場へ行こうと一切の嘘誤魔化し無く言い切って見せてなお、誰もがその誘いを振り払うことができない。
ユエルを含め、幹部候補の飛行士数名は『都市爆撃』について教えられている。
知識としてその片鱗に触れただけでも常軌を逸するとわかる、市民を標的とした壮絶な殺戮であることも。
そして我らが『作戦部長』、フーカがそれを躊躇わず実行できる人物であることを知っていた。
フーカの誘いはまさしく悪魔の囁き。
丘の上に立ち大きな旗を振り、自ら煉獄への道を整えて。
大きな声で『行くな、この先は地獄だぞ! この女の誘いに乗ってはいけない!』と叫びたくなるが、声は出なかった。
なぜなら、他ならぬユエル自身が、他の飛行士に負けず劣らずフーカの言葉に滾っていたから。
聖竜皇国の竜騎士たちが武力と特権意識に塗れて諸外国で行ってきた拷問と陵辱。
一度は掴んだ竜騎士の夢は破れ、聖竜皇国に捨てられて、その蛮行を内と外からこの目で見てきたユエルは、憧れていたからこそ実情の醜さが許せない。
そして、憧れの元竜騎士を撃墜した聖竜皇国、その落とし前をつけなければならない。
たとえそれが、自ら進んで地獄へ歩む道であっても。
操縦桿を握る拳に力が込もる。
『他ならぬ、このあたしが言っているのよ』
フーカは力強く宣言する。
『だから命令よ。操縦士は全員、必ず生きて帰ってきなさい』
したあと、一転して赤子を慈しむ母親のように、優しく言った。
『帰ってきたら、続きをしましょう』